2025年3月24日、長い工事期間が終わり、ついに新広島駅ビル『minamoa(ミナモア)』が開業した。この駅ビルには『minamoa』の名前が示すように、川や瀬戸内海の水面(ミナモ)に囲まれた広島で、人々が皆(ミナ)の場所と感じて、もっと(モア)広島を好きになってほしい、という想いを体現できる場がある。miobyDoTS(ミオバイドッツ)だ。広島・瀬戸内の様々な人や自治体・団体が繋がり、広島と中国地方を、日本を、そして世界を、人と人をつなげていく場として、多くの人々が行き交う路面電車のプラットフォームを見下ろす位置で、発信・交流をしていく。
このmiobyDoTSでコミュニティマネージャーとして働く新家美穂さんは、広島から県外、海外へ飛び立った後、広島に戻ってきたUターン人材だ。人と人をつなげる「触媒」でありたいという新家さんは、まさにこの場の想いを体現すべく、仕事をしている。
目指す方向が見つかった学生時代
新家さんは広島県広島市で生まれ育った。高校時代、優秀な同級生たちに囲まれ、自分には何ができるのか、何がしたいのかわからずモヤモヤ過ごしていた。目指す方向が見えたきっかけは、広島で育つ子どもたちなら必ず受ける「平和教育」だった。
同じような教育を受けても感じ方は人それぞれだが、新家さんにとっては「どうして人は争わないといけないんだろう」と常に感じて考え続けるテーマだった。そんなときに広島で平和活動をするNPOの1泊2日のワークショップ合宿に高校の友人と参加したことがきっかけとなり、平和を通じて広島と世界をつなぐ活動に携わりたい想いが膨らみ、国際関係学科のある大学に進学した。
しかし、大学で学び卒業が近づくにつれ、具体的に何をしたら良いのか、就職活動をしてみても、どこの企業にも、御社が第一志望ですとは言えない自分がいた。自分の将来を見つめる中で、周囲に多くのJICA海外協力隊経験者がいたことから、JICA海外協力隊に関心を持つのは自然な流れだった。
アフリカの村の人たちの輝きに感じた喜び
当時マイクロファイナンスに関心があり、類似案件のネパール隊員に応募。しかし案件がなくなり、代わりにウガンダの村落開発普及員として合格した。
「ウガンダ?どこそれ!?」というところからスタートした隊員活動。現地に渡航してみると、オフィスは鍵が締まっており、配属先のスタッフからも「好きにやってくれていいよ」と半ば放り出された。まずは地域の人たちに顔を覚えてもらい、何ができるかを会話の中からすくい上げ、困りごとの解決に繋がりそうな活動をあれこれ試してみた。
開発途上国には様々な国から様々な支援がある。物資をあげるだけなら簡単だし、お金や物をくれという住民もいたが、よそ者の自分たちの支援がなくても地域の人たちが続けていけることが大事。地域にあるもので、地域の人たちが続けていけること。その持続可能性を模索してたどり着いたのは、畑の土を活用し、自分たちでメンテナンスも出来る「改良かまど」だった。

なぜかまどなのか、かまどを改良して一体何になるのかと思う方もいるだろう。
途上国の村では、昔ながらの焚き火で調理することが多く、長時間煮込む料理も一般的だ。かまどを改良することで、熱が効率的にまわるようになり、数品の料理を一度に、より短時間で調理できる。また、やけどや煙による健康被害のリスクも下がり、使用する薪の量も減らすことができる。薪を集めるためこれまで学校に行けていなかった子どもたちは火をおこすための木を取りに行く時間が減り、学校に行くことができるようになった。
学校には行けるものの夕食の調理に追われ、宿題をする時間がなかった子どもたちも、宿題をする時間を取れるようになり、より積極的に学校に行けるようになった。改良かまど作りを生業にする村の女性も現れ、ちょっとした収入を得ることが出来るようになった。新家さんは、改良かまどの普及にあたって、村の女性たちの活躍がフォーカスされるよう、黒子として支えるように心掛けたという。
「私には出来ないわ」と言っていた女性たちがリーダーとなって輝く姿を見るのがとても嬉しく、人の可能性が開く、普通の人が普通に輝くのって良いなと感じた。どんな人でもその人の強みを持っている。それが表出していないだけだ。自分のやりたいことは、人と人をつなげ、個々の可能性を開くことだと実感しながら、充実した2年間の隊員活動期間を送った。それは、ウガンダ赴任当初、火をおこすのも大変で、何もできない自分を受け入れてサポートしてくれた現地の人たちの存在があったからこそだった。

チームが輝く場づくりから自身のふりかえり、そして地元へ
日本に帰国した後は、東京の民間企業でプロジェクトマネジメントの仕事に就いた。大きなプロジェクトの中でどうやったら人がうまく動くかを考え、チーム作りをする業務に携わった。同時にプライベートではエチオピアシープスキンを使ったレザーブランドでもプロボノで働き、数年後に同社に転職した。
とても充実した日々の中、パートナーが海外赴任となった。しばらくは別々に暮らしていたものの、同居をしようと退職、パートナーの赴任先に渡航して、現地で専業主婦を経験した。自分の呼び名が、自分の名前から「〇〇さんの奥さん」という、付属物になる瞬間が増え、自分のアイデンティティを立ち止まって考えようとコーチングを学んだ。心の持ちようを変えていき、現地で働くなど、新たな道を経験することができた。
アフリカや東南アジアなど、海外での暮らしが長くなるにつれ、広島への愛着はますます強くなった。どこの国に行っても、村の人でも、広島を知っている。40歳頃までには広島に関係する仕事につきたい。都内の民間企業で、多くの企業の組織づくりに伴走する日々を過ごし、広島との二拠点を模索していた中、広島で開催されたイベントで株式会社DoTS社長の谷口さんと出会い、コミュニティマネージャーのポストに飛び込んだ。

新家さんはもちろんのこと、DoTSに関わる人たちは、誰もが、この場に集まる人たちをつなげて、自分たちにも、訪れた人たちにも、新たな発見のある場にしていきたいという熱量にあふれている。
広島・瀬戸内の食材をたっぷり使った料理は、広島の人も世界各地から訪れる人も楽しめる多国籍料理となっており、広島・瀬戸内と世界のつながりを感じることができる。ミシュランシェフが監修するメニューも自信作だ。
miobyDoTSでは、食事・商品販売だけではなく、ほぼ毎日夕方18時から(※現在は19時からの開始)地元の旬な人によるミニトークが開催される。地域内外で活躍する若者や経営者等が有名・無名を問わず、それぞれの想いを語り、集う人たちを繋いでいく場でもある。仕事帰り、学校帰りに、ミニトークを聞きに気軽に立ち寄ることができる。
人と人を繋ぐ「触媒」となって、化学反応を促進する。新家さんの想いは既に、周囲にいる人たちの化学反応を大きく促している。新広島駅ビルの一角での今後の様々な化学反応がとても楽しみだ。