交通事故に遭った19歳の男性。意識不明の中……母「どうか命だけは」当時の思いとは。 男性の現在に迫る

交通事故に遭った19歳の男性。意識不明の中……母「どうか命だけは」当時の思いとは。 男性の現在に迫る

2017年19歳のとき、交通事故に遭った樹希(じゅき)さん。
脳挫傷などにより意識不明になりましたが、樹希さんのお母さんは奇跡が起こることを祈り続け、その半年後に樹希さんは目を覚ましました。1年半の入院生活を経て退院できましたが、生活は180度変わりました。苦しく辛いこともたくさんありましたが、リハビリに全力で取り組み、事故から6年後の2023年には「モデルになりたい!」という夢をつかむことができました。そして、現在も車いすモデルとして活躍。CM出演やファッションショーでも活躍し、さまざまな場面でその姿を発信しています。
突然交通事故に遭ってしまったときの気持ちや、車いすモデルとして活動することになったきっかけなどを樹希さんとお母さんに聞きました。

半年間意識不明に…

交通事故に遭った当時の樹希さんは、生命が危ぶまれる重体で、外傷性くも膜下出血、肺挫傷、肝挫傷、顔面や肺の骨折。
「どうか命だけは助けてくださいと願う状況でした…」とお母さんは話します。

お母さんが対面できたときにはすでに身体中たくさんの管で繋がれており、脳内にはセンサーを埋め込まれ、万が一脳がこれ以上腫れてきたら緊急手術と言われました。幸い腫れは落ち着き、手術にはなりませんでしたが、予断を許さない状態が1週間は続いたのです。
また、生命の危機を脱出できたその後も意識は戻らず、今後目を覚ますかどうか、そしてどれだけの障がいが残るのかさえわからないという状態でした。

退院の様子(@juki.0425.1106.wbdより提供)

樹希さんは事故から半年後に目を覚ましました。意識が戻ったとき、樹希さんは「やっとわかってもらえた…」と語ります。実は、意識がないとされていたころも樹希さん自身の耳は聞こえていたので、返事をしたくてもできない、身体のどこも動かせない、伝えることができない状況だったのです。

「耳が聞こえるようになったのは、半年よりもっと前だったのかもしれません」と樹希さん。ただそれを伝える術がなかったので、本当に地獄のようで、とても辛かったと話します。

また、耳が聞こえていたころから「どうして身体のどこも動かせないんだろう…」とは感じていました。身体に麻痺が残ってしまったことについて「悔しくて訳がわからなかった」といいます。

退院後、さらに麻痺への自覚が強まり「誰にも会いたくない、外にも出たくない」という気持ちに。
「これまでの自分とは別人になってしまったことが、到底、受け入れられませんでした」と語ってくれました。

壮絶なリハビリに必死で取り組み…

事故後、ICUで意識のない状態でも、樹希さんには刺激を与えるリハビリが施されました。

生命の危機を脱した1週間後から、関節が固まらないよう手足を動かしてもらったり、血圧の変動をみながら少しずつ身体を起こしたり、3週間経つころには車いすにも乗せていただけましたとお母さんはいいます。

大きなリクライニングの車いすや起立台を使うなど、早期離床が回復のカギとされ、積極的に身体に刺激を与えていました。

リハビリの様子(@juki.0425.1106.wbdより提供)

意識が戻ってからは、PT(足のリハビリ)OT(手のリハビリ)ST(言語のリハビリ)すべてを行いながら、少しずつ回復していきました。足のリハビリは毎日100mの歩行訓練、手のリハビリは右手を使う訓練、言語のリハビリでは食べる訓練、発声訓練と壮絶なリハビリに必死に取り組んだ樹希さん。退院までには1年半かかりました。

1年半の入院を経て退院(@juki.0425.1106.wbdより提供)

退院後、樹希さんは大変だったことについてこう振り返ります。

「自分ひとりではできないことが多く、誰かの手を借りる必要があります。たとえば飲みものさえ飲めない、起き上がることもできない、生きていく上での生活そのものがひとりではできないので、自分で行動できません。また言語にも麻痺があるため、なかなか言葉をわかってもらえない、伝わらない、というのも大変な点でした」と。

現在もまだひとりでは寝返りさえできない状態で、着替えや洗面、身の回りのことや車いすへの移乗まですべてお母さんやヘルパーさんの手を借りています。ですが、自分で食事をとれたり、車いすの操作ができたりと、できることも増えてきました。

「少しずつ取り戻せてきていることもあるので、これからもリハビリでできるようになることを増やしていきたいです」と樹希さん。

お母さんの決意(@juki.0425.1106.wbdより提供)

お母さんは「自分の一生の人生を息子に使う」と決め、全力で支えてきました。そんなお母さんに対して「自分の介護をさせてしまって申し訳ないこと、絶対に回復してお母さんに楽をさせてあげたい」と、樹希さんにはふたつの気持ちが湧いたのです。

また「とても強いパワーも湧きました。必ず取り戻してみせる!という強い決意みたいなものが生まれました」といいます。

ずっと女手一つで樹希さんを育ててくれたお母さん。事故は、まさに「これからお母さんを楽にさせてあげられる」と思っていた矢先の出来事でした。そのため、そのショックはかなり大きいものでした。しかし「母がこうして寄り添ってくれるおかげで前を向くこともできたので感謝しかないですし、必ず恩返しをしていきたい、そう思っています」と話す樹希さん。

すべてをサポートしてくれているお母さんは、樹希さんにとって、介護もそうですが気持ちの面でもとても支えてもらえる存在。どんなときも明るく、笑顔でいてくれるお母さんに対して「前向きになれるのは母のおかげだと思っています」と樹希さんは語っていました。

諦めずに挑戦することで、未来は変えられる

樹希さんは自分自身のことをSNSで発信し、また車いすモデルとして活動しています。

事故によって身体の機能を失い、一度は絶望へと落ち、生きることも諦めたくなることもありました。
しかし、どう生きるか、生きていくかをお母さんと一緒に考えたときに、一生このまま隠れた生活をして、人生を諦めてただ生きていくのだけは嫌だと思ったのです。

そして勇気を振り絞り、SNSで発信をすることに。そして、何万人という方々からの応援エールが届いた樹希さんは胸を打たれました。
「世の中には苦しんでる人がたくさんいて、それは決して僕だけじゃない、そうパワーをもらえたのです」と。

そこで「自分のように人生を挫折した方々や、辛く苦しみの中にいる人々に、僕の存在で少しでも勇気や力を届けたい!」という思いが芽生えます。そしてSNSの世界だけではなく、モデルとして社会に出てもっと大勢の方に届けたいという思いから、障がい者専門芸能事務所「アクセシビューティーマネジメント」のオーディションに挑戦し、合格をつかみ取りました。

樹希さん(@juki.0425.1106.wbdより提供)

樹希さんは車いすモデルとして、重い障がいを負ったとしても、人生はやり直すことができるし、諦めないことの大切さを伝えていきたいと話します。
「今はまだひとりでできないことも多いですが、できるかできないかではなく『やるかやらないか』が大切だと思っています。どんなに困難なことでも挑戦すれば、未来は変わります。たとえ結果が出なくても、その経験が自信につながります。僕のように重い障がいがあっても夢を叶えられること、この素晴らしい仕事を通じて夢や希望を届けられることを、多くの人に伝えたい。そして、諦めずに挑戦することで未来は変えられると、もっとたくさんの人に知ってもらいたいです」と。

樹希さんは「障がいがあっても、モデルとして、プロとしての意識を持ってお仕事をさせていただいています」と語ります。
今後はもっとさまざまな分野で、自分だからこそ伝えられること、自分らしさを届けられることをCMやテレビ、舞台などを通して挑戦していきたいと話していました。

また、言語障がいがあっても大好きな歌を歌い、多くの人に聴いてもらいたいという思いで、日々発声訓練に励んでいます。
「いつか音楽に関わるお仕事にも挑戦してみたい」と語ってくれました。

お母さんの思い

事故に遭い、もしかしたらこのまま一生、植物状態のままかもしれないと言われていた樹希さん。お母さんは樹希さんが目を覚ましてくれたとき(呼びかけに反応を示してくれた)は、それまでとは違う涙と感情が全身から溢れたと話します。

「命があるだけでもありがたいことですが、意思の疎通ができることは奇跡のように感じました。『生きている、人間なんだ』と実感した瞬間でした。代わってあげられない辛さや悲しみに苦しむ中で、ほんの少し救われた気持ちにもなりました。同時に、「どこまで回復できるのか」という期待と不安が芽生えました」と。

お母さんと樹希さん(@juki.0425.1106.wbdより提供)

また、毎日過酷なリハビリに励む姿から「また身体を取り戻したい」という強い気持ちがお母さんには痛いほど伝わってきました。そこでお母さんは「私はそのためにどんなことでもサポートしよう、そして寄り添っていこう」そう思ったのです。

これだけの重い障がいを負っても、夢や希望を持ち、実現に向けて全力で努力している樹希さんのことを、ひとりの人間として尊敬していると話すお母さん。
「自分だったらどう生きていただろう、そう考えたとき、同じような行動には行き着けなかったので」といいます。

「息子は夢を見つけ、目標を持ち、イキイキと生きている」と現在の樹希さんについて語るお母さん。
「母として私にできることは、息子が悩み、壁にぶつかり、気持ちが落ち込んだときに寄り添うこと。そして、どんなときも一番の味方であり、夢を追いかける息子の最大の応援者でいること。さらに、いつかは私ではなく多くの仲間と共に生きていける環境を整えておくこと。それが私の使命だと思っています」と樹希さんへの思いを話してくれました。

突然の事故により、生活が180度変わってしまった樹希さんとお母さん。突然の出来事に、戸惑いを隠せなかったはずです。ですが、二人三脚でどんなことがあっても諦めずに乗り越えてきました。

「ひとりの人間として尊敬している」とサポートをしていくお母さん、そして重い障がいがあっても、決して諦めずに挑戦する樹希さん。お二人の姿に心を打たれた方も多いのではないでしょうか。

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