大学時代のアルバイトがきっかけで福祉に興味を持ち、教員免許を取り直して特別支援学校の教員になった、渋谷祥平さん。7年間の教員の中で本当に自分がやりたいことや実現していきたい社会について気づき、今年の3月に教員を退職しました。
「その人のいいところが輝いて暮らせる社会であってほしい」
セカンドキャリアを歩みはじめた渋谷さんに、その思いの変遷と今後の展望についてお話を伺いました。
計画を白紙に戻し「福祉」の道へ
大学時代、国際系の学部で学んでいた渋谷さん。障害者福祉との出会いは、放課後などでデイサービスのアルバイトとして働きはじめたことがきっかけです。新聞の折込に入っていた求人チラシを、特別支援学校の教員であったお母さんが見せてきたことで「一度やってみよう」と思い始めた仕事でした。
実際に働き、子どもたちに関わりはじめると、自閉症の子どもがピョンピョン飛び跳ねる行動など、彼らの持つさまざまな特性に興味を持ちはじめました。次第に「この子たちがどうしたら輝くのか」と考えるようになり、夢中になって勉強するようになります。
そして次第に、目の前の子どもの幸せが、周りの人々や社会全体の幸せにつながることを知り、福祉の世界に強く魅了されました。
「たとえば、障害のある子どもを持つご家族が、子どもを預けている間に喫茶店に行くなどをして、ちょっと息抜きをしてもらってもいいのかなって」
そういったささいなことでも、誰かの幸せに貢献できていることにやりがいを感じたと渋谷さんはいいます。
大学3年生だった渋谷さんは、当時興味のあったマスコミ業界への就職に向けて準備を進めていました。しかし、アルバイトをする中で、自閉症や知的障害の人のサポートをしたい思いが強くなり、福祉の道へ舵を切ることに。その際は、アルバイト先の先輩にキャリア相談に乗ってもらったそうです。職場から『ぜひ働いてほしい』と声をかけられた一方、福祉業界の厳しさも聞き、公務員である特別支援学校の教員を選びました。
そこで、大学卒業後に教育大学に1年通い直し、特別支援教諭免許を取得。そして、採用試験を受けて合格し、教員としてのキャリアをスタートさせました。
教員をしたからこそ気づいた「本当に自分がやりたいこと」
最初の赴任先は特別支援学校の高等部で、知的障害のある子どもたちの担任をしました。数年後、中学校の通級指導教室へ異動。そして再び、特別支援学校の中学部の担任をしました。
教員として7年の歳月が経ち、渋谷さんはこのようなことを感じはじめました。
「この子たちの“ありのまま”を生かしたい」
特別支援学校で働くようになり、子どもたちの字や絵に触れる中で「きれいさ」や「ていねいさ」にこだわらないその表現に、とても魅力を感じるようになりました。そんな渋谷さんは、自由帳に彼らが思いのままに字や絵を描く姿を見るのが好きでした。
そして「彼らに書き順や文字の大きさなどのルールを教えるのは、どこか間違ったことをしているんじゃないか」と思います。
とはいえ、学校では子どもたちが社会生活を送れるように、ルールやスキルを教えるのは当然のこと。また、大人数で生活する上では、画一的にしなければ生活が回らないのも事実です。教員として学校に勤めているからこそ理解できる反面、多様性を尊重したい自分がどんどん枠にはまっていくことに葛藤するようになりました。
しかし、そんな中でもやりがいを感じられたことがありました。
それは中学校の通級指導教室での支援です。そこでは、学習障害や発達障害などで学習面やコミュニケーション面につまずきのある子どもたちのサポートを1対1で行いました。
「自分に心を開いてくれて、ここが居場所になっていく。話をしたあと、スッキリとした顔で帰ってくれる。そう感じられたときに『自分、いい仕事ができたかもしれない』と、充実感と幸福感でいっぱいになりました」
そして、再び特別支援学校へ異動し、中学部の担任となった渋谷さん。1対1でのサポートの機会が減ったことで、自分が「集団で教える」より「個に寄り添う」ことにやりがいを感じられると、より強く感じたのです。
しかし、どこに異動してどのような業務に携わるかは自分で決められません。自分のやりたいことが明確になってきたからこそ「自分で決めて人生を歩んでいきたい」 と考えるようになり、教員を退職する決意をしました。
「教育」「福祉」の枠を超えて 渋谷さんの挑戦と願い
退職後、個にかかわれるということで学習塾の講師として働きはじめた渋谷さん。しかし、やはり「教える」ことが自分には向いていないと感じはじめるようになります。
そんなとき、昨年まで働いていた特別支援学校の中学生たちの宿泊学習に、手伝いとして参加しました。久しぶりの再会に子どもたちは大喜びで、ハグまでしてくれたそうです。
ある子は片手で1、もう片方の手で4を作って一生懸命に渋谷さんに何かを伝えようと、寄って来てくれました。
「1年4組だったんですよ。だからそれを言ってくれたんだと思ったんですが、家に帰って振り返ってみたら『14歳になったよ』っていうのをアピールしていたんだなと思って。わ〜、自分のキャッチするスキルが衰えているなって感じました」と語ってくれました。
「このストレートな表現、そしてこの距離感と温もりがたまらない。自分は『教えたい』のではなく、この子たちと一緒に学びたい。ともに人生を歩みたい」
そう感じ、学習塾を退職することにしました。
「その人のいいところが輝いて暮らせる社会であってほしい」
これは渋谷さんの願いです。ここまでの話を踏まえると、この「人」とは「障がいのある人」だと捉えられそうですが、決してそうではありません。私たち一人ひとりのことを指しています。
「教育、学校、障害、福祉…自分の思いはその枠にとらわれたものではありません。社会全体として、一人ひとりの個性が輝いて暮らせる世の中であってほしいんです」
そんな渋谷さんは、退職後からSNSやブログなど、個人の情報発信のサポートを行うチームの編集者としての仕事もしています。
クライアントには会社の経営者や障がいのある方もいて、サービスの利用目的も趣味で日記を書くことを楽しみたい人や、エッセイストの夢を持っている方などさまざまです。いろいろな枠を取っ払い、それぞれの背中を押して応援できるサービスに共感し、チームに参加しました。
クライアントとは、話しているうちに人生相談をされることも多いそうで、渋谷さんは自分の得意を生かせるこの仕事に、日々やりがいを感じているといいます。
「福祉や教育という枠に収まってない、エネルギーを持ってる人と仕事がしたい」
この熱い思いを実現するため、今は初めてのことや興味のあることに対して、まっすぐにエネルギーを注ぎ、学びを深め、そのときを待っています。
どのような人も、その人らしさを生かして暮らせる社会を目指し、次のステージへ進む渋谷さん。今後の活躍がますます期待されます。