生後2ヶ月の息子に違和感…その後、大学病院で判明した命に関わる病とは。母の思いに迫る

生後2ヶ月の息子に違和感…その後、大学病院で判明した命に関わる病とは。母の思いに迫る
外で遊んで帰宅後(@umihi2020.11.05さんより提供)

色素性乾皮症A群という難病を知っていますか?
この病気は、日に当たると異常に激しい日焼けの反応が生じるため、日中は外に出るのが難しいです。やがて身体の機能低下が始まり、歩行困難や言語消失、そして長くは生きられないとまで言われています。現在治療法がないこの病気を患っている海陽くんのご家族は「難病が難病ではなくなる世界を目指しています!」とSNSで発信しています。

今回は海陽くんのお母さんに、海陽くんの日常生活やサポート、治療法がない中どのように向き合っているのかなどを聞いてみました。

生後6ヶ月で色素性乾皮症と診断

2021年1月25日と26日、海陽くんが生後2ヶ月のとき、両親と姉、兄の5人家族で旅行に行きました。季節は真冬だったため、海陽くんは生後2ヶ月ということもあり、全身包まって抱っこ紐で抱っこされている状態でした。

次の日の1月27日昼ごろに「なんだか赤く腫れてきている…」と異変に気づいたため、その次の日にかかりつけ医を受診。しかしひどく膿むこともなく、見た目は日焼けで診断も日焼けということでした。そこで様子を見ながら生活をしていたところ、10日くらいで元通りになったといいます。

一度目の日焼け(@umihi2020.11.05さんより提供)

しかし、2月11日の祝日のこと。この日は晴れてポカポカ日和でお散歩には最適でした。お母さんは子どもたちとお散歩をしながら近所の公園に行き、3時間ほど外出します。

外で遊んで帰宅後(@umihi2020.11.05さんより提供)

帰宅後はなにもありませんでした。しかし、その次の日2月12日の夜、海陽くんの顔は赤く腫れあがっており、日焼けとはいえない状態。そこで2月13日の朝一番でかかりつけ医に駆け込みます。そして「普通の日焼けじゃないから…」と紹介状を書いてもらい、大学病院に予約をとることに。

2月13、14、15日のこの3日間が日焼けのピークで一番ひどいときでした。海陽くんは皮膚が剥けてぐじゅぐじゅに膿み、体液も出ており、中の赤い皮膚が見えている状態。
「とても痛かったと思います…」とお母さんは振り返ります。

「このときは本当に辛い状況でした」と、まだ生後3ヶ月の海陽くんは、寝るときと授乳以外は痛くてずっと泣き続けていました。

大学病院への受診には時間があったため、お父さんもお母さんもインターネットで検索ばかりしていたといいます。
「あらゆる論文を片っ端から読みあさり、寝不足なんて言葉は通り越して、夫婦共に倒れる寸前だったと思います」と。どうやっても検索でたどり着くのは「色素性乾皮症」という言葉でした。

どうにかしてなんとか違う方向に持っていきたくて、いろいろな方面から検索をかけても「色素性乾皮症」という言葉にたどり着く日々。お母さんは「この3日間で人生の涙をすべて使い果たしたと思います」と語ります。しかし、当時お姉ちゃんは5歳、お兄ちゃんは3歳。まだまだ幼い子どもたちがいたため、なんとか生活だけは送っていたといいます。

2021年3月15日大学病院を受診、そして2021年4月15日に別の病衣で受診し検査。2021年5月27日に海陽くんは生後6ヶ月で「色素性乾皮症」と診断を受けました。

海陽くん4歳の誕生日(@umihi2020.11.05さんより提供)

2024年11月に4歳になった海陽くん。現在、太陽にあたることができないこと以外に発達が遅れているといいます。同じ4歳の子たちと同じようにお話ができないため、療育やOT、STに通い、発達事業所が運営をする幼稚園に通っています。現在、両親が本当に悩んでいることは2年後の小学校のことでした。

小学校に紫外線カットフィルムを貼ってもらわなければならず、その費用もあるため、少なくとも2年前から相談してくださいと聞いていたのです。しかし今年の夏ごろ、市役所に問い合わせをしたところ「小学校を決定するのは、小学校に入学する数ヶ月前の就学前検診なので、それまでは回答できません」ということでした。

「聞いていた話と噛み合わなくて、今どうしようかと悩んでいます…」とお母さんは語ります。

※OT(Occupational Therapist)…作業療法士。医師の指示のもと、絵画制作や園芸、手芸、工作、遊びなどを通して、日常生活動作の改善や手先の訓練、治療を行います。
※ST(Speech Language Hearing Therapist)…言語聴覚士。コミュニケーションや摂食・嚥下(えんげ)機能に障害のある人を対象にリハビリテーションを行います。

「うみちゃんは生きてるよ!ひなとゆうみが守るから大丈夫だよ!」

海陽くんはまだ4歳ということもあり、自身が病気ということはわかってはいません。しかし、外にいきなり出てはいけない、 防護服を着けなければいけない、手には靴下を着けなければいけないということはわかっているといいます。そのため、いきなり外に出てしまうことはありません。

外に出るときの海陽くん(@umihi2020.11.05さんより提供)

必ずお母さんに「ぼうしは〜?」「手は〜?」と確認してくれると話します。
「まだ遊びたい盛りの4歳の男の子なのに、その姿が助かる反面、ときどき心がギュっとなります」

海陽くんにはお姉ちゃんのひなちゃん、お兄ちゃんのゆうみくんがいます。海陽くんの病気が分かったとき、ひなちゃんは5歳、ゆうみくんは3歳でした。海陽くんの日焼けがひどく、お母さんが人生の中で1番泣き続けた3日間には意味はわからないながらも、何かあったと悟ってくれていたのです。

そんな2人から出た言葉は「うみちゃんは生きてるよ!ひなとゆうみが守るから大丈夫だよ!」

泣き続けるお母さんに言ってくれたその言葉で、お母さんにはスイッチが入り、そこからは決して泣くことはありませんでした。少し潤んだとしても、あの3日間のように泣くことはこの4年間一度もないといいます。

「それはひなとゆうみのおかげです」
忘れてはいけないもの、守らなければならないもの、やらなくてはならないものに気づかされ、心臓に杭を打った感じだったといいます。

ひなちゃんとゆうみくんには、数えきれないくらい助けてもらっていると話します。防護服を着けている海陽くんを見て、道行く人や、公園で遊んでいたお友達、ひなちゃんとゆうみくんの幼稚園の送迎などで見かけた幼稚園のお友達やその保護者の方々から「なんでそんな格好しているの?」と聞かれることも多くあったのです。

そんなときには、必ずお母さんより先に「海陽は太陽に当たれない病気なんだよ!だから帽子をかぶっているの!この帽子はね、ママが手作りしたんだよ!すごいでしょ」と言ってくれるといいます。

お母さんの工夫も(@umihi2020.11.05さんより提供)

その温かさに何度助けられたことか…とお母さん。そして、いつも海陽くんが太陽に当たってしまうことがないように見守ってくれるのです。そうした2人の姿に「嬉しい反面、ありがとうとごめんね…という気持ちが入り混じるのが本音です」といいます。

またひなちゃんとゆうみくんに、海陽くんの病気について簡単に説明はしていました。しかし太陽に当たれないだけで、治ると思っていた2人。

姉弟3人で(@umihi2020.11.05さんより提供)

2021年3月19日に開始した海陽くんのInstagramは、まだ色素性乾皮症A群と診断を受ける前でした。このInstagramをすぐに読売テレビさんが気づいてくださり、生後半年からドキュメンタリーを撮っていただいたといいます。

その海陽くんのドキュメンタリーや24時間テレビへの出演などから、2人は海陽くんの死に気づきます。気づいたのは昨年のこと。2人はときどき、海陽くんの死を感じるときやもしかしたらずっと一緒にいられないかも…と意識したときに泣いているといいます。声をあげて泣くことも、ひっそりと隠れて涙を流すことも…。

「まだ7歳と8歳の子どもたちですが、死というものを感じています」

海陽くんのお母さんがInstagramを開始した理由は3つありました。1つ目は、世界中の中で海陽くんを治せる人や、お金をたくさん持っていて海陽くんにそのお金を使ってくれる方を探すためです。2つ目は、検索してもわからない情報を知るため。3つ目は、先に私生活を見せることでひなちゃんとゆうみくんがいじめられないようにするためだと話します。

4年前と変わることなく「海陽を治す」それを信念に…

海陽くんは、水木金の週3日だけ幼稚園に通っています。月、火曜日は自宅でお母さんと共に生活をしており、それが今ちょうどよく思えるといいます。もし週5日幼稚園に通えたとしたら、お母さん自身も動ける時間と仕事もできて、助かることはあります。しかし週2日、べったりと海陽くんといられる環境に助かっており、週5日だとしたらまだ少し寂しく思う…と話してくれました。

海陽くん自身はお母さん以外の大人の方、先生方やお友達と関わることで、家では経験できないことをたくさんさせてもらえて、とても楽しんでいるといいます。

「海陽にとっても家だけにいるのではなく、そして海陽にとっては今が1番動ける、活動できる時間になります。歌って踊って、お外遊びやお友達とお散歩もして、ときにはお友達と玩具を取り合って泣いて、そんな素敵な時間を目一杯楽しんでほしいと思います」

海陽くん一家(@umihi2020.11.05さんより提供)

海陽くん家族の願いは、4年前と変わることなく海陽くんを治す、ただそれだけです。
「それだけを信念に今を生きています」 と…。

しかし、現在治療法はなく、薬ができても認可されるまでの年数、海陽くんに届くまでの年数についても理解しています。できたら海陽くんに間に合うように治療法が見つかってほしい、もし間に合わなかったとしても、この先に同じ病気で生まれてくる子たちのためにも治療法を見つけ出したいというのがご家族の願いです。

そのために、InstagramやYouTubeでさまざまな発信をしています。

そしてお母さんは、海陽くんのおかげでもう一つ目標を持ちました。それは、海陽くんの絵本を出すこと、そして自身が絵本作家になることです。
「しっかり収益を得たお金で、色素性乾皮症の家族会やその他の難病支援、そして小児がんへの寄付などをしていきたいと考えています」

「いつか世界の貧困で苦しむ地域へも絵本を届けたい」それがお母さんの夢です。
Instagramで、皆さんの投稿のハッシュタグに「#海陽#難病に負けるなと入れていただければとてもうれしい」と何度も呼びかけています。

それには「何百万のフォロワーがいたら、国や大きな会社やまだ見ぬ天才が動いてくれるかもしれない、世界中の人と繋がりたい、もっと研究者たちが研究だけに集中できる環境を作りたい」という思いがありました。

まだ治療法がないとは言われていますが、海陽くんのお母さんの発信によって、こうした難病への理解や治療法が見つかることを願うばかりです。

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