「風邪だと思っていたら白血病だった」
そのようなことが突然、自分や周りの人に起こったらどう思いますか?
「しんたろ。」さんは風邪だと思っていたら、その後、急性骨髄性白血病と診断され「一週間受診が遅かったら死んでいたかもしれない」と告げられます。病気が判明するまでのことや、闘病生活、またSNSで自身のことを発信していく理由などについて聞いてみました。
※急性骨髄性白血病…骨髄芽球(白血球になる前の未熟な細胞)に異常が起こり、がん化した細胞(白血病細胞)が主に骨髄で無制限に増える病気です。
最初は風邪と診断され…
急性骨髄性白血病と診断される10日前の2024年1月22日、しんたろ。さんは喉の調子が悪く、声が出しにくいことに気づきます。そして、7日前には寒気や頭痛、40度を超える発熱がありました。その日に地元の総合クリニックを受診し、PCR検査を受けましたが、コロナもインフルエンザも陰性。
しかしそれからも熱は下がらず、熱が41度にまで上がり、喉の痛みでつばも飲み込めないくらいに…。5日前に、再び同じクリニックを受診し、再度PCR検査をしましたが結果は陰性でした。
医師に喉の奥の診察をお願いしましたが「異常はない」との答え。しんたろ。さんは「詳しく診てくれる病院を紹介してください」とお願いし、医師は他の病院に電話をかけてくれましたが、どこも混んでいて繋がりませんでした。結局「来週の月曜日にまた来てください」と言われ、その日は帰宅。
4日前、痛みのため食事が取れなくなり、救急車を呼ぼうかと考えます。しかし「風邪」と診断された状況で救急車を利用することに迷いがあったといいます。そこで奥さんが救急外来を探してくれましたが、適切なところが見つからず断念。
3日前、奥さんと一緒に再度クリニックを訪れましたが、医師が電話をかけても繋がらず、結局「近くの耳鼻科にする?」と言われました。適当な対応に困惑しましたが、耳鼻科への紹介状を書いてもらうことに。それを待っている間、奥さんが探していた病院に連絡が繋がり、無事に診察の予約が取れたのです。
予約が取れた病院では「上咽頭炎」と診断され、自宅での療養を続けることに。医師からは「これでも体調が戻らなければ、ご自宅近くの耳鼻科を受診してくださいね」と言われました。
「やっと悪夢から解放される」と思いましたが、それでも体調は改善しません。そこで、白血病発覚の2日前の1月30日に耳鼻科を受診します。耳鼻科の先生は熱心に話を聞いてくださり、採血を行うことに。その結果は2日後に出る予定で、その間も体調が改善することはありませんでした。
白血病発覚の当日の2月1日、耳鼻科の先生から「白血球に異常があります。すぐに総合病院に行ってください」と紹介され、緊急で向かうことに。そして骨髄検査を受け「急性骨髄性白血病です。あと一週間遅かったら亡くなっていましたよ。5年以上の長期生存を目指して治療を頑張る必要があります」と告げられたのです。
急性骨髄性白血病と告げられたとき、正直「死」を覚悟しましたというしんたろ。さん。
「診断を受けた瞬間、頭の中が真っ白になり、恐怖や不安に押しつぶされそうでした」といいます。
しかしその後、大学病院で詳細な説明を受けた際に、医師から「まだ生きられる可能性はある」と言われます。そこで、しんたろ。さんは少しずつ気持ちを切り替え「前向きに頑張ろう、どうにかなったときはそのときだ」と自分に言い聞かせ、できる限り前向きなメンタルを保つように努めたのです。
そして、まだ3歳の娘さんに対し「家族を残して先に逝くわけにはいかない」という強い思いが自分を支えてくれたと語ります。
「妻も同じようにショックを受けていましたが、私のそばで共に闘う決意をしてくれました。妻の存在は、私にとってとても大きな力でした。どれだけ不安や恐怖を抱えていても、家族のために生き抜くという強い意志が毎日の闘病生活の支えになっていました」
そして、急性骨髄性白血病と診断されたしんたろ。さんの治療が始まりました。
「絶対に諦めない」
しんたろ。さんが最もつらかったのは、治療による副作用。特に放射線治療の後、非常にひどい口内炎に苦しみ、口を少し動かすことでも激しい痛みを伴って食事はまったく取れず、約1ヶ月間は絶食状態。その間、味覚も失われており、何を口にしても味を感じることができなかったといいます。喉も腫れて、息が非常にしづらい状況でした。
さらに、骨髄移植は半合致のドナーから行ったため「ハプロ熱」と呼ばれる40度を超える発熱が毎日のように続きました。それに加えて、頭痛や吐き気もひどく、全身が限界に達しているように感じたといいます。また、放射線の影響で膀胱炎も発症し、トイレに行く回数が増える中、排尿時には激痛が伴いました。
「こうした痛みの中での毎日は、精神的にも身体的にも非常につらいものでした」
激しい痛みを和らげるためには、医療用麻薬を使わざるを得ない状況。
「それでも家族の存在を思うことで何とか耐えることができました」と語ります。痛みや苦しみの中にあっても「この状況を乗り越えれば家族とまた普通の日常を過ごせる」と自分に言い聞かせることで、少しずつ前に進むことができたのです。
しんたろ。さんは「絶対に諦めない」という強い意思を持って、前向きに治療と向き合いました。その理由には、もともとポジティブな性格だったことと、何より家族の存在が非常に大きかったからでした。
「もともと、どんな状況でも『どうにかなるさ』という楽観的な考え方を持っていましたが、病気との闘いの中でその考え方が本当に力になりました。しかし、それ以上に大きな理由は家族でした。特にまだ小さかった娘の存在は、私にとって生きるための最大の動機に。娘が成長する姿を見たいという気持ちが、どれほどつらい日々であっても諦めない力となったのです。また妻も私と同じように前向きでいてくれました。私を支えてくれたことは、言葉では言い尽くせないほどの励ましでした。どんなにつらいときでも、妻と娘とテレビ電話する際の笑顔を見ることで『自分は一人じゃない、これを乗り越えられる』という強い意志を持ち続けることができたのです。だからこそ、私は『絶対に諦めない』という強い決意を持ち続け、闘病生活を乗り越えることができました」
現在の病状については、いくつかの症状がありますが、全体的には良好な状態だといいます。
日常的に悩まされている症状は、上半身を中心とした乾燥や湿疹が出ていること。ときどき吐き気を感じ、実際に吐いてしまうことです。また特に夜になると薬の影響からか体調が悪化することが多く、そのせいで寝つきが悪くなることもあるといいます。
「幸いなことに病気の再発はしておらず、つらい症状もありますが、全体的に見れば状態は安定しています」としんたろ。さんは現在の体調について話してくれました。
「生きていけるんだ」という希望を届けたい
しんたろ。さんは、急性骨髄性白血病と診断された自身の闘病についてSNSで発信しています。それには、同じように急性骨髄性白血病を抱えた方々に「生きていけるんだ」という希望を届けたいという、しんたろ。さんの思いがありました。
急性骨髄性白血病と診断されたとき、当初は未来に対する不安が大きく、どうなるかわからない状況でした。しかし、治療を経て少しずつ前に進む中で「同じような病気で苦しんでいる人々に自分の経験を共有することで、少しでも力になれたら…」と感じるようになったのです。
インターネット上で他の患者さんの体験談を読み、しんたろ。さん自身も勇気づけられていました。そこで「自分自身の経験をもとに発信することに価値があると信じました」といいます。また、万が一しんたろ。さんの命が絶たれてしまったとしても、この記録が残ることで「私がここでどのように生きていたかを誰かに伝えられる」という思いもありました。
「それは、家族や友人、そして同じ病と向き合っている方々に向けた『生き抜こうとする姿勢』の証になると考えています。だからこそ、私は現在X(旧Twitter)やYouTubeを通じて自分の闘病生活を発信しています。それは、ただの記録ではなく、同じ道を歩む誰かへの励ましのメッセージであり、そして自分自身への決意の証でもあります」
SNSでの発信を始めてから、本当にたくさんの温かい応援メッセージがしんたろ。さんに届きました。
「その一つひとつがとても励みになり、どれだけ支えられたかわかりません」といいます。
「入院中は特に孤独や不安に襲われることが多かったのですが、皆さんからのメッセージがそのたびに私の心を温めてくれました。これがなければ、あの時期を乗り越えるのはもっと難しかったと思います」
現在は移植も無事に終わり、退院することができたしんたろ。さん。
今でも多くの方から応援の言葉をいただいており、しんたろ。さんにとって生きる希望やエネルギーを与えてくれる存在となっています。そのため「皆さんからいただいた応援に感謝し、その恩をいつか返したいと思っています。今度は私が皆さんを励まし、前向きな気持ちを伝えられる存在になりたいと感じています」と話していました。
そして「こうして支え合うことで、困難な状況も少しずつ乗り越えていけると信じています」と、支え合うことについての大切さも語ってくれました。
小さな幸せが何よりの宝物
しんたろ。さんにとってご家族の存在は生きる理由そのものでした。
「特に闘病中、妻や娘の存在がなければ、ここまで頑張ることはできなかった」と断言できると語ります。
家族はつらいときでもしんたろ。さんにとっての光であり、どれほど厳しい状況でも支えてくれる存在。奥さまは病気と向き合う日々の中で、常にそばにいて、共に悩み、共に喜び、そして共に闘ってくれたのです。
「その強さと優しさには何度も救われました。妻がいなければ、病気と戦う気持ちを保つことは難しかったと思います」
また、幼い娘さんも大きな存在でした。娘さんの笑顔や小さな手を握ったとき「この子のために絶対に生き抜くんだ」と心の底から決意を新たにすることができたのです。
これからの家族との日々について「ただ普通の生活を取り戻したい」と語ります。
「娘と一緒に遊び、妻と笑い合い、当たり前のことを楽しむ、そうした小さな幸せが私にとっては何よりの宝物です。病気を経験したからこそ普通の日々の大切さや、一緒に過ごす時間の尊さが身に染みています」
今後は家族に支えられて生きてきた分、家族を支え、より多くの幸せを共有できるような日々を過ごしたいといいます。そして「どんなに小さなことでも一緒に喜び、困難も共に乗り越えることで、さらに強い絆を築いていきたい」と願っています。
多くの方へ勇気を与えられる存在になる
そして、今後挑戦してみたいことは、まず今進めているYouTubeでの発信を継続し、さらに多くの方へ勇気を与えられる存在になること。
白血病患者としての経験をシェアし、闘病中の方々が「自分も前に進める」と感じられるような内容を提供したいといいます。
「YouTubeでの活動自体が私にとっては新しい挑戦ですが、さらに幅を広げ、病気を乗り越えた後の楽しさや、日々の生活の中で見つける小さな幸せもシェアしていきたいと考えています。それにより病気と闘う人々だけでなく、その家族や支えてくれている方々にも少しでも希望や安心を感じてもらえたらと思っています」と今後の考えを話してくれました。
また体力が回復したら、以前のようにバイクに乗ってツーリングに出かけることもしたいと語るしんたろ。さん。
「自然の中を自由に駆け抜けるあの感覚を再び味わいたいですし、その様子をまた動画にして皆さんと共有できたらと思います。そして、同じ病を乗り越えようとしている方々に『治療が終わったらこんな楽しみも待っているんだ』ということを伝えられればと願っています」
カメラで写真を撮ることも好きなしんたろ。さんは、それも私の人生の大切な一部だと話します。
「美しい風景や、日常の中にある素敵な瞬間を写真に収め、それをフォロワーの皆さんと共有していきたいです。病気の経験から、どんな小さなことにも美しさを見出すことができるようになり、その感覚を一緒に分かち合いたいと思っています」
さらに、家族と過ごす時間をもっと充実させたいといいます。
「娘と遊んだり、妻と一緒に旅行に行ったり、何気ない日常の中にある幸せを大切にし、そこに挑戦と楽しみを見つけたいです」
今後の目標は、こうした挑戦を通じて、闘病生活で得た気づきや学びを少しずつ形にし、皆さんに希望と勇気を伝え続けることです。
風邪だと言われ、後に急性骨髄性白血病との診断を受け、あと一週間遅かったら亡くなっていたかもしれない、と突然告げられたしんたろ。さん。
「こんなことがあるんだ…」と驚いた方も多いでしょう。
それでも「絶対に諦めない」と病気と向き合い、家族の支えもあって乗り越え、退院することができました。しんたろ。さんの投稿から「当たり前の毎日は当たり前ではない」ということを感じさせられます。そして、何気ない日常の中にある幸せを見つけて楽しみ、挑戦をしていくしんたろ。さんの姿に力をもらえた方も多いのではないでしょうか。