ある日、左半身が急に動かなくなり…その後『意識を失った』20歳の男性。…6日後、目が覚めて知った理由とは。 現在看護師として働く彼に迫る

ある日、左半身が急に動かなくなり…その後『意識を失った』20歳の男性。…6日後、目が覚めて知った理由とは。 現在看護師として働く彼に迫る

ある日突然、体の半分が麻痺してしまったらどうしますか?

看護師として働いている、現在24歳のうっしーさん。20歳のとき、前日までは走ることができていたのに、突然左半身が麻痺しました。救急車で運ばれたときには昏睡状態で、意識が回復したのは6日後。うっしーさんは脳動静脈奇形破裂により、脳内出血を起こしていたのです。

そこからうっしーさんは、立つこともできない状態からリハビリを頑張って歩けるようになり、倒れた1年後には仕事に復帰。また、現在は自転車に乗れるようにまでなったのです。

ここまで回復できたことや、こうした経験をしたからこそ伝えたいことなどをうっしーさんに聞きました。

脳動静脈奇形破裂

うっしーさんは准看護師の免許を持っており、20歳のときにもう一つ上の正看護師の免許を取ろうと働きながら夜間の学校に通っていました。

倒れたその日は学校でテストがあったため、夜勤明けで勉強をしていました。そのとき友達から「勉強していないところもテスト範囲だよ」と連絡を受けます。うっしーさんはそのとき横になっていたため、動こうとしたのですが左半身が動きません。

突然動かなくなった左半身にパニックになり、偶然LINEがきた友達に電話をします。このときは午前10時前でした。

そして「救急車に電話して」と友達に一言告げ、意識を失ったのです。病院に運ばれたときには昏睡状態で、遠くに住むお母さんには、病院から「命を助ける手術をします」という連絡があったといいます。

このときうっしーさんを襲ったのは、脳動静脈奇形破裂。そして脳内出血を起こしていたのです。

※脳動静脈奇形…動脈と静脈の間に毛細血管がなく、動脈からの圧力が下がらず静脈にいってしまう先天性の奇形といわれている。
※脳動静脈奇形破裂…脳動静脈奇形が破れ、脳出血やくも膜下出血を起こすこと。

そして、うっしーさんが目が覚めたのは、倒れてから6日後でした。頭の痛みは「バットで強く殴られたような激痛」で、左半身麻痺、脳動静脈奇形破裂ということを聞いたとき、もともと看護師として働いていたことから自分の置かれた状況はすぐにわかったといいます。

「強い痛みと今後のことなど、不安が強かったと今でも覚えています。毎日のように泣いていました」

周りの人の支えと努力で…

意識が回復し、リハビリを開始しますが簡単なものではありませんでした。
「すぐには回復の兆候がみられず、毎日挫折しそうになった」とその苦労を語ります。

しかし、少しずつですが手や足が動くようになり、親や友達、看病してくれるスタッフからの言葉がうっしーさんの励みであり支えとなっていました。

装具をつけて初めて立って歩いたとき(@usi12052さんより提供)

リハビリは、手も足もストレッチを行いながら筋肉の硬さを評価してもらい、基本的な動きや筋トレなどを行ったといいます。

うっしーさんの頑張りや周りの方の支えもあり、意識が回復して2週間目には自力で車いすに移乗できるように。また、排泄に関しても「トイレへは1人で行っていた」と話していました。

一人で歩くうっしーさん(@usi12052さんより提供)

そして、半年もたたずに歩けるようになったのです。それには周りの人の支えと、うっしーさん自身が「前の自分になりたい」と一生懸命リハビリと向き合い、過酷なことやつらいことも我慢して努力を重ねたからでした。

前の自分になりたくて(@usi12052さんより提供)

そして、現在は一人暮らしができるまでに回復しました。
「前ほどではないですが生活はできています。通院は週1回のリハビリと月1回の診察、3ヶ月に1回ボトックス注射という治療をしています」

また、看護師として働いているうっしーさんが、復帰したのは倒れてから1年後でした。
職場には2年弱勤務しており、その都度自分の状態などを報告していたといいます。また、看護師として働きたいことや「ここまでできる」ということなどを上司に伝えていました。そこで状況などを見てもらいながら、最初は書類の整理、検温の結果をシートに記録する、電話対応などの簡単な事務処理から復帰しました。

現在は、注射以外の仕事をしており、左腕も支えることもできるまでに回復したため、浣腸、オムツ交換、車いす移乗介助などをしているといいます。

看護師として職場復帰できたことについて、うっしーさんは「今までつらいリハビリや治療を行い、頑張った自分を褒めたいと共に諦めず、頑張ることで何でもできると思いました」と話していました。

病気になっても諦めないでほしい

歩けるまでに回復したうっしーさんですが、現在も気をつけていることがあります。それは、麻痺しているところをなるべく生活の中で使うこと、ストレッチ、リハビリをすること。また、筋肉の硬さを自分なりに評価してリハビリスタッフや主治医に報告するようにしているといいます。

「少しの変化でも報告しています。親にもなるべく電話などして、生きていること、状態なども話しています」

自転車に乗ったうっしーさん(@usi12052さんより提供)

何度も転んで、それでも練習し自転車にスムーズ乗れるようになったときは、そのうれしさをビデオ通話でお母さんに伝えました。

うっしーさんはSNSで自身のことを発信しています。今後伝えていきたいことは「病気になっても諦めないでほしいこと、絶対支えてくれる人がいること、理解してくれる人がいること」と語ります。

さらに「障がいがあっても普通に仕事、生活などができることも伝えたい」と。
「麻痺の方をもっとよくしていくこと。手は今よりももっと使えるようになること、足は走れるようになることです」と今後の目標を話してくれました。

うっしーさんは「どんなに過酷で、きつくてつらくても周りの人が支えてくれ、それに向き合うことでここまで回復できたと思います」と周りの人への感謝を忘れません。そして「この気持ちを忘れず、自分と似たような境遇の人の支えになれたらと思います!」と語っていました。

前日まで何でもなかったのに、突然左半身麻痺になってしまったうっしーさん。その状況は想像できないほどつらいものだったと思います。しかしその中でつらいリハビリを乗り越え、歩けるまでに回復しました。さらに自転車にも乗れるように。その努力する姿には心打たれます。

うっしーさんは、今後自分自身の経験をいかして、当事者としてまた看護師という立場から多くの人の力となり支えとなっていくでしょう。

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