2歳になった息子が「ぐったりして動かない」違和感を覚え病院へ…その後、腫瘍が見つかる。現在3歳になった彼を襲った病とは

2歳になった息子が「ぐったりして動かない」違和感を覚え病院へ…その後、腫瘍が見つかる。現在3歳になった彼を襲った病とは

クリクリとした目と笑顔が印象的な現在3歳の幸之助くん。健康そのものだと思っていた2歳になったばかりのある日、突然ある病気に襲われます。
お腹に見つかった腫瘍がすでに遠隔転移をしており、小児がんの一種、神経芽腫のステージ4と診断されたのです。
幸之助くんは現在無事に治療が終わり、経過観察となっていますが、神経芽腫は再発率が非常に高く、再発すれば確立した治療方法のない難しい病気です。そして、現在の日本の標準治療では「寛解で退院しても半数以上は再発する」と医師から言われているご両親は、大きな不安と闘っています。
そんなとき幸之助くんのお父さんが見つけたのが、アメリカで昨年末に承認されたエフロルニチンという、神経芽腫の再発リスクの軽減を目的とした飲み薬。しかし、日本では承認されていないため全額自費で購入しなくてはなりません。そこでご両親は、同じ病気で苦しむ子どもたちの明るい未来のため「こうのすけを救う会」を立ち上げクラウドファンディングをしています。

今回は、お父さんに幸之助くんやご家族への思いなどを聞きました。

小児がんの一種、神経芽腫のステージ4

幸之助くんが生まれたのは、2021年2月。2ヶ月で寝返りをし、5ヶ月でハイハイ、8ヶ月ごろには歩き出し、食べることが大好きで健康そのものでした。

ハイハイをする幸之助くん(@konosuke_kico_papaさんより提供)

しかし、2歳になったばかりの2月22日。幸之助くんはぐったりし始めて歩かなくなりました。そこで、かかりつけ医で診察してもらうことに。しかし、感染症ではないようで、お腹の風邪かな…と言われたのですが、数日経ってもよくなりませんでした。

さらに2月25日には嘔吐をしたため、お父さんが京都市立病院へ救急で連れて行き、詳しく検査してもらうとお腹に腫瘍があることがわかったのです。検査結果は小児がんの一種、神経芽腫のステージ4。そこからは幸之助くんはずっと寝たきりで顔もむくみ、まったく動けない状態になりました。

※神経芽腫…体幹(手足を除いた体の軸となる部分)の交感神経節や副腎髄質などから発生する小児がんの1つです。約65%が腹部で発生し、その半数は副腎髄質から発生します。その他では、頸部、胸部、骨盤部などからも発生します。

幸之助くんは病気が判明する直前には旅行にも行って、楽しそうに過ごしていたといいます。ただいつもと違うことといえば、病気がわかる3週間前から食欲が減り、保育園でおかわりをするくらいだったのが残すようになっていたことでした。

病気がわかったときのことについて、お父さんはこう話します。

「とてもつらかったです。毎日現実を受け入れられず自然と涙が止まらない状況で、悪性の腫瘍じゃなければいいなという小さな希望を持って、もっと詳細の検査結果を待っていました。しかしその後、検査で悪い結果ばかり見つかり毎日妻と泣いていました。そして、2月25日に病院に連れて行ったのは私だったので、がんだと知った時はまず、妻が不安にならないようにするためにはどう伝えるべきかとすごく悩みました」

また、幸之助くんのご両親は、セカンドオピニオンや治療に関する情報を積極的に集めていました。それには、基本どこも標準治療はするものの極めて生存率が低く、病院によって神経芽腫の治療方法が違い、チャレンジする治療を行う病院もあったということからでした。

しかし「家で待っている長女や仕事のこともあり、決断することが難しい日々だった」といいます。
2歳上のお姉ちゃんは、幸之助くんが入院していたとき、姉弟別々なってしまっても必死に頑張っていました。

幸之助くんとお姉ちゃん(@konosuke_kico_papaさんより提供)

その後、幸之助くんは約半年抗がん剤治療を行いました。2クールに1回ある一時退院でパワーをチャージし、5クールの抗がん剤治療が終了。
お父さんは「抗がん剤が本当によく効いてくれて、先生からも生命力の強い子だねと言われました。私たちも絶対に治るんじゃないかと思いました」と振り返ります。

しかし、転院先での新たな治療を始めた矢先、肺の合併症になったのです。いつも抗がん剤治療の前に医師から「副作用で合併症を起こす可能性がほんとに稀にあります…」と言われていたとはいいますが…。

「まさか、それに幸之助がなったのかという思いでした」とお父さん。

そのときの幸之助くんは5m歩くと息を切らし、ズボンを履く、脱ぐことでも息切れしていたといいます。そこで、この期間神経芽腫の治療がストップしてしまい、肺と同時に再発の恐れも気にしながらの生活だったといいます。

リハビリをする幸之助くん(@konosuke_kico_papaさんより提供)

寝たきりの状態が長かったため、座ることも難しかった幸之助くん。しかし治療やリハビリに前向きで、笑顔を見せて頑張っていました。そして、座ることや歩くことができるようになったのです。

「病気がわかり落ち込んでいましたが、日に日に治療が効いてよくなる息子に逆にたくさん励まされました。本当に救われました。苦しい闘病生活でしたが、息子の頑張りに笑顔の多い闘病生活だったかなと思います」

また、お母さんはInstagramで「息子の人生で2度目の初めて歩く喜びを感じられた」と語っています。

ボールを蹴る幸之助くん(@konosuke_kico_papaさんより提供)

病気の判明から1年半が経った幸之助くん。現在は普通の子どもと変わらず、走ったり遊んだりと本来の姿を取り戻しているといいます。
「ネガティブなところで言うと食事がまったく進まないくらいです。闘病中寝たきりの期間が長かったので食べられなくなり、そこからご飯は食べず、痩せている状態です」

ずっと息子と家族みんなで生きること

ご両親は、Instagramで幸之助くんの病気について発信をしています。また、同じ病気で苦しむ子どもたちの明るい未来のため「こうのすけを救う会」を立ち上げました。

「こうのすけを救う会」(@konosuke_kico_papaさんより提供)

「実際、批判の声はほんとに少なく、励ましの声が多いです。私の中学校、高校、大学、社会人の繋がりからはもちろん多大なご支援をいただきました。また、同じ病気の子や闘病していた、しているご家族からも絶対に生きてください、批判は恐れないでくださいという声には本当に救われました」

お姉ちゃんと幸之助くん(@konosuke_kico_papaさんより提供)

成長していく時期に幸之助くんはずっと病院におり、外にも出たいときにも出られませんでした。そこで今後は「大好きなポケモン、トーマスのイベントに連れて行き、外で大好きなサッカーをさせてあげたいです」と話すお父さん。

いつも幸之助くんのことを気にかけ、闘病生活で一番支えになっていたというお姉ちゃん。一時退院で病院に戻ってしまうときには泣いていたともいいます。習いごとなどやりたいことを我慢していたお姉ちゃんには、今後たくさん経験させてあげたいと話していました。

同じくらいの子どもたちが外で遊んだり、走り回っていたりする時期に、病院のベッドの上で抗がん剤の苦しみに耐えていた幸之助くん。つらくても前向きで、そして笑顔で頑張っていることが伝わってきました。思わずこちらも笑顔になってしまうくらい、幸之助くんの笑顔は素敵ですね。

ご家族の願いは「ずっと息子と家族みんなで生きること」です。
「こうのすけを救う会」の輪が広がり、幸之助くんそして同じ病気の子どもたちの明るい未来が叶うことを願うばかりです。

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