双子の長女いとちゃん、次女つむちゃん。三女のひろちゃん、四女のさらちゃん。4人の女の子に恵まれたいとつむぱぱ(@futag0papa)さんですが、長女のいとちゃん、三女のひろちゃんは亡くなってしまいました。いとつむぱぱさんは、娘4人の記録・記憶として経験したことやそのときの気持ちなどをSNSで発信しています。今回は、さまざまな思いを抱えながらも子育てをしていくことへの気持ちや、4人の娘さんたちへの思いなどについて話を聞きました。
双子のいとちゃんつむちゃんについて
2018年5月、緊急帝王切開で生まれた双子の姉妹は、26週と1日というあまりにも早い誕生でした。
この26週に至るまでには、双胎間輸血症候群という双子特有の病気を発症し、難しい手術に臨んでいた双子姉妹。
「厳しい状況にあっても、2人とも無事に生き続けてくれたことが嬉しかったし、2人の生命力を感じました」と、いとつむぱぱさんはそのときのことを振り返ります。
しかし、ご両親が「このまま無事に進んでほしい…」と期待していた矢先に緊急帝王切開になりました。生まれてきた双子の姉妹は812gと502g。手のひらに収まるくらい小さく、赤黒くてしわしわだったその姿に「想像していた赤ちゃんとはあまりにかけ離れ、生まれてきてくれた喜び半分、動揺と不安を感じていました」と話します。
また医師に、生後72時間が正念場と言われたため「とにかく無事に乗り越えてほしいと願っていました。そして、その山場を乗り越えたとき、不安こそあったものの、大丈夫だろう」と、安堵したといいます。
双子の長女はいとちゃん、次女はつむちゃん、2人をあわせて「いとつむ」と呼んでいました。
「2つ並んだ保育器の側で、双子の時間を過ごせたことは本当に幸せでした」
※双胎間輸血症候群…一卵性双胎児が胎盤を共有した状態のときに、共通胎盤上の吻合血管を通して引き起こされる血流移動のアンバランスによって両児の循環不全を生じる病態。
長女いとちゃんが壊死性腸炎から合併症が起き…
しかし2018年6月、生まれてわずか1ヶ月で長女いとちゃんは、壊死性腸炎から合併症を起こしました。
「前日に便がなかなか出ないという報告を受けていましたが、これが壊死性腸炎の予兆とは思ってもいませんでした」
翌朝、病院から「手術の可能性があるから説明の時間が欲しい」と電話がありましたが、その30分後に再び電話が鳴ったのです。
それは先ほどの電話と違う緊迫感で「急いで病院に来てほしい」と…。
いとつむぱぱさん家族が病院に着くと、そこには血のついた保育器がありました。いとちゃんが手足を動かす姿を見て、少し安心したのも束の間、医師から壊死性腸炎を起こしたあとに多臓器で出血が起こり、かなり危険な状態であるという説明があったといいます。
「前日まで手足をたくさん動かして、表情豊かだった子がどうしてこうなってしまうのか。状況を飲み込めず、ただただこの危機を乗り越えてほしいと願っていました」
いとちゃんはその後危篤に…。その際に、医師から「最期に抱っこをしてあげましょうか」と言われたいとつむぱぱさんは、あることを思い出します。
「海外で双子の片方の赤ちゃんが危篤のときに、もう一方の子が手を触れると奇跡的に息を吹き返したという話を耳にしたことがありました。もしかしたら、つむちゃんがいとちゃんを助けてくれるかもしれない。とっさに思いついて、双子を一緒に抱っこさせてもらいました」
しかし、すでにいとちゃんの顔色は悪く、目線はどこを向いているのか分からない状態。保育器から出てきたつむちゃんは足をバタつかせ、声は出せませんが大泣きしていたといいます。
「つむちゃんなりに一生懸命パワーを送ってくれたんだと思います。生後40日、お互い別々の保育器に入っていた2人の、ママのお腹の中にいたとき以来のひとときでした。これがこの世での最初で最後の双子の時間となりました。このときの感情はあまり覚えていません。ただただ、いとちゃんが目を閉じて遠くへ行ってしまわないよう、 ひたすらに叫んでいた気がします」
長女いとちゃんは、2018年6月15日お空へと旅立ちました。
次女つむちゃんの緊急手術と気管切開
今まで2つ並んでいた保育器が1つになり、いとちゃんがいたはずのNICUに通う日々は寂しいものだったといいます。
※NICU…「Neonatal Intensive Care Unit」の略で、新生児集中治療室のこと。
しかし、いとちゃんを亡くした悲しみに浸る余裕もなく、つむちゃんの治療に向き合わないといけない日々。栄養を入れても消化されずにお腹が張り、体重も増えないのです。
つむちゃんの病状は好転せず、生後3ヶ月の節目を祝った翌日、お腹の病気に強いといわれる病院に移ることになり、そこで人工肛門を立ち上げました。ですが「多少の改善はあったものの、思うような結果は得られませんでした」といいます。
さらに生後5ヶ月を過ぎたある夜、人工肛門の出口から腸が飛び出したことをきっかけに腸に穴が空き、緊急手術となったのです。
「真夜中に病院へ駆けつけたとき、亡くなる直前のいとちゃんと同じ顔をしたつむちゃんがいてものすごく怖くなりました。命の確約のないままオペ室へ送り出しましたが、つむちゃんの帰りを待つ時間はとても長く感じました。今まで幾度も娘たちの手術に立ち会いましたが、この手術ほど1分1秒を長く感じたことはありません。夜明けを前にして、無事につむちゃんが帰ってきてくれたときは心からホッとしました。麻酔から覚めたつむちゃんが『おさるのジョージ』の絵本に目をキョロキョロして絵を追っかけていた姿を見て、安堵したのを覚えています」
また、つむちゃんは長く酸素の管を口から挿管していたことが影響し、気道が狭くなってしまったといいます。そのため、体重が2500gを超えた生後7ヶ月を過ぎたころ、気管切開の手術をしました。
ご両親は当初、喉に穴を空けて呼吸をすることに抵抗があったようですが、気管切開をすることでつむちゃんの行動範囲が広がったといいます。
つむちゃんの退院後について
その後、お腹の容体が落ち着いたことで人工肛門を閉じることができ、つむちゃんは気管切開の状態で退院を目指すことになりました。いとつむぱぱさんとママさんは医療的ケアのトレーニングを積み、1日でも早く一緒に暮らせるよう、受け入れの準備を万全に整えたといいます。
1歳の誕生日を目前にしたころ、お世話になった医師、看護師の皆さんに見送られて退院することができました。
「ようやくこの日を迎えられたことがとても嬉しかったです。初めて外に出たつむちゃんは、不思議そうな表情をしていました。親としては今後の暮らしへの不安もありましたが、家で過ごす家族の時間はやはり幸せなものでした」
退院後は、家の中にあるものをあれこれと手に取り、楽しそうにしていたといいます。つむちゃんにとってお家は病院の中とは違い、日々刺激の連続。
しかし、気管切開に伴う痰の吸引を頻繁に行うなど、医療的ケア児ならではの負担もありました。また、体調を崩しやすく、肺炎などで入退院を繰り返すこともあったといいます。
※医療的ケア児…医学の進歩を背景として、NICUなどに長期入院した後、引き続き人工呼吸器や胃ろうなどを使用し、たんの吸引や経管栄養などの医療的ケアが日常的に必要な児童のこと。
「遠くへのお出かけはしばらくできませんでしたが、近所のカフェに行ったり、公園に行ったりするだけでもいい刺激になったように思います。表情が豊かで楽しそうに過ごしていました」
また、一番大変だったのは食べないことでした。
「気管切開をするまでの約8ヶ月間、口から食べたり飲んだりできなかったので、飲み込むことそのものを嫌がるようになっていました。食材や形態を変えてもだめ。試行錯誤の連続でした。嚥下専門の医師にオンラインで診ていただいたことで、ようやく改善の兆しが見え、2歳7ヶ月で経管栄養のチューブが外れました。それでも、スムーズに食べられるわけではなく、食事に1時間以上かかることが当たり前の毎日でとても苦労しました」
保育所に入所することへの苦労
保育所に入所することについても「非常に苦労した」と話すいとつむぱぱさん。
「理解のある自治体で、秋からの保育所の申し込み受付の前に医療的ケア児向けの面談の機会をご用意いただきました。しかし、入所に向けて具体的な相談となると話が進まず、受け入れ枠は確保できているものの、看護師の手配を含めて受け入れ環境が整わないという説明でした。2歳になる年の4月になっても入所できず…。交渉ルートを変えてみるなど粘り強く交渉を続けたことでようやく重たい腰をあげていただきました。加配で看護師を付けていただき、痰の吸引時には他の児童が手を加えることがないようにハード面でも配慮いただきました」
つむちゃんが保育所に通い始めたのは、新年度が始まってから3ヶ月後の7月。2歳から通い始めた保育所も、現在6歳のつむちゃんは5年目となりました。
今では保育所生活が大好きというつむちゃんですが、発声がないことによるコミュニケーションの悩みは大きかったといいます。ベビーサイン、マカトンサイン、手話などいろいろと挑戦したほか、オリジナルサインも作って保育所などと共有したそうです。
※ベビーサイン…赤ちゃんが言葉を話せるようになる前に、手話やジェスチャーなどの手や体の動きで意思を伝えるコミュニケーション手段。
※マカトンサイン…「マカトン法」という会話のできない聴覚障害や知的障害を持つ人を対象に作られた、意思疎通の為のコミュニケーション手段の中で使われる、手話のような動作によるサイン。
つむちゃんは5歳8ヶ月の2024年の1月、気管の狭い部分を切り取って繋ぎ合わせる気管形成手術を行いました。2週間はPICUで絶対安静をし、1ヶ月間にわたる入院生活を乗り越えたのです。
そして手術のおかげで空気の通り道ができ、少しずつですが声を出せるようになりました。
「6歳までおしゃべりをしてこなかったので舌や唇の動きは未熟ですが、話そうとする意欲は伝わってきます」といとつむぱぱさん。
※PICU…新生児の集中治療を行うNICUに対して、生後数週間の乳児から15歳までの小児集中治療に対応するのがPICU。
心臓病を患っていた三女ひろちゃん
2022年7月に生まれた三女のひろちゃんは、難病に指定される左心低形成症候群という重い心臓病を患っていました。
「今回こそは順調に育ってほしいと思っていました。なぜ、3人目もまた病気と向き合わないといけないのか、世の中は不平等だと思いました。生存率や手術の成功率…調べれば調べるほど怖くなりました」とそのときの思いを語ります。
※左心低形成症候群…左心室が小さく、左心室から出ている上行大動脈が細い先天性心疾患。
家族は、この病気を受け入れるまで時間はかかりましたが、前を向いていこうと決めたといいます。
そう思えるようになったのは、SNSを通じて知り合った同じ病気のお兄さんお姉さんたち、そしてそのご家族の存在でした。
「病気を抱えながらも笑顔で前向きに過ごされている様子にとても勇気づけられました。これからいろいろな壁にぶち当たることがあるだろうけれど、ひろちゃんとならきっと大丈夫、そう思えるようになりました」
前向きに向き合っていこうと決めたいとつむぱぱさん家族ですが、ここでコロナウイルスによって家族でも面会が制限されることになります。
ひろちゃんの150日の人生のうち、約3分の1が面会禁止期間になったのです。
「ひろちゃんがあまりにかわいそうだと思いました。私たち家族にとっても我が子と過ごす貴重な時間が奪われることになったのです。この間もひろちゃんの容体が日々変化していて不安もたくさんありました。ただそばにいるだけでもいいので『ひろちゃんに会いたい』という思いでいっぱいでした」と、実際に会えることへの大切さについて話してくれました。
ひろちゃんとつむちゃんが初めて面会
ひろちゃんをつむちゃんに会わせたい思いはあるものの、通常の面会は親に限られ、兄弟姉妹の面会はできずにいました。つむちゃんは、ひろちゃんに会いたそうにしていて、写真を通して嬉しそうに見ていたといいます。
2人が初めて会えたのは、生後4ヶ月を迎えたころ。病院の配慮で、つむちゃんと面会することができました。
しかし、この特別な配慮はひろちゃんの状態がよくないことを意味していたのです。
「複雑な気持ちではありましたが、大好きな妹に会うことを楽しみにしていたつむちゃんがとても喜んでいたのが心の救いでした。初めてPICUに入室し、ベッドを見つけて駆け寄ってきて、ひろちゃんの姿をのぞきこんだときのつむちゃんの表情は嬉しそうでした。そして、家族がようやく勢ぞろいできたことが心から嬉しかったです」
ひろちゃんは、生後5ヶ月の記念日を家族みんなでお祝いした翌日、息を引き取りました。
生後3ヶ月くらいから目を覚ますことさえも心臓の負担となり、生後5ヶ月の記念日も、目を閉じていつもと変わらなかったひろちゃん。
看護師さんが気を利かせて抱っこの時間を設けてくれますが、もう抱っこをするのも命がけなくらい衰えていたといいます。
「そのときの抱っこがひろちゃんの温もりを感じられる最期の抱っことなりましたが、一緒の時間を大切に過ごすことができました」
しかしその翌朝、ひろちゃんが危ないという知らせを受けます。そこで再び家族が集まると、ひろちゃんの容体が少し持ち直したといいます。
「その日はつむちゃんがお絵かきや絵本を見せてくれて、穏やかな時間を過ごしました。ひろちゃんもホッとしたのでしょうか。日が暮れるころ急に数値が落ちて、家族みんなに見守られながらお空に旅立ちました」
四女のさらちゃんが誕生
2024年2月、いとつむぱぱさん家族に四女のさらちゃんが生まれました。
「命を授かったときは本当に嬉しかったです。それと同時に、これまでの3人の娘は出産まで順調にいかなかったので、今回もまた何か悪いことを告げられないか毎日が不安でした。そんな親の心配をよそに、さらちゃんは元気に生まれてきてくれました。管を何ひとつつけず、自分の力で息をして、かわいい声で泣いてくれる姿を見てとても感動しました」
これまで子ども2人を亡くし、1人は医療的ケアを必要としていることに対して、どこか他人と比べて落ち込むことが多かったといういとつむぱぱさんですが「さらちゃんの誕生は、我が家に希望の光を照らしてくれました」と語ります。
つむちゃんは妹のさらちゃんのことが大好きで、離乳食を食べさせてくれたり、ベビーカーを押してくれたり「お姉ちゃん」をしてくれているといいます。好きすぎる思いが強まり、力強く抱きしめてさらちゃんに泣かれてしまうこともしばしば。
「思い返すと亡くなったひろちゃんとの時間は、つむちゃんの思い描いていたお姉ちゃんとかけ離れていたと思います。ひろちゃんにできなかったことを今、さらちゃんにしてあげる様子を見るのはとても幸せです」
たくさんの苦難を経験してきたいとつむぱぱさんですが、家族の絆が深まったように思うといいます。
「慌ただしい日々の子育てに悩むこともありますが、命と向き合う厳しい日々を経験したことで、何気ない日常がとても幸せに感じるようになりました。おかげさまでつむちゃんも家族思いの子に育ってくれています。お互いを思いやりながら、笑顔のある毎日を過ごしたいと日々考えています」
いとちゃんとひろちゃんが繋いでくれた命
「これからも、家族の幸せを第一に過ごしていきたいと思っています」と語るいとつむぱぱさん。
「今ある幸せは、いとちゃん、ひろちゃんがこの世界に生きてくれていたからだと思っています。朝晩、家族みんなが2人に『おはよう』『行ってきます』『ただいま』『おやすみ』と自然に言えるような家庭を作っていきたいです」と話してくれました。
いとちゃん、ひろちゃんが繋いでくれた命。つむちゃんとさらちゃんは、2人の分までさまざまな世界を体験し、楽しんでくれるでしょう。そしていとつむぱぱさん家族を、いとちゃんとひろちゃんが空から見守ってくれているように感じます。
つらく悲しい経験をしながらもSNSで発信していくいとつむぱぱさんの姿に、同じような経験をされた方はもちろん、何気ない日常を大切にしていきたい、そして幸せに感じられるよう過ごしていきたいと考えさせられた方も多いのではないでしょうか。