中耳炎が治らず病院へ行った泣き虫さんは、医師から上咽頭炎と言われ、服薬治療を始めました。ところが、高熱と左後頭部を中心とした頭痛がひどくなり、検査をしたところ上咽頭がんステージ4と診断されます。
泣き虫さんは、そのときの気持ちや治療を乗り越えられている理由などをSNSで発信しており、多くの反響を呼んでいます。そこで、病気になった経緯や現在の生活、SNSで病気で悩んでいる人に向けた発信をする気持ちなどを聞きました。
左耳に水が入ったような感覚が…
泣き虫さんは、2023年の春頃から左耳に水が入ったような感覚があり、耳鼻科にて中耳炎との診断を受け通院、服薬治療を開始。しかし治療してもなかなかよくならず、かかりつけの耳鼻科で「鼻の奥の腫れが腫瘍の可能性がある」と言われます。
そして2023年6月頃、大きい病院で腫瘍部分の細胞をとる検査を行いました。
このときの検査結果は陰性で、良性の腫瘍(=炎症)だったため、上咽頭炎として服薬治療を始めます。
2023年11月時点では炎症も治り、経過観察をしつつ2024年2月頃に経過確認をする予定でした。しかし12月後半から、左後頭部への頭痛や左耳への痛みを感じ始めます。
「痛さは長く続くものではなく、すぐ治ったので気にしていませんでした。鼻水に少量の血が混じることもありましたが、これも2週間に1度程度だったので、特に気にはしなかったです」と、泣き虫さんはそのときのことを振り返ります。
後に、これががんの症状であったことがわかりました。
※上咽頭炎…鼻とのどの間(鼻の奥の突き当たり)を上咽頭といいます。この部位への細菌やウイルス感染、体の冷え(とくに首の冷え)、疲労、ストレス、空気の乾燥、口呼吸などにより上咽頭炎が起こります。
上咽頭炎から上咽頭がんステージ4との診断
2024年1月には、高熱が出て左後頭部を中心とした頭痛がひどくなり、上咽頭炎を治療している病院に行きました。
「風邪かもしれないけれども、念のために…」と炎症部分を確認してもらったところ、治ってきていたはずの炎症が悪化していたのです。
そこで念のため再び細胞をとる検査をし、1週間後、結果が出て上咽頭がんのステージ4であると診断されました。
「この検査から結果が出るまでの期間が最もつらかった」といいます。
上咽頭がんのステージ4と診断されたとき「死について」考え、そして「去年結婚したばっかりなのに」「まだ何も達成してないのに」「この先どうなるんだろう」といろいろな感情が溢れ、何度も泣いたという泣き虫さん。
ステージ4ということについては「末期ではなかったのでホッとしました」と、診断後に落ち着いてからネットで上咽頭がんの生存率や治療内容について調べたといいます。
がんは、喉の上あたりから首のリンパあたりまで広がっており、そこで放射線をがんの部分に35回当てました。
「その副作用の影響で肌が黒くなりましたが、一過性のものでいずれ治るとは聞いてます」という現状の泣き虫さん。
※上咽頭がん…鼻の突き当たりにできるがんです。腫瘍が大きくなると、耳がふさがった感じ(耳閉感)が持続したり、鼻づまり、鼻出血、目の動きがわるくなる等の症状が出ますが、症状が出にくく発見が遅れやすいがんです。頸部に転移したリンパ節腫脹が初発症状となることもあります。
病気になってからの変化
泣き虫さんは、放射線の影響で唾液腺がダメージを受けたため、唾液が出ず、乾燥したものや固いものが飲み込めません。お菓子全般やうどん、パスタも食べられないといいます。
「乾燥したものを食べると喉が痛み、それ以降2時間ほど食事ができなくなります。また喉が常に乾燥しているため、1日中水を持ち歩いています。唾液腺回復の目処はなく、一生ドライマウスの人もいるそうです。 治療中飲食がほとんどできなかっため、体重が減り体力が以前の半分ほどしかないです」と、食生活が大きく変化しました。
1日の食事の例を挙げると「朝はフレンチトーストとビタミン㏌ゼリー、長時間浸した状態以外のパンは食べられません。昼はカップラーメン、麺は中華麺と素麺のみ食べられます。夜は卵かけご飯、水分を多めにして炊いた米と生卵を絡めることで食べられます」と「体重を減少させないために食べてます」と泣き虫さんはいいます。
また、外食時は刺身やラーメン、アイスなど水分の多い柔らかいものを探し「やむを得ない場合は、錠剤を飲み込むように一口ずつ水と一緒に飲み込み、喉が痛むことを防いでいる」とその工夫や努力の様子を話してくれました。
また、放射線を当てた後頭部の一部は、まだうっすらとしか髪が生えていないといいます。
SNSで病気について発信するように
泣き虫さんは、SNSで自身の病気について発信しています。
「今後つらいことがあったときに振り返りたいな…」と思ったため記録としてはじめたのがきっかけでした。また「同じ年代で似た境遇にある人や、同じがんになった人と繋がりたかった」といいます。
SNSで発信したことによって、泣き虫さんはこんな気持ちにもなったといいます。
「応援コメントはとても心の支えになりました。また、同じがんを寛解した方々からの共感の声やアドバイスもとても嬉しかったです。友達にはあまりがんのことを言えなかったので、つらいときにつらいと発信できる場所があってとても助かりました」
同じように若くして病気になった人に対して「病気の重さはさまざまなので、一概に前を向けだとか頑張れとかは言えませんが、自分自身の心のためにつらいときは感情を何らかの形で出すことをおすすめします」と自身の体験から話していました。
また多くのコメントが寄せられることに対して「元気づけられるものが多くて、毎回とても楽しみにしています」といいます。
自分のキャラクターを少しずつ発信したい
SNSを通じて今後は「今はおそらく『がんの人』というイメージが強いため、がん以外の自分のキャラクターを少しずつ発信していきたい」と考えているといいます。
また、病気になる前から海外で働くという夢を持っていました。
「病気になり多少、道のりが延びた気もしますが、引き続き夢に向けて頑張りたいと思います」と力強く話していました。
SNSで「自分の人生設計プランでは、今頃海外で働いているはずでしたが、がんになったことでいろいろなことについて考えるよい機会になった」と話しています。また「病気について発信したから、出会えない人たちと出会えた」と。
「もし病気で悩んでる人がいれば何かの役に立てれば嬉しいです」と語りかけるように話しています。SNSのコメントからも、泣き虫さんが多くの人の力となっていることがわかります。
泣き虫さんの発信は、今後も同じ病気の人だけではなく、さまざまな病気の方への力となるでしょう。