25歳でホストから福祉の道への転身を決意。 スウェーデンへ赴き帰国後”NPO法人”を設立その訳に迫る

25歳でホストから福祉の道への転身を決意。 スウェーデンへ赴き帰国後”NPO法人”を設立その訳に迫る
仕事中の様子(橋本一豊さんより提供)

特定非営利活動法人WEL’S代表理事の橋本一豊(はしもとかずとよ) さんは、25歳でホストから児童福祉の道に転身しました。
27歳のときにはスウェーデンに行き、そこで出会った障害ある方の生き方に感銘を受け、帰国後に障害福祉の職に就き国家資格である社会福祉士を取得。

橋本さんがなぜ、ホストから福祉業界に足を踏み入れたのか、また現状の福祉業界の課題などについて聞いてみました。

ホストから児童福祉の道へ

橋本さんは25歳でホストを辞め、児童福祉の道へと転身します。その動機は「ホストの次は真面目で人の役に立つ仕事をしてみたい」という単純なものでした。

「真面目で人の役に立つ仕事」と考えたとき「福祉」という言葉が勝手に浮かんできたと橋本さんは語ります。
「ただ、果たして自分にできる仕事なのか想像できなかったので、まずはチャレンジしてみようと福祉の仕事を探し始めました」

その後、児童養護施設に転職を果たしました。しかし、働いていくうちに「自立とは何か」を考えるようになります。
そのタイミングでスウェーデンにまつわる本に出会い「福祉国家」によって人は幸せなのか、自立している国民性といった点に興味を持った橋本さんは、スウェーデンのことを調べるようになりました。

「ただ調べるだけでは物足りず、スウェーデンの研究をしている先生に会いに行って話を聞いたり、スウェーデンと馴染みにある方がいれば会いに行ったりして情報収集をしました」

その中で橋本さんには、印象的だったことが3つありました。

「スウェーデン人は18歳になるとみんな家を出る(一人暮らしをする)こと、子どもは社会で見ていくという文化があるので、学校には学童が併設されていること、そして子どもへの接し方が日本とは違ったのです(子どもに言い聞かせるのではなく、どうしたいのかを聞く)」

児童養護施設で働いている視点から非常に関心を持ったと話します。
「これまで海外に行ったことはありませんでしたが、当時の職場の上司に退職届を出してパスポートを取り、数ヶ月後にはスウェーデンに行きました」

スウェーデンでの様子(橋本一豊さんより提供)

実際にスウェーデンへ

知り合いもまったくいない中、スウェーデンを訪れるという行動力、そしてそのような行動がなぜできたのかについて、橋本さんはこう話します。

「目で見ることや体感することで自分の理解を深めるというもともとの性格もありますが、児童養護施設でも生活する子どもたちと一緒に体験する機会を大切にしたり『まずやってみよう!』ということを言葉にして伝えていたので、言っている自分自身が誰よりも行動することが何よりも説得力があると思い行動したのだと考えています」

さらにこうした思いは「今も変わらない」といいます。

実際にスウェーデンに行き、ボランティア体験を通じて橋本さんは次のことを学びました。

「小学校には学童(フリーティス)が併設されており、遊びと学習の場となっている」「スウェーデンでは、共働き家庭が多いため、3年生以下の子どもの80%以上がフリーティスに通っている」「障害のあるなしにかかわらず、フリーティスを利用している」「子どもが通える社会資源があることで、女性もキャリアを積むことができ、家事や子育ての男女平等が無理なく実現できている」

当初は児童福祉について学ぼうと考えていたため、子どものことが中心でした。

障害福祉の仕事に携わるきっかけとなった女性

ボランティア体験での学び以上に、感銘を受けた出来事がありました。
それはスウェーデンを訪れたものの、住むところがなかった橋本さんを2ヶ月半ほど滞在させてくれた重度の障害のある女性の生き方。

彼女は言葉で伝えることや移動に困難さがあるものの、それをまったく感じさせない立ち振る舞いやチャレンジ精神があったといいます。

「伝えたいことはヘルパーさんの力を借りて納得いくまで伝えてくれたり、ほぼ家にいることがないほど毎日出かけたり。そして、障害を理由とせずにチャレンジしている姿に非常に感銘を受け、忘れかけていた何かを思い出した気持ちになりました」

この出会いが一番の収穫となり、これをきっかけに橋本さんの考えが変わります。それは、日本に戻ったら児童関係ではなく、障害福祉の仕事に携わること。

また、彼女の家に滞在中には多くの人を紹介してくれて意見交換をしたといいます。
「現地の人のライフスタイルや考え方、日本の文化に興味を持つ人も多く、改めて日本のことをもっと知る必要があることを感じました」と当時の気持ちを振り返りました。

スウェーデンでお世話になった女性(橋本一豊さんより提供)

NPO法人WEL’Sの設立について

30歳のときに、NPO法人WEL’Sの設立を果たした橋本さん。その仕事内容について聞きました。

「障害のある人の就労支援という仕事をしています。就労支援とは、障害のある人がその人の持つ能力を活かして能動的に社会(働くこと)に参加することを支援する仕事です。働きたい障害のある人が本来持つ力を発揮するために必要なのは『情報不足の解消』だと考えております。近年、法律や制度の影響によって企業で障害のある人の雇用相談が増えていますが、情報不足や理解不足によるミスマッチも増えている状況もあります。私たち就労支援者は、ミスマッチを解消するために働きたい障害のある方と雇用したい企業との橋渡し役となっています」

現在はこうした仕事ができるようになりましたが、これまでには多くの苦労がありました。
まず法人を立ち上げるといっても、個人資産があるわけでもなく資金繰りに苦慮したといいます。しかし、当時解決したい課題に対して時間をかけるわけにもいかなかったため、動きながら考えようということに…。

またNPO法人にした理由については「法人格の中で唯一『0円』で設立できる法人というものが大きかったです。もちろん、課題解決型であり非営利型で運営していきたいという思いもありNPO法人にしたという理由もあります」と話します。

法人印はフリーマーケットに出店して、その売り上げで作ったといいます。
そしてやっとの思いで立ち上げたものの、しばらくは売上もままならず、自身への報酬額は月額6万円程度。そのため、夕方以降にバイク便などの仕事をして繋いでいました。

「当時は新たな取り組みをするNPO法人でしたので、理解を得ることが難しい場面もありました。たとえば、企業が障害者雇用を進めるプロジェクトに参画して、マッチングがうまくいくように情報を整理して関係団体と情報共有する仕組みづくりを進めたのですが、見方によっては『企業情報を囲っている(独り占めしている)』という誤解が生じてしまったのです」

また、当時橋本さん自身は茶髪で長髪。それが福祉業界で浮いていたようで「胡散臭い」という声もあったといいます。

仕事中の様子(橋本一豊さんより提供)

活動を進める中で多くの人や機会に恵まれた

こうした苦労を乗り越えるには「人や仲間、タイミングに恵まれたこと、家族の理解、自分の体力があったこと」が大きく関係していました。

まず、NPO法人を設立するためには、10名以上一緒に活動してくれるメンバーを集める必要があります。そこで橋本さんは、福祉業界で活躍している方々に会いに行き、NPO設立の目的を説明して賛同を得ました。

「幸い、ほとんどの方が賛同してくださり、すべて無償での協力となるため思いを共有できたことが心強かったです。また、設立当初は事業拡大ということはまったく念頭においておらず、とにかく目の前課題を解決するための法人ということで人事制度や金銭的な保証もない中でメンバーが一丸となって動いてくれていました。そのことは今でも誇らしいです」

また、事業が安定するまで「家族も貯金を切り崩しながら工面してくれたので助かりました」と家族の力も大きな支えとなりました。

橋本さんがNPO法人を設立した当時は、今ほど就労支援に関連する制度や資源がありませんでした。
「就労支援に特化し、特に企業への支援やネットワークづくりを行ってきた当法人の活動実績が業界の中でも認知として広がり、行政からの委託や国の事業を受けられる機会に恵まれました」

さらに、この機会によって事業が安定し、充実した支援に繋げられるようになったのです。
「当初は課題解決型で動いていましたが、社会にも必要とされる法人になったことで、事業の安定化も信頼の1つであることを実感しました」と当時のことを話してくれました。

またこれらの行動をして行くうえで、橋本さん自身に気づきがあったといいます。

「これまで体力が有り余っていることが多い人生でしたが、この時期には思い切り自分を使い切っている実感があり、忙しい中でも充実していました。この経験から、自分には時間がきっちり決まっている働き方よりも、毎日使い切る働き方の方が合っていることを実感しました」

経営者としての資質 苦労とやりがい

「立ち上げ時期は、経営者としての資質が圧倒的に不足していました」と話す橋本さん。現場や支援への思いが強かったので、共感してくれる人は多かったのですが、リーダーとして示すビジョンやロジックが曖昧だったと感じていたといいます。

「今思えば『いいことをしているから、福祉だから許される』というような甘さがありました。資金繰りや税金のこと、事業計画策定や組織マネジメントなど、わからないことばかりでしたので、経営者の方々や税理士さん、労務士さんなど専門家から教えてもらいつつ、現場業務も主として行うプレイングマネジャーの時期が続きました」

現場目線と経営者目線が混在して方向性を明確に示せないジレンマもあったといいます。具体的な事例として、私たちの仕事は一人の障がいのある人の大きな自己選択にかかわりますが、その際に、コスト(時間・金銭)を考えると、本来かかわれる範囲に限界があります。しかし、現場目線で「なんとかしたい」という思いが先行し、コストを度外視して動いてしまう。その結果、組織マネジメントが不十分になりトラブルが発生することもたびたびありました。

「このような状況がしばらく続き、自分に不足していることが『人を信頼して任せる』ということに気づきました。どこかで『自分の方ができるから』という怠慢さがあり、人に任せることができなかったのです。そこから、組織体制を見直し、現場での私の役割を職員さんにお願いして任せることにしました。その結果、私がいたときよりもさらにいい現場になったと感じています」と笑いを交えながら話していました。

「もちろん現場では日々課題があり、職員からの相談も多いですが、そのような課題に向き合って職員一人ひとりが成長している姿を見られるのがとても嬉しいです。このような経験を通じて、職場はお互いの強みを活かしつつ不足している部分を補うようなチーム作りが大切だと実感しています。たとえば、私自身の強みは『有言実行、即行動』なので、その姿を示すことが役割で、現場のきめ細かなことや仕組みづくりを現場の職員さんに担ってもらっていることで成り立っていると考えます」

また「現場あっての仕事なので、自分が評価されるよりも、職員や現場が評価されることの方が嬉しい」と橋本さんは語ります。

障害者雇用は価値である

橋本さんたちが担っている「就労支援」の仕事は、日本の社会課題である人材不足の解消。

しかし、現状では「障害者雇用は負担である」という雇用側の思考や、支援者側も「働くことが難しいから支援が必要」という思考があります。橋本さん自身も当初はこうした思考だったといいます。

しかし、実際に橋本さんが障がいのある人と一緒に仕事をすることで、自分にはできない仕事を担っていることの気づき、自分自身のパフォーマンスも格段に上がっていることを実感。

「障がいのある人と一緒に働くことは私にとって『価値』なのです。もちろん、世の中には障がいのある人と一緒に働くのが苦手な人もいるでしょうし、パフォーマンスが落ちる人もいると思います。つまりは、相互作用によって『価値』にも『負担』にもなり得るということです」とその体験から語ります。

社会福祉士として障がいの捉え方において、橋本さんは「専門的な説明となってしまいますが、ICF(国際生活機能分類)で考えるようにしています。この概念は世界共通の考え方になっており、個人の価値観は環境によって左右される。環境によって相当な制限が長期的な状態であれば『障がい』なのです」と話していました。

ICF(国際生活機能分類)(橋本一豊さんより提供)

「この相互作用に着目すると、障がいのある人が働く職場環境によっては能力を発揮できたり、一緒に働く人のパフォーマンスを上げたりもできます。そして会社全体の生産性の向上につながるので、私たちの仕事は人材不足の解消なのです。そのためには、上記のICFに基づいて状況の理解把握(アセスメント)を行い、調整をしながらマッチングを図るというプロセスが重要であり、そのノウハウを提供するのが私たちの専門性だと考えています。このノウハウを広げていくことが私たちの役割であり、人材不足という大きな社会課題を解消できる私たちの仕事がとても価値の高い仕事だという思いがあります」

情報不足が課題 知られていないことを認識すること

障がいのある人の雇用者数は年々増えていますが、障害者雇用を行う際の企業のノウハウ不足や理解不足でミスマッチも増えています。この背景には情報不足があると橋本さんはいいます。

「働く障がいのある人、雇用する企業の情報不足によってミスマッチが起こります。その結果『やっぱり自分に仕事はできないんだ』と思ってしまう障がいのある人や『やっぱりうちの会社で障害者雇用は難しい』と思ってしまう企業が増えてしまい悪循環が起こるのです」

この原因は、自分たちにあると考える橋本さん。
もっと自分たちの活動についての情報発信を行い、企業との接点を多く持ち、私たち支援者と企業がパートナーシップで雇用を進めていくことでより適切なマッチングが可能になるといいます。マッチング事例を増やし、好循環を生み出し「障害者雇用は価値である」という企業の数を増やしていくことが今後の目標だと話してくれました。

一方で、近年は情報が溢れている時代で、障害者就労(雇用)における情報も千差万別だと橋本さん。

それには、障害者雇用代行ビジネスと言われるサービスも広がってきており、ノウハウをビジネスモデルにするくらいにマーケットが広がってきているといいます。そして、その背景には「法定雇用率(民間企業の場合には2.5%以上の障害者雇用をする義務があります)」があり、自社内で雇用するのは難しいので、雇用率を達成する手段として代行サービスを利用するということが起こるのです。

「このことからも『障害者雇用は負担である』という思考が潜在的にあることがわかります。そして、実際にこのサービスを選択する企業が年々増えています。障害者雇用代行ビジネス業者は広告費をかけてSNS広告やDM、電話営業などで情報を拡散しているので、顧客インサイトに届く情報発信によって利用者層を増やしているのです」

一方で橋本さんたちのような福祉業界では公的資金で運営しているところが多く、広告費という予算枠を持っているところは少ない状況。加えて、SNSの活用やITについてのリテラシーが低い業界ともいえます。

「実際に、これまで代行ビジネスを利用していた企業から、私たちのサービスについて『もっと早く知りたかったと』言われることも多いです。それぐらい私たちの活動は『知られていない』ことを認識する必要があります」

そのため、WEB広告をはじめとした情報発信が不足している状況や、企業ではAIやDX化が進む一方で業界が時代の変化に追いついていないということに課題を感じ、現在福祉業界のDX化に取り組んでいるという橋本さん。

そのサービスの第一歩が、今回リリースした「WEL‘S ON」のサービスになります。

「業界全体の情報発信量を増やし、情報不足を解消することが今掲げている目標です」と話す橋本さん。さまざまな出会いと周りの支え、そして橋本さんの行動力で「福祉業界が一つになって、誰一人取り残さない社会を実現したい」という思いが今後さらに伝わっていくことでしょう。

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