「どんな人にも、存在価値はあるんだよ。自分らしく生きていいんだよ」
自分の生きた証を残し、私たちにそう呼びかけてくれるのは坂野春香さん。
父親である坂野貴宏さん(@harunokaori0322)は、生前の春香さんの意思を継ぎ、闘病の様子や春香さんの思いを、遺作となった絵本『✕くん』とともに、SNSや講演を通して伝えています。
11歳のときに脳腫瘍がみつかり、10年生存率0%と告げられてもなお、自身の生きがいとして絵を描き続け、誰かの役に立ちたいとメッセージを送り続けた春香さん。
愛する娘が生きた道程について、父親である坂野さんに話を聞きました。
突然あらわれた症状
病気が判明したのは、春香さんが小学6年生の10月のことでした。
朝から頭痛を訴えた春香さんは、トイレに駆け込み嘔吐します。
数時間すると頭痛と吐き気の症状が治まったため、春香さんは午後から学校へ。そのような日が2〜3日続いたある日、黒板の字が二重に見えると言って春香さんは泣いて早退しました。
その後、近所にある2つのクリニックにかかりましたが、自律神経の乱れからくる症状といわれ直接の原因は分からないままでした。
そうしているうちに頭痛・嘔吐の症状がひどくなり、心配になった両親は救急車を呼び、地元の総合病院に春香さんを運びます。
そこで、CT検査の結果、脳内に腫瘍があることが分かったのです。
春香さんの病名を聞いたときの心境について、坂野さんはこのように話します。
「病理検査の結果、脳腫瘍の中でも最も悪性度の高い※膠芽腫と分かり、医師から『10年生存率0%、中央生存値が1年』と聞かされたときは、恐怖と不安で頭が支配され、絶望しました」
※膠芽腫…脳に発生する脳腫瘍の1つで、原発性脳腫瘍の7.3%を占める非常に悪性度が高い腫瘍です。原発性脳腫瘍とは脳の細胞や神経、脳を包む膜などから発生した腫瘍のことをいいます。
出典:medical note『膠芽腫』
寛解そして再発
その後の治療で一度は奇跡的に寛解した春香さんでしたが、6年後の17歳のときに再発しました。
症例の少ない小児がん患者にとって「再発」は、死期が急激に迫る恐ろしいもの。しかし「春香は右手が動かなくなった時点でうすうす再発であるとわかっていたと思います」と、坂野さんは当時を振り返りました。
主治医から「再発です」と告知されたときも春香さんはそれほど驚いた様子はなく、覚醒下手術という難しい手術を受けることも受け入れたといいます。
「覚醒下手術とは、頭蓋骨を開けた状態で麻酔から覚まし、言葉をかけながら腫瘍をとるという難手術です。そのために事前検査もあったのですが、嫌がることなく、春香はすべてを受け入れて検査と手術に挑んでいきました」
術後の苦しみとともに闘う家族
治療後も様々な苦しみが春香さんを襲いました。術後の後遺症は、右半身の麻痺だけではなく、精神的な発作も起こるようになったのです。
「発作が治まっているときの春香は、普通に会話ができる状態でしたが、発作が始まるとベランダから飛び降りようとするなどの自傷行為をしました。また、長時間その発作が続くこともありました。私たち家族はどんなことがあっても春香を守ろうと決心していたので、家族で振りほどこうとして暴れる春香を何時間も抑えていました」
娘から父へ 春香さんが望んだこと
発作がおさまっているときに、春香さんは父親である坂野さんに「自分の闘病を記録に残してほしい」と頼みます。
記録をつけ始めた坂野さんでしたが、春香の言動の中には、他人には知られたく内容もあるのではないかと思い、敢えて書かなかったり、きれいな表現に書き換えたりすることもありました。
しかし、それを確認した春香さんから「事実と違う」と指摘を受け、ありのままに書き直すことにしました。
また当時、医師から「膠芽腫の再発後の標準治療は確立されていない」と伝えられていた春香さん。
「自分の治療や回復具合が、今後の患者の道標になるのではないか、と考えていたように思います。また、変わっていく自分を記録に残すことで、自分の存在を皆の心に刻んでほしいとも思っていたように感じます」
春香さんを支えたもの
小学6年生で脳腫瘍を発症した春香さんは、中学3年間は学校に通えない日も多く、高校には入学しましたが本人の希望により、1年で通信制高校に転校しました。
つらく思えた学生時代ですが、春香さんには絵を描くという生きがいがあり、作品の中にはコンクールに入選した作品もあります。
「普通の中高生とは違う青春時代を過ごすことによって、春香なりにつらい思いや悲しい思いをたくさん経験したと思いますが、大好きな絵を描くことによって、春香は自分自身と向き合い表現し、自信を取り戻していったようです」
坂野さんの自宅には、春香さんが描いたたくさんの絵が飾られています。
「苦悩の闘病生活でも、春香は好きなものを見つけ、家族に愛され、生きる喜びを全身で感じていました」と坂野さんは話してくれました。
人の役に立ちたい
術後の後遺症により、利き手の右手が動かなくなった春香さんは、左手を使って絵を描いたり、話をしたりすることで家族に思いを表現していました。しかし、最も恐れてたいた脳腫瘍の再々発により、それも難しくなってしまいます。
「身体が思うように動かなくなると、自分の思いを伝えることが難しくなっていきました。それでも、亡くなる数日前の言葉が発せられなくなるまで『人の心に何かを刻みたい』『人の役に立ちたい』と言っていました」
春香さんが亡くなる1ヶ月前に描かれた『✕くん』という絵本。
この本は、みんなから疎まれ自己肯定感が低くなった✕くんが、ある女の子の「✕はせいこうのもと、✕くん、ありがとう」という一言により、自分の存在価値に気づき、成長していく物語です。
この絵本の中に、春香さんの人生観が詰まっていると坂野さんは話します。
「どんな人にも、存在価値はあるんだよ。自分らしく生きていいんだよ。というメッセージが込められているように思います」
春香さんの思いと共に
春香さんが亡くなって約4年が経った今、坂野さん夫婦は、闘病を本『春の香り』(文芸社)に綴り、SNSや講演活動を通して春香さんが残したメッセージを伝え続けています。
「春香の思いを1人でも多くの人に伝えたい」
その気持ちを原動力に講演活動をしているといいます。両親はどんなときも「春香さんと一緒に活動している」そのように語ってくれました。
「春香の生きた軌跡を伝えていくなかで『前向きに生きていきたい』『生きる意味を考えさせられました』『自分は自分でいいんだ』と感想を伝えてくれる方も多く、春香のメッセージが人々に伝わっていると実感しています」
今後も「春香の意思を継ぎ、病気を抱えている子、不登校の子、生きる意味に疑問を持つ子、生きる目的が分からない子、他人と比較されて苦しんでいる子、悩んでいる子、そのお父さんお母さん、先生たち、1人でも多くの方に聞いていただき、春香からの『自分らしく』というメッセージを伝え続けたい」と坂野さんは話します。
18年という人生を懸命に生き、その姿をもって私たちに生きる勇気を与えてくれる春香さん。春香さんの強い思いがたくさんの人に広がっていき、自分らしく生きたいと前を向くきっかけになればと思います。