介護が必要な高齢の方にメイクやネイルなどを行う「介護美容」を知っていますか?お化粧やネイルなどをすることで、見た目だけではなく、心身面にも効果があるとされています。
今回は、会社員を辞め介護美容の事業を始めた箱石志保さんに、介護美容を起業するまでの道のりやその思いなどについて聞いてみました。
会社員から介護美容の事業を始めるまで
志保さんは、一橋大学大学院経営学修士コース(MBA)修了後、大手企業の社員として働き始めます。しかし、その先のキャリアが見えず、自分でビジネスをしたいと思っていたそう。
もともと祖父と母の会社を継ぐ予定でMBAを取得していたため、いつか起業をしたいと考えていたともいいます。そうした思いを抱いているときに、介護美容のスクールの広告を見て「これが天職だ!」と思った志保さんは説明会へ参加することに。
※MBA…MBAとはMaster of Business Administrationの略です。日本では経営学修士と呼ばれ、経営学の大学院修士課程を修了すると授与される学位であり、資格とは異なります。
また、志保さんは幼少期から母子家庭で育ったため「祖父母に育ててもらったようなもので、祖父母に対して特別な思いがあります」と語ります。そして、介護美容を見つけたころは、祖父母の介護が必要になっていた時期でした。そのため、ますます介護美容が天職だという思いが強くなったのです。
しかし、介護美容の道に進みたいと考えた志保さんでしたが、そう簡単にはいきませんでした。
まず、志保さんの母親とご主人が大反対。
そのとき勤めていた会社は非常に優良なホワイト企業。そして順調にキャリアも積んでいたので「そのまま勤めればいいのに」ということからでした。
次に会社に退職の意向を伝えてみますが、かなり引き留められました。
「希望の部署があればそちらへの異動でもよいから」などと打診されたとも話します。
ですが志保さんの意志は変わらず、退職をして介護美容への起業準備へと進み始めました。
そこで介護美容スクールに通い始めますが、介護の仕事についてはまったく経験がなかったため、前職を退職後、スクールに通いながらデイサービスの介護士として経験を積んだといいます。
「正直、スクールでの勉強や介護士の仕事は、大変だなと思うことはほとんどなく、新しく学ぶことばかりで新鮮で楽しい気持ちでした。 特に介護の仕事は、排せつや入浴介助なども経験させてもらいましたが、汚いとか嫌と思ったことはなく『今後にいかせるな』という思いで携わっていました」と当時のことを振り返っていました。
介護美容の起業から事業が軌道に乗るまで
志保さんが介護美容スクールに入学したのは、2020年のコロナ禍。
志保さんはさまざまな計画をしていましたが、それがすべてなくなってしまったといいます。大変だったのは、感染症対策のため介護施設に外部の人は入ることができず、介護美容の営業がかなり難しかったこと。
ですが「それでも種まきの時期だと思ってコツコツとできることを続けていました」と前向きに進みました。
そして、コロナが少し落ち着いたころ、徐々にチラシを渡していた施設からいくつか連絡が来たり、外部の人が入れるようになったので体験会を行えたりなど、少しずつ前に進み始めたのです。
そのとき志保さんは、介護士のパートと並行して介護美容の活動を進めていましたが、介護美容の仕事が忙しくなってきたときに介護士の仕事も辞めたといいます。そのときに「少し軌道にのってきたな」という感覚があったそう。
また、Instagramに非常に力を入れていたため、そこから問い合わせも多くなったといいます。ずっとSNSでの発信を頑張っていたため、志保さんの頑張りが徐々に報われてきました。
祖母にネイルやエステを
介護美容への道に進む大きなきっかけとなった祖父母に、志保さんはネイルやエステをすることもあるといいます。
いつもきれいにしている志保さんに「しほちゃんかわいいね~~!!」と志保さんの祖母。
「祖母にはネイルやエステ、お化粧など帰省のたびにしており『お洒落するのはやっぱり楽しいね~』『いくつになっても女は女だね~』ととても喜んでくれていました。施設でお友達に見せたり、職員の方に見せたりして自慢しているようです。祖父は身体を触られることが好きではないので、無理強いせずに爪切りのみ行っています」
ネイルをしてもらった志保さんの祖母は、本当に嬉しそうに爪を見つめていました。
やりがいは「笑顔になった瞬間」
「介護美容を利用したい」と考える人にはどのような人が多いのかを聞いてみると、本人が申し込むよりも、ご家族が予約を入れてくれる方が圧倒的に多いといいます。
その理由として「遠方であまり会いに行けないから美容の時間を楽しんでほしい」「昔からお洒落でマニキュアなど塗っていたから好きだと思って」「足の動きが悪くなってきたからフットトリートメントで血流をよくしてほしい」などという家族からの思いがあると語っていました。
上記すべてのメニューに対応しているため、複数のメニューを予約してくれる方は、その方が負担にならないよう施術の手順を工夫しているといいます。
施術を行った際のやりがいを志保さんはこう話していました。
「やはり一番は、ネイルやメイクが終わった後に皆さんが笑顔になる瞬間にやりがいを感じます。何度も手元を見て『かわいい!』と言ってくださったり、お友達同士で見せ合ったり…そういった瞬間をみるとやっていてよかったなと思います。また、拒否が強い方がいた場合、いろいろなアプローチをしてみて、最終的に施術ができて笑顔まで見られるととても嬉しいです」
「最後に爪をきれいにしてほしい…」
志保さんには特に印象に残っている人がいます。
それは毎月ネイル訪問している施設で、1年半ほど毎回予約を入れてくれていたAさん。
体調を崩されて入院したと施設から聞き、志保さんは心配していました。そこで、退院したと聞いたのですが、そう長くはなさそうとのことで「次の訪問時に会えればいいな」と思っていました。
ちょうど次の訪問の日、施設長から「朝急変して家族も来ているから、今日はネイル無理だと思う」と告げられたのですが、その後「ご家族が最後に爪もきれいにしてほしいと言っているからできる?」と聞かれ、志保さんは対応することに。
「私が11時頃ネイルを行い、その後13時にAさんはご逝去されました。まるで私を待っていてくれたかのように、最後にお会いできて、きれいにできてよかったなと感慨深く思っています。施術中もご家族に見守られ、写真もたくさん撮ってくださり、いい時間を過ごせました」とそのときのことを振り返りながら話していました。
チームでより多くの施設に訪問していけるように
今後、志保さんは介護美容を通して「何歳になっても美容は楽しめる」「施設に入居しても美容を諦めなくていい」ということを伝えたいと話します。
また「私の働き方を見て、夢や目標を諦めずに頑張ってくれる方が増えたら嬉しいです」と。
現在一人で介護美容を行っている志保さんですが「一人では訪問できる施設や対応できる人数に限界があるため、今後はチームでより多くの施設に訪問していけるようにしたいと思っています」と目標を語ります。そして、現在その仕組み作りを行っていると話していました。
「歳だから」「介護が必要だから」と今まで当たり前だったことを諦めなくていい、という思いで施術をする志保さんの目はネイルのようにキラキラ輝いていました。また、施術をした方も自然と笑顔になっている様子も伝わります。
志保さんは夢を諦めずに頑張り続けた結果、多くの方を笑顔にできました。こうした介護美容は今後、見た目だけではなく心身面も前向きにしてくれる大切なものとなるでしょう。そして、これからも志保さんの挑戦は続いていきます。