大手企業を退社し時給850円のアルバイトを始めた女性 そこで挫折を経験するも…「現場主義を貫く」理由とは

大手企業を退社し時給850円のアルバイトを始めた女性 そこで挫折を経験するも…「現場主義を貫く」理由とは
海藤美也子さん

小売店の人材育成&組織改革を担うWILLSORT株式会社の代表取締役である海藤美也子さん。徹底した現場主義を貫く考えには、彼女のルーツが関係していた。

“価値ある人を育て、最強の組織を目指す”

そんなビジョンを掲げる海藤さんの半生を紐解く。

就職超氷河期50社以上の会社にエントリー

海藤さんは、ロストジェネレーションと呼ばれる就職超氷河期世代。あらゆる企業の新卒採用枠が大幅に絞られた時代に社会に送り出されたひとりだ。
「就職先を選べる状況ではなかったので、受けまくっていました。とにかく、場数をこなし、最後の方は“就活のプロ”みたいになっていましたね」と笑う。
面接は自己分析が必須。強みを言語化するのがうまくなり、面接のたびにブラッシュアップされ回答がスマートになっていくのだった。

学校みたいで楽しい職場。自分の素質を知るきっかけに

内定をもらったのは株式会社JCB。
営業、債権回収部門、同部署の係数担当と異動を繰り返すことになる。なかでも債権回収ではオペレーターを束ねるリーダー的役割を担った。
「支払いが滞っているお客さまに電話して行動を促す仕事のため、大変な仕事でしたが、人を指導するという仕事にやりがいを感じていました」
その後、係数担当へ。データを読み解く目を養えたことはメリットだったが、現場から離れ人との関わりがなくなり、数字ばかりを追う日々に「このままでいいのか」と考えるようになった。
「現場が好き」という気持ちは、このときすでに芽生えていた。

JCB時代(海藤さんより提供)

友人に憧れて時給850円のアルバイトからアパレル業界へ

そんなとき、海藤さんに心境の変化が訪れる。
アパレル会社勤務の友人が大好きなファッションに身を包んで働いている姿が、輝いて見えたのだ。
当時はファッション雑誌もよく売れていた時代で、カリスマ販売員やプレスの肩書きをもつ人たちが雑誌に登場していた。そんな背景もあり、海藤さんはJCBを辞めアパレルの世界に飛び込むことを決意する。JCBとは真逆の一店舗しかない小さな若者向けブランドのお店に、しかも時給850円のアルバイトとして入ったのだ。

勇気を持って転職してきたのだから、ひと花咲かせたい!

こうして24歳で異業種に転職。1年で正社員になったが、販売の難しさに直面した。
「意外に販売って難しいなと思いました。紹介したら売れると思っていたのですが、売れなくて。ついには販売が嫌になって、バックヤードに行く機会も多くなっていた時期もありましたね。でも、せっかく勇気を持って転職してきたのに何してるんだと!冷静に見る自分もいて。“ひと花咲かせなくちゃ!!”と気持ちを奮い立たせたことを今も覚えています」

そこからは先輩後輩問わず、売れている人の真似をし、わからないことは恥を捨てて聞いた。すると、面白いくらいに売れるようになり、職位も副店長、店長と上がっていった。頑張る海藤さんの周りには応援者も増えた。
また、販売コンテストでの実績やセール初日の売り上げ最高額を叩き出すなど、販売員としてのスキルを数字で証明し、スタッフの士気の高まりを肌で感じながら、店長としてのマネジメント能力も確信したのだった。

売れないビリギャル服販売員時(1社目)(海藤さんより提供)

思いがけないヘッドハンティング。環境を変え、アパレルを学び直す

仕事は順調だったが、他店舗との違いに違和感を抱いていた海藤さん。アパレル業界のセオリーを学ぶには、他の会社を知るべきなのかもしれないと感じるように。
ちょうどその頃、一本の電話が鳴る。それはヘッドハンティングだった。
愛着のあるお店を離れることに戸惑いはあったが、業界をもっと深く知りたいという気持ちが上回った。そして、ヘッドハンティングで2社目のお店へマネージャーとして転職する。

しかし、順風満帆にはいかなかった。これまでのやり方が通用しないのだ。
「前のお店では雑誌の発売日、新作の発売日には、在庫分が綺麗に売れた状態だったのですが、ここでは売れない。そしてようやく気づいたんです。これまで売れていたのはブランド力のおかげであって、認知の低いブランドは同じようにしても売れないのだと」

アパレル絶頂期(2社目)(海藤さんより提供)

さらに追い討ちをかけたのが、人間関係だった。鳴り物入りでマネージャーとして入社した海藤さんは、店長たちから反感を買ったのだ。
「『私たち店長はみんなマネージャーを目指して頑張っているのに、うちのブランドをよく知らない人がいきなりマネージャーだと言われても、実際売れないじゃない!あなたは前の会社でどれだけの成果を出してきたっていうの?』と正面切って言われました。今思えば理解できるのですが、当時は悔しいし腹が立つしで大人気ない態度をとったこともありましたね。ただ、私が成果を出すには彼女たちと敵対関係にいるわけにはいかない!と思い立ち、1から学びなおそう!と考えを改めました」

海藤さんは、自分の立ち振る舞いを振り返り、反省すべきところは謝罪した。そして、店舗の声を吸い上げ、本部と掛け合い、わがままと思う意見にも耳を傾けた。そして、店長たちの意見が正しいと感じれば本部と戦った。こうして信頼を少しずつ蓄えていったのだった。
「きついことを言われても、目的があったから頑張れた。相手に謝ることができたのも“人として自分が上回るため”と言い聞かせていました」と話す。

答えは現場にあると考えていた海藤さんは、どんなときも現場を優先した。実際に地方店の店頭に立ち、ラックの高さを調整するなど、店長たちとともに試行錯誤した。スタッフの動きやVMD(商品をどう配置するか)を徹底し、売り上げ拡大に貢献した。

給料ストップ、ブランド解散。元上司の声掛けで研修業を生業に

しかし、ブームが過ぎ去り、ブランド解散のときが迫っていた。
「給料って上からだんだん支払われなくなるんですよね。会社が資金調達に走っていたことは知っていたのですが、ついに私の給料もストップしました」
そしてやむを得ず、仕事を辞める決意をしたのだ。

普通は絶望するが、常に真剣勝負の海藤さんのまわりには、たくさんの応援者がおり、次のステージが待っていた。そして、退職後は元上司が立ち上げた販売代行業のサポートに入ることになった。
その後、海藤さんは自分が担当していた研修部門を業務委託契約にしたいと社長に申し入れ、それが認められたことで独立となる。

独立したて 研修中の海藤さん(海藤さんより提供)

紹介のみでビジネスを拡大。コロナ後は“小売の海藤”を掲げブランディング

独立後は、多様な小売業からコンサルの依頼を受けるようになった。
しかも、依頼はすべて紹介という。

アパレル店舗研修をする海藤さん(左)(海藤さんより提供)

「高速道路のサービスエリアのお仕事をしていると、テナントさんから声がかかったり、元上司や同僚から連絡がきたりして、仕事が途絶えることはありませんでした。けれどコロナのときは仕事がすべてストップ。紹介一本でやってきたのでどうすればいいか頭が真っ白になりましたね」

コロナ以降は、受け身のスタンスから能動的に動くことを学び実践した。
“小売専門のコンサルタントといえば海藤”と思ってもらえるように、いろんな場に出ていった。自分の専門領域を決め、尖らせることで、認知されるようになっていった。
「小売は利益幅が大きくないので、小売をフォーカスすることに躊躇うこともありましたが、私のキャリアから考えて、小売を切り離すことはできないから」と、海藤さんは話す。

アクセサリー店舗研修をする海藤さん(左)(海藤さんより提供)

取材の最後、海藤さんにこれからの夢を聞いた。
「1つは対法人に対しての価値提供です。結局、働く人の笑顔を作り出すには組織の力が欠かせないと感じています。だからこそ、店舗の組織づくりをもっと強化していきたいですね。もう一つは女性キャリアの支援です。販売職に従事していて、ブランドは若年層向けなのに自身の年齢は上がっていってこの後どうしていこうと悩んでいたり、ライフスタイルの変化によりこのまま店舗勤務ができるか考えてしまったり、キャリアに悩んでいる女性はとても多いです。そんな女性たちを支援できるプログラムをやりたいと思っています。個人の能力アップがひいてはお店のパワーになっていく、そんな循環を作れたらいいですね」と語った。

幹部社員向けに研修の成果発表をする海藤さん(海藤さんより提供)

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