他の子よりも「転びやすい」5歳の時に抱いた違和感…その後、30歳となった今、自身の体と向き合いながら夢を追う理由に迫る

他の子よりも「転びやすい」5歳の時に抱いた違和感…その後、30歳となった今、自身の体と向き合いながら夢を追う理由に迫る
幼少期の畠山駿也さんと兄弟(畠山駿也さんから提供)

みなさんは筋ジストロフィーという病気をご存じですか?
筋ジストロフィーとは筋肉が徐々に弱っていく病気で、国が指定する難病の一つです。

筋ジストロフィーでは、筋肉の形成・維持に必要な遺伝子に変異があります。
そのため、筋肉の中で必要なタンパク質が作られなくなったり、うまく機能しなくなったりして、筋肉が徐々に弱っていく病です。

今回取材した30歳の畠山駿也さんは、デュシェンヌ型筋ジストロフィーという病を抱えています。
しかし、病と闘いながらもチャレンジを続ける畠山さん。
そんな彼に、自身の病気や活動について話を聞きました。

幼少期の気づきと受け入れ

畠山さんは幼い頃から、他の子どもたちと自分は何かが違うと感じていました。
5歳の頃から筋力が他の子どもたちよりも弱く、転びやすい、重いものを持ちにくいといった症状が現れ、筋ジストロフィーという病気だと理解したのは小学校4、5年生の頃でした。

それでも、そのときは「少し筋力が弱いだけ」という認識で過ごしていたといいます。具体的に病名を知ったことで、漠然とした不安が少しずつ現実のものとして形を取り始めました。
しかし、まだ子どもだった畠山さんは「小さい頃は、それが大きな問題だとは思っていませんでした。むしろ、周りのサポートがあったので、普通に生活できていると思っていました」と深刻には受け止めていなかったと話します。

幼少期の畠山駿也さんと兄弟(畠山駿也さんから提供)

症状の進行と車いす生活の始まり

その後、畠山さんの症状は少しずつ進行していきました。小学校2年生の頃には、自力で立って歩くことが難しくなり、車いすでの生活が始まります。最初は車いすに対する抵抗感もありましたが、家族や友人の支えもあり、新しい生活に少しずつ適応していった畠山さん。その頃から「自分にできること」と「できないこと」を明確に意識するようになったといいます。

高校時代とゲームとの出会い

畠山さんの生活に大きな変化が訪れたのは、高校時代のことでした。車いす生活にも慣れ、日常生活は安定していましたが、手の筋力は徐々に低下。それでも、前向きに過ごしていた畠山さんは格闘ゲームに出会います。初めてゲームに触れたのは幼少期でしたが、本格的に対戦ゲームへめり込んだのは高校生のとき。ゲームの中で自分の能力を試し、競い合うことに夢中になりました。

「ゲームは僕にとって、新しい世界への入り口でした。体の制約があっても、ゲームの中では自由に動き回ることができたのです。特に格闘ゲームは、一対一で戦うので、自分の腕前を試すのに最適でした」と畠山さんは語ります。

車いすに乗っている様子(畠山駿也さんから提供)

病状の進行と格闘ゲームからの離脱

しかし、20歳前後になると、手の筋力も大幅に低下し、普通のコントローラーではゲームを楽しむことが難しくなりました。畠山さんは大好きな格闘ゲームから離れることを余儀なくされます。この時期は畠山さんにとって非常につらいもので、自分が好きだったものを諦めざるを得ないという現実が、心に大きな影を落としました。

「手の筋力が落ちていくのを感じたときは、本当につらかったです。大好きだった格闘ゲームができなくなるという現実を受け入れるのは、非常に難しいものでした」

新しい挑戦とコロナ禍の影響

畠山さんはその後ゲームから離れ、新しい趣味を見つけウェブデザイナーとして働き始めました。
その後、コロナ禍により生活が一変。外出が制限され、ヘルパーや看護師との接触も減り、自宅で過ごす時間が増えました。

しかし、この状況が畠山さんに新たな挑戦を促しました。
自分が一番好きだった格闘ゲームに再び挑戦しようと決意したのです。そして自身と同じように障がいを持つ人がeスポーツで活躍できる未来を描き、その情報発信をすることを決めました。

「コロナ禍で自宅にいる時間が増えたことで、自分と向き合う時間が増えました。その中で、やはり自分が一番好きだった格闘ゲームにもう一度挑戦しようと決めました。そしてゲームをするうちに障がいを持つ人がeスポーツで活躍できる未来を作りたいという思いが強くなりました」

そしてその後、自作で顎で操作するタイプのコントローラーを作成し、再び格闘ゲームに没頭します。
その半年後、eスポーツに関わる仕事に就きました。

大会中の様子(畠山駿也さんから提供)

eスポーツと障がいの掛け橋

現在、障がい者がeスポーツを通じて活躍できる場を提供するためのイベント制作に力を注いでいる畠山さん。特に、障がいを持つ人がゲームをプレイするための工夫やアクセシビリティを広める活動をしています。
ゲームが単なる娯楽を超えて、障がいを持つ人々にとって新たな挑戦と可能性を提供するツールであると、畠山さんは確信しています。

「ゲームは単なる娯楽ではありません。障がいを持つ人々にとって、新たな挑戦と可能性を提供してくれるものです。だからこそ、ゲームを通じて障がい者が活躍できる場を作りたいと思っています」と、思いを語ってくれました。

環境の改善と挑戦の継続

畠山さんは、自分の好きなゲームを続けるために、環境を整えることの重要性を感じています。
「病気そのものが障害なのではなく、環境が障害を引き起こす」といい、ゲームをするための環境を整えることで、誰もが平等に楽しむことができると信じていると話してくれました。

「自分の行動に責任を持てると自由になります。無責任だと何もできないし、何もできないから不自由なんです」

畠山さんの言葉には、障がいを持つ人々がどのようにして自分の好きなことを続けていくか、そのためにはどのような工夫が必要かという考えが込められています。畠山さんは、自分自身の経験を通じて得た知識と知恵を、同じように障がいを持つ人々に伝えたいと考えています。

イベントの様子(畠山駿也さんから提供)

ゲームを通じた新しい挑戦

自分の好きなことを続けるために工夫を凝らし、他の人にもその工夫を伝えることを大切にしている畠山さん。その活動は、同じように障がいを持つ人々にとって大きな励みとなり、挑戦する勇気を与えています。

「自分の好きなことを追求することで、他の人に何かいい影響を与えられたら嬉しいです。これからもこの活動を続けていきたいと思っています」

その熱意と努力が、障がいを持つ人々にとって新しい可能性を開き続けることでしょう。畠山さんの挑戦はこれからも続きます。

障がいを乗り越えるための工夫と考え方

畠山さんが語る中で特に印象的だったのは「できない理由を探すのではなく、どうやったらできるようになるかを考える」という姿勢です。この考え方が自身の生活にどれだけ大きな影響を与えたかを、畠山さんは強調します。

「自分以外のせいにできるものがあると、人間って工夫ができないんですよね。例えば、自分が障がいのせいで何かができないっていうときに「自分の責任じゃない」と考えちゃうと、努力のしようがないというか。だったらどうしたらいいかっていうことを考えづらかったりするんです」

イベントの様子(畠山駿也さんから提供)

病気と環境の関係

畠山さんは、病気そのものが障がいなのではなく、それがどのように生活に影響を与えるかという点に注目しています。
自分ができることに焦点を当て、そのために必要な環境を整えることが重要だと語りました。

「病気はどうしようもないことです。でも、その病気のせいで何かができないと諦めるのではなく、どうやったらできるようになるかを考えることが大切です。環境を整えることで、多くのことが可能になるんです」

環境を整えるための工夫

畠山さんは、自分が格闘ゲームをプレイできるようにするために、様々な工夫を凝らしています。例えば、コントローラーを自作し、それを使ってゲームを楽しむ方法を見つけました。
また、同じように障がいを持つ人々がゲームを楽しめるように、情報を発信したり、自身でも「ハチエフ HACHIMANTAI 8 FIGHTS ’24」というイベントの主催を務めています。

「僕が工夫していることを、他の人にも知ってもらいたいんです。自分一人ではなかなか難しいことも、情報を共有することで、多くの人が挑戦できるようになります」

コントローラーを操作する様子(畠山駿也さんから提供)

eスポーツの未来と畠山さんの目標

ラスベガスで試合をする様子(畠山駿也さんから提供)

畠山さんの目標は、eスポーツを通じて障がいを持つ人々が活躍できる場を広げることです。そのために自分自身もプレイヤーとして成長し続けるとともに、イベントの企画や運営に力を注いでいます。
この夏、畠山さんはラスベガスでのeスポーツ大会へ参加をしました。

ラスベガスでの集合写真(畠山駿也さんから提供)

「僕がラスベガスに行くのは、単に自分のためだけではありません。日本の障がい者eスポーツの未来を切り拓くための第一歩だと思っています」

畠山さんの活動は、障がいを持つ人々にとって大きな希望となっています。彼の情熱と努力が、これからも多くの人々に勇気を与え続けることでしょう。

出典:難病医学研究財団/難病情報センター『筋ジストロフィー』

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