右顔面と首に激痛が…「この痛みはやばい。死ぬかも」30代半ばで、前例のない首の手術をする必要があったわけとは

右顔面と首に激痛が…「この痛みはやばい。死ぬかも」30代半ばで、前例のない首の手術をする必要があったわけとは
【実際の写真7枚】首の状態(@syuntobyさんより提供)

保健所に収容されている猫を引き取り、新しい飼い主を探す活動を行なっている動物保護活動家の飛田俊(@syuntoby)さん。

飛田さんには生まれつき「血管奇形」という病気があり、30代半ばに手術をすることに。しかし、その手術には前例がありませんでした。今回は、手術に至るまでの気持ちや今後の活動などについて、飛田さんに話を聞きました。

生まれつきだった血管奇形について

飛田さんの首には、血管が集合したような青あざがあります。これは「血管奇形」と呼ばれるもので生まれつありました。飛田さん自身が記憶にあるのは、幼稚園に上がる前からだといいます。

首にあざのある飛田俊さん(@syuntobyさんより提供)

血管奇形による症状として挙げられるのは、マラソンなどの長距離を走ると血管がパンパンに膨れてしまうこと。そのため、激しい運動はあまりできないことを飛田さんの母親が学校の先生にあらかじめ伝えていたといいます。
また、破れてしまうと激しく出血すると聞かされていたため、飛田さんは第二の心臓のようなイメージで過ごしていました。

苦労したことについて「激しい運動を禁じられていたので、マラソン大会などでは常にビリ付近でした。自分の体力の問題だったのかもしれませんが『腫れれば無理はせず』といった感じでした。中学時代は剣道部に所属しそこそこ成績も残しました。ですが、高校からは技の中に『突き』が出てくるため、剣道をすることはできず、高校を剣道部で選ぶということはなかったです」と当時のことを振り返った飛田さん。

飛田さんは30代半ばから痛みが続くようになりました。それまでも痛みはあったといいますが、30代半ばからはほぼ毎日痛みが出るように…。

そこまで悪化するまで、決して放っておいた訳ではありませんでした。幼稚園の頃と23歳の頃に病院に行きますが、結局病名やこれといった治療法がなく「激しく痛み出したらまた診ていきましょう」ということで、治療や手術はズルズル先延ばしになっていたのです。

また、そのとき社会人だった飛田さん自身の仕事も忙しかったため、入院して手術をすることなどは考えられなかったといいます。

首への前例がない「硬化療法」へ

しかし毎日の痛みに加え、右顔面と首が常に痛むようになった飛田さんは「この痛みはやばい。死ぬかも」と感じ、真剣に病院へ通います。循環器科なのか心臓血管科なのかがわからなかったため、その二択で病院をいくつか受診してみましたが、それでも病名を即答できる医師はいませんでした。

「わからないのであればもう大丈夫です、他あたってみます」と医師に伝える飛田さんの心の中には、半ば苛立ちと諦めがあったといいます。

多くの病院をめぐり、ようやく行き着いた先の病院で「硬化療法で治る」という言葉を聞かされました。しかし、首への前例がなかったのです。硬化療法によって前例のない首への手術と、失敗するリスクに対してへの心境を聞いてみましたが「これまでの人生を振り返るとか、やり残したことはないか?」などすら考える暇なく手術当日を迎えることになったといいます。

しかしその当時、飛田さんはすでに動物保護施設に身を置いていたため、好きなことをして生きている自分にあまり悔いは感じなかったと話します。

手術後の飛田俊さん(@syuntobyさんより提供)

そして、手術は無事終わりました。

そのとき「硬化療法だってきっと何千もの動物に試されているかもしれない。その硬化療法によって今生きられている」と飛田さんは感じ、よりたくさんの動物の命について、より深く考えるきっかけとなったといいます。

これまでは「動物保護という好きなことをしている自分」だったのが「恩を返していきたいと考える自分」へと変化した瞬間になりました。

「丈夫に産んであげられなくてごめん」と謝る母

手術をするにあたって、周りの方々の支えについて聞いてみると、飛田さんのお母さんは「丈夫に産んであげられなくてごめん」と謝っていたといいます。

また飛田さんの上司や幼なじみが手術前に遠くから会いに来てくれたそう。

その人たちに「手術するわ!もしかしたら死ぬかもしれんけどそのときはよろしく!笑」と本当は緊張していたものの、普段から明るい性格の飛田さんが冗談めかして言ったため「周りもあまり本気にはとらえていなかった部分がありますね」と飛田さんは話していました。

病気のことを投稿するにあたって…

動物保護活動について主に発信している飛田さんですが、自身の病気ことを投稿するにあたってはこのような背景があったといいます。

「フォロワーであり、支援者様が私の『飼い主に先立たれた動物の気持ちを考えてほしい』という内容のストーリーを引用し、ご自身の病気、未来のことを投稿されていました。内容も重たいものだったので、投稿に勇気が必要だったことと感じました。その投稿に胸打たれ、私も自分の体験が他の方や、動物たちの役に少しでも立てるのなら…と投稿することを決意しました」

現在、飛田さんの投稿に対しては、コメントが多数寄せられています。そこには「生きていてくれてありがとう」という飛田さんへ温かいコメントがありました。そして同じく血管奇形に悩まされる方がいたことに驚いたといいます。なんと飛田さんと同じ首にある方が2人もいて、硬化療法の予後についてのダイレクトメールも届くそう。

これに対して「自分の経験を投稿することで、同じく血管奇形で苦しむ方々が救われるヒントになるかもしれないことが嬉しかった」と飛田さん。
さらに投稿して心からよかったと感じたことは、投稿内容の「硬化療法だってきっと何千もの動物に試されているかもしれない。その硬化療法によって今生きられている」という動物の犠牲についての気づきに共感するコメントでした。

保護されたトト君(@syuntobyさんより提供)

「それはきっと動物たちにとって少し優しい未来に近づくということですから」と飛田さんは話します。

「なにか」を感じてほしい

飛田さんは今後について「私は動物保護活動家であり、死ぬまでこの身を動物たちの未来に使う所存です。動物たちの未来を明るくするには伝えて続けて、それを見た方々に『なにか』に気づいてもらうことだと考えています。そのなにかは、各々が感じることにこそ意味があると思っています」と話します。

トト君と触れ合う飛田俊さん(@syuntobyさんより提供)

そして、飛田さんは「子どもの頃から戦争のお話と同じように、動物愛護も深く考える時間があってもいいはずだ」という思いから絵本の作成、学校への寄贈に力を入れています。現在は、大阪府下の全小学校に絵本を配るプロジェクトを行っていますが、今のところ約700校に寄贈できたとのこと。

「まだまだ動物のおかげで生かされた自分には、恩返しと呼べるできることがある」と語る飛田さんの活動はこれからも続いていきます。

出典:日本医科大学武蔵小杉病院『血管腫・血管奇形(硬化療法)』

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