飲酒後に異様なだるさを感じた1ヶ月後「睾丸が痛い」→医師「生存確率はほぼ0に近い」男性を襲った病とは

飲酒後に異様なだるさを感じた1ヶ月後「睾丸が痛い」→医師「生存確率はほぼ0に近い」男性を襲った病とは

男性の2人に1人、女性の3人に1人はがんになると言われている現代。がんを患い、闘病している人は数多くいます。

腎癌リーマン翔(@cancersurvivor_ajinonamero)さんは、自身が患っている「超希少がん」について、Instagramなどで発信しています。
治療の経過や、同じように病を患っている人からの質問に答えたりと、病気について多くの人たちとオープンに話す翔さん。

そんな彼に話を聞きました。

病の発見と経緯

現在は、体調に影響のないレベルまで腫瘍が小さくなり、翔さんは社会復帰を果たしました。薬の副作用はあるものの、日常生活を問題なく送れていますが、がんはいつでも大きくなる可能性があり治療は半永久的に継続していくといいます。

がん発見前の2023年7月、飲酒後に異様なだるさを感じたという翔さん。翌月8月には、腹部の違和感も抱き始めました。しかし、その時点では痛みはなく、普通に生活できていたため、様子をみていたといいます。そして、同月25日に睾丸が痛くなり、病院へ行くことに。

睾丸の痛みとお腹の違和感で病院へ(@cancersurvivor_ajinonameroさんより提供)
医師からの診断(@cancersurvivor_ajinonameroさんより提供)

当時タイに在住していた翔さんが、タイとアメリカで診断されたものは「undifferentiated sarcoma(未分化の肉腫)」というもの。肉腫自体、悪性腫瘍のなかの1%未満で、その肉腫にもたくさんの分類があります。その中で、翔さんはどの分類の肉腫にも属さない「未分化の肉腫」という、肉腫のなかでも特に珍しい肉腫という診断でした。

タイの三大病院でも過去に症例がなく、アメリカの肉腫専門医に送っても過去に症例がないものでした。日本でも同様で、日本有数のがんセンターでも過去に症例がないものらしく、病理診断にかなりの時間がかかったといいます。そして、日本では肉腫の要素もある「腎細胞がん」という診断になりました。

また、がんが見つかってから「5年生存率15%」と言われていましたが、希少で且つ遠隔転移した時点で大きく状況が変わります。絶望的で医師も「生存確率はほぼ0に近い」と話しており、翔さん自身、ネットで調べても希望はないのかなと思ってしまうほど。その瞬間は、恐怖と悔しさと、支えてくれている家族への申し訳なさとすべての負の感情が心に流れ込んできたといいます。

「超希少がん」との向き合い方

病気が判明したとき、翔さんは海外赴任中でタイに滞在していました。タイの有名私立病院はとてもしっかりしているため、タイで手術することへの抵抗は大きくはなかったといいます。翔さんは、会社が提携している国際医療コンサルタントに相談し、次のような理由で手術を決断しました。

まずは、日本で手術する場合は、帰国して再検査する行程も考慮すると1~2ヶ月かかるのに対し、タイでは3日後に手術できること。そして、翔さんのがんの進行速度を考えると、いち早く手術しないと致命的になる可能性があったこと。さらに、翔さんが通っていたタイの私立病院が信頼できる病院であったことが理由でした。

国際的にも非常に高い評価を受けている病院で、医療設備も充実しており、日本語通訳や日本人医師も在籍しているという点でも安心感があったといいます。

しかし「1年生きたらいい方だ」と告げられたときは、絶望的な感情になったという翔さん。さらに「ここまできてしまうと、5年10年先はもうないし、治療がうまくいっても1年はもたない」とも言われたそう。これらの言葉から、初めて自分の命の終わりを明確に意識したといいます。

そんな翔さんは、効かないと言われていた薬が劇的に効き、職場復帰できるまでに回復しました。これには、運を引き寄せるためには強い意志が必要なことから「ずっと近くで支えてくれていた妻や家族や友人、会社の同僚のおかげかなと思っています」と話す翔さん。しかし、薬の効果が持続する中央値は2年間と言われています。そのため、これからはその期間をどれ程のばせるか、次の薬で何を選択するかなどの選択も重要になり、戦いは今でも続いています。

過去にバックパッカーをしていた翔さん、後に海外での仕事に憧れる
(@cancersurvivor_ajinonameroさんより提供)

「すべてを受け入れる」と、翔さんが前向きに考えるようになったきっかけの一つは、妊孕性温存を検討する際の奥様との会話です。若い世代の場合、がん治療の前に妊孕性温存というものをすることがあります。それは抗がん剤により生殖機能に影響がある事を鑑み、男性でいうと精子を冷凍保存するものです。

いつかは奥さんとの間に子どもが欲しいという思いが強かった翔さん。しかし、それは自分勝手な気持ちであり、精子凍結をしに行かない方がいいのではないかとも思ったといいます。というのも、たとえ子どもが生まれたとしても片親となるし、何より自分がいなくなった場合に、奥さんに大きなプレッシャーや負担を与えると考えたためです。

そんな奥さんは、あまり自分の意志を言わず、翔さんがやることにもやらないことにも一切口を出してこない寛容で温厚な性格だといいます。しかし、翔さんが病院にいくのをやめようとしたときに、奥さんから「私は2人の子どもが欲しいし、たとえ1人でも子どもを育てる自信がある。何よりも、翔ちゃんがなんだかんだ生きている未来が、私はまだ想像できる」と、声を震わせながら言われたそうです。おそらく、翔さん自身が心の奥底で「もう生きられない」と悟っていることを思ってのこと。翔さんはこの言葉を聞いた瞬間、すべてを受け入れようと思ったそうです。

SNS発信への思い

翔さんは、最近Youtubeを開設し、SNSでがんについて発信しています。発信のきっかけについて、次のように教えてくれました。

「発信するようになった目的は、最初は情報をアウトプットすることによる気持ちの整理と、それにより有識者の目に留まることでした。つらい診断を聞いた後、自分のなかに留めておくことが大きな負担だったのと、多くの人の目に留まることで絶望的な状況から抜け出すきっかけをつかめるかもしれないと思っていました」

そんな思いで始めたSNSは、発信していくうちに多くの人からフォローされ、たくさんの人から「動画参考にしてます」や「私も病気で絶望しておりましたが、翔さんの動画を見て頑張ろうと思えました」といったメッセージをもらうように。そこから、人の役にも立っているのだと思い、今はそれも発信するやり甲斐となっているといいます。

投稿に寄せられたコメントに対して「嬉しいです。医療従事者からの勇気づけられるコメントや、同じように病気と闘う方々からの『勇気もらってます』や『共に頑張りましょう』といったコメントに幾度となく励まされてきました」と話しました。

今後も、がんやがん治療に対して極力フラットに情報を発信をしていきたいという翔さん。そういった逆境のなかで、どのように気持ちを保ってきたかも発信することで、逆境と立ち向かう人の役に立つ動画を発信できたらという思いがあるといいます。

翔さんの今後の目標は「今の幸せな生活が今後もずっと続くこと」と話していました。珍しいといわれるがんから、職場復帰まで果たした翔さん。翔さんの発信に勇気づけられた人は多いでしょう。

出典:国立研究開発法人国立がん研究センター『腎臓がん(腎細胞がん)』

腎臓がん(腎細胞がん):[国立がん研究センター がん情報サービス 一般の方へ]

国立がん研究センターが運営する公式サイトです。
ganjoho.jp

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