香川県高松市で小学生から高校生までを対象とした予備校「濱川学院」を経営する濱川武明さん。数々の教え子たちを有名大学に送り出し、卒業生たちは各界で活躍している。しかし、単なる受験対策にとどまらない教育にこだわる背景には、壮絶な学生時代の経験と、直面した地域格差にあった。
弱者の立場を感じる学生時代
小学校時代は比較的優等生で勉強も楽しいと感じていた濱川さん。身近に身体障がいがある人がいたこともあり、子どもながらに立場の弱い人に対して何かしたいという気持ちを持っていた。
「小学校時代、いつもすり切れているズボンをはいている同級生がいました。彼は学校でいじめられていて、私はその子の隣で泣き叫びながらそのいじめに抵抗した記憶があります。当時はうまく言語化できませんでしたが、本人は悪くないのに苦しい状況に置かれてしまう人々がいることに対して憤りを抱いていました」
その後、社会の役にたつためのより専門的な学びができると期待して地元の県立高校へ進学したが、その高校の教育・指導に段々と強い違和感を抱くようになる。
当時は徹底的な管理教育で、教師が子どもを殴ったり命令したりするのが当たり前。大人の理不尽さを感じ、学校教育に絶望した。進学校ではあったが勉強は一切せず、アルバイトとバンド活動に明け暮れる生活で停学も経験した。そんななか、転機が訪れる。
友人からの一言
「友人にひとり親であまり裕福ではない家庭の子がいました。貧困のスパイラルから抜けだそうと、必死で勉強も頑張っていました。しかし、母子家庭で生活のために本人もアルバイトをしている状況。最終的には、進学を諦めることになります。そのときに言われたんです」
「『進学したい私はその夢を断たれた。でも家庭にも恵まれている君は勉強もしないで現実から目をそらしている。こんなの理不尽よ』って。その言葉に私は強いショックを受けました」
そんなとき、ともに高校を停学になった友人が、勉強を始めていた。彼はのちに北海道大学へ進学したのだが、非常に自由な塾に通っており、紹介で濱川さんも通うようになる。そこで人生の師に出会う。
「当時、学年432人中ビリの成績でした。高校入学以降、ほとんどペンを持ったことがなかったため、字の書き方を忘れかけていたほどでした。そんな状態で勉強を再開。しばらくして久しぶりに学校にいったら、たまたま実力テストの日で受けるはめになります。すると数日後、学校に呼び出されました。なんと、英語と国語で学年トップの成績となり、学校中で大騒ぎになっていたのです。高校3年生の秋のことでした。それまで、大人たちから『くず、ごきぶり、くさったみかん』なんて言われていましたが…。それが、高成績で大人の反応がころっと変わったんです。その反応に、大人への不信感が余計に増しました」
挫折から、原点へ
高校卒業後、京都外国語大学へ進学した濱川さん。大学の制度で留学し、将来は国連や通訳者として活躍したいと考えていた。しかし、入学してみると英語の成績上位者が選抜される留学制度は、学生数の約4割を占める帰国子女たちで埋まっていた。
生まれ育った環境での圧倒的な格差を感じて、大学を退学しようとした。しかし、親から最後の親孝行をしてくれと言われて、卒業だけは約束した。
「親と喧嘩をして、学費は自分で出すと言ってしまったので、アルバイト漬けの生活になり留年は2回経験しました。家賃2万円代のアパートに住み、なんとか学費や生活費のために京都の祇園でホストやラウンジのマスターをして稼ぎました。将来の目標はバンドで世界を目指すことに。そんななか、夜の世界で知り合った上場企業6社の社長たちから面接もなく内定をいただきました。でも、会社のお金で若い女の子たちと遊ぶおじさん社長たちの姿を見て、こんな世界に足を踏み入れてはいけないと直感的に感じて断りました」
将来に悩んだ結果、原点に帰ろうと地元に戻った濱川さん。これまで、子どもなど情報弱者を狙って儲けるのが受験産業だと毛嫌いしていた。だが「外から批判するだけの大人」になるのはもっと嫌いだった。
「ちょうど、自分が変われたきっかけとなった塾の師匠(当時、岡山大学医学部生)が、医者になり地元に戻るタイミングでした。私は師匠の後任として、予備校講師の職に就くことになります。当時の姿はバイクに乗って、服装はピアスにブーツ。それが理由か、ヤンキーや不登校の生徒たちが『俺、やっぱり大学に行きたい』って集まってくるようになったのです。学校に不信感をもったりそもそも行っていなかったりした生徒たちを含め次々と、有名大学に合格していきました」
濱川学院の開校へ
その後、濱川さんは独立。前職時代の元生徒たちが、塾の設計や施工・教材づくりなどでサポート。繋がりのある企業から不要になった机と椅子を借り受け、文字通り何もないところから1ヶ月で開校したのが現在の濱川学院だ。
「親の経済的な面から、世帯年収の高さと学力の高さの関係性が私の経験から証明されました。私立の中高一貫校やインターナショナルスクール、海外留学などは財力がある家庭の子どもたちに有利な選択肢です。私は、教育はもっとハードルが低いものであるべきだと思います。吉田松陰が生きるために人間は学ぶと言ったように、受験のための勉強だけではなく、国際バカロレアやリベラルアーツの考え方を取り入れた授業にも取り組んでいます」
また、卒業生のつながりでキャリア教育や総合型選抜に対応したプログラムの提供も実施している。さらに、今年8月には高松市の中心商店街を舞台に、中高生を対象にしたサマープログラム「せとうち中高生のための教育ミライ会議」も初開催する。教育格差をテーマに、中高生たちが地域の大人たちや教育分野の課題解決に取り組む専門家の伴走を受けながら、ディスカッションや企画提案を行う2日間だ。
「地方の子どもたちは、選択肢が限られています。受験という視点でも、いまや総合型選抜での大学進学が過半数を占めるなかで、まだ地方では学力試験以外の選択肢を提示しない学校も少なくない。これでは、地方の子どもたちにとって大きな機会損失です。そこで今年度より、濱川学院に完全個別指導の『推薦入試コース』を設けました。総合型選抜では、子どもたちが地域社会と関わり、多様な大人たちと関わる経験が重要です。しかし、現状そのような機会はまだ少なく、私は人との出会いそのものが自分の世界を広げていくと思います。受験に限らず、そんな機会を香川の子どもたちに増やしていきたいです。そこで、今回地域の商店街やNPO法人などと連携してサマープログラムを開催することになりました」
「会場となるトキワ街は、かつて商店街の先が見えなくなるほど若者で賑わっていましたが、現在はかつての面影が少し残る程度です。私はここを文教地区にしたいと思います。単なる知識の勉強だけでなく、子どもたちが自由に学べて文化をつくる場にしたいです。だからこそサマープログラムも単発ではなく、四半期に1回程度の頻度で継続して開催していきたいと思います。文化には時間がかかります。目に見えない抽象的なもの。あって当たり前だと思われたときに文化と言えます。地道ですが、着実に進めていきたいと思います」
前述のサマープログラムには、香川県外から中高生が続々と集まってきているという。かつて若者たちによって栄えた街で、新たに生まれる学びの文化。これからはじまるムーブメントに目が離せない。