脊髄性筋萎縮症(SMA)という病気を知っていますか?脊髄の前角細胞の変性による筋萎縮と進行性筋力低下を特徴とする下位運動ニューロン病です。
春の陽だまりのようなかわいらしい笑顔を見せてくれているのは桜ちゃん。桜ちゃんの両親(@harusakinosakura)はSNSで桜ちゃんの治療の様子や医療的ケアについて発信しています。
桜ちゃんは生後6ヶ月のときに【呼吸窮迫を伴う脊髄性筋萎縮症Ⅰ型(SMARD1)】と診断されました。桜ちゃんの病気は脊髄性筋萎縮症のなかでも稀な病気であり、治療法や薬も確立されていません。
この記事では現在2歳になった桜ちゃんの病気発覚から最近の様子、在宅での医療的ケアについて両親に話を聞きました。
生後2ヶ月 両親が感じた不安
桜ちゃんは2021年7月に2000gと少しでこの世に誕生しました。産後の検査や、拡大新生児マススクリーニングでも異常はみられず、退院してから1ヶ月はお母さんの実家で過ごしました。
生後2ヶ月になり予防接種のために訪れた病院で、お母さんは桜ちゃんの体重があまり増えないことについて医師に相談します。その病院で桜ちゃんの胸の凹みを指摘され、漏斗胸の疑いがあると別の病院を紹介されます。
※漏斗胸…みぞおち付近を中心に胸部が陥凹する先天性異常の症状。
紹介されて受診した2つ目の病院では、漏斗胸に加えて呑気症と診断されました。この対応として授乳回数を増やしたり、ミルクを足したりといったことが医師から提案され、しばらくは不安を抱きつつやってみたそうです。
しかし、その後2週間たっても桜ちゃんの体重は増えず、心配になったお母さんは桜ちゃんを出産した病院で診てもらうことにしました。この病院で桜ちゃんの様子をみた先生は、すぐに桜ちゃんの足の動きの違和感と喘鳴に気づき、大きい病院に紹介状を書くとともに予約を取ってくれました。
診断がつかないまま、ひどくなる呼吸症状
すぐに大きな病院に転院し、検査入院をしましたがどの検査も陰性。なかなか診断がつかない状態が続きました。
そんななか、桜ちゃんの呼吸の様子が悪化。気管挿管が行われ、その状態で1ヶ月半過ごすも改善せず、挿管のままでは感染症のリスクがあるということで気管切開をして桜ちゃんの呼吸を助けることになりました。
このとき両親は、病名がつかないまま気管切開することに抵抗があったといいます。しかし、桜ちゃんの命にかかわると医師に言われ、気管切開を承諾しました。
コロナ禍での入院 面会できない中ついに診断が
桜ちゃんが入院していたのはコロナ禍だったこともあり、まん延防止等重点措置の影響で一時面会できない期間がありました。
桜ちゃんと両親が会えないその期間中に2回目の遺伝子検査の結果が判明。桜ちゃんの病気が世界で60症例ほどの稀な病気【呼吸窮迫を伴う脊髄性筋萎縮症Ⅰ型(SMARD1)】であることがわかったのです。両親が最初の違和感を抱いて医師に質問した日から4ヶ月目のことでした。
小学生になれないかもしれない つらい現実と向き合う両親
桜ちゃんのように生後0ヶ月~生後6ヶ月に発症するⅠ型の場合、多くの子の症状として支えなしで座れない・首がすわらないといいます。
「自分の娘がおすわりができない、歩けない、普通に生活できないとわかり、気持ちはどん底だった」とお母さんは話します。お父さんもそのときの心境について「何かの間違いじゃないか、そんなわけないといった悲しみと怒りがわいてきた」と話してくれました。
自分の娘が何歳まで生きられるかわからない、小学生になれないかもしれないし成人を迎えることは叶わないかもしれないという現実に直面し、実際に桜ちゃんの病気を受け入れるのに1年という歳月がかかったといいます。
そんななか、zoomで面会するたびに看護師さんが写真で桜ちゃんの様子を伝えてくれ、頑張っている桜ちゃんの様子が日々の励みになったのだそうです。
その後まん延防止等重点措置が解除となり、お母さんは桜ちゃんの付き添い入院ができるようになりました。久しぶりに桜ちゃんに会ったとき、お母さんはただただ、桜ちゃんのことをかわいいと感じました。これから始まるお世話や医療的ケアのことはどうしたらいいのかわからないものの「娘がかわいい」という思いが、頑張ろうと前向きな気持ちになれました。
自宅に帰り家族3人での生活がスタート
桜ちゃんが退院し、家に帰ることができたのは生後9ヶ月の頃でした。
そのときお父さんは会社員として働いていましたが「桜と過ごせる時間に後悔はしたくない」と育休を申請。延長を申し出ながら1年3ヶ月フルに育休を使い、自宅で桜ちゃんと過ごす時間にあてたのだそうです。
その後も自宅で桜ちゃんのケアをしながら働けるスタイルを模索。お母さんは特例で今までの会社の社員として在宅勤務。お父さんは転職し在宅で仕事をしながら桜ちゃんの医療的ケアができる環境に整えました。
現在の桜ちゃんは、腕が動きにくくなってきたり、食事や水分の飲み込みが不自由になってきたりと病気の進行はあるものの、食べたい気持ちや、食の好みが育ち、その思いを桜ちゃんなりに表現できるようになってきたそうです。
「自宅に訪問看護の保育士さんに来てもらったり、デイに通ったりと、いろいろな人とふれることで感情が豊かになってきました。みんながかわいがってくれて、病気だけど人には恵まれていると感じます」とお母さん。
「にらめっこすると、口を動かすようになり些細な変化が今は嬉しいです。訪問看護の方が気づかないような小さな変化でも自分にはわかることがある」と側について看ることができる選択をしたからこその喜びをお父さんは語ってくれました。
SNS発信からの出会い
桜ちゃんの両親がSNSで桜ちゃんについて発信しようと思ったきっかけを尋ねると「世界で60症例しかない病気についてネットやSNSでたくさん調べたものの、同じ病気の子がおらず苦労しました。在宅で娘を看るようになって余裕ができたこともあって、発信を始めてみようと思ったのがきっかけです」と語ってくれました。
桜ちゃんについての投稿は、多くの医療的ケアを必要とする子の家族の助けになっているようです。SNS発信を始めて半年後くらいに同じ病気の子から連絡があったのだそう。その他にもSNSから広がった縁で医療的ケア児のお母さんやお父さんと知り合うことができ、みんなでお花見をしたこともあるといいます。
両親あてに相談のDMも来ることがあり、呼吸器の扱い方をアドバイスしたり、おすすめのリハビリのできる病院などの情報交換をしたりと自分たちが経験したことを伝えているそうです。
自宅で医療的ケアをしている家庭はお母さんがつきっきりで看病していることが多い印象なのだそう。悩みや不満を抱えているお母さんたちにとって、桜ちゃんの両親が発信する情報が助けになり、情報交換ができる場所になっているようです。
これからの発信について
「今後も“自分たちはどうしたらいいんだろう”と悩む方に“うちはこういうふうにしています”“こんなことも考えてみたらどうですか?”というような発信や情報交換ができたらいいなと思っています」とお母さんは今後の発信について語ってくれました。
「生活を考えてなかなか仕事を変えるという選択ができない人もいると思うけど、そんなに頑張らなくてもいいんじゃないか、こういう生き方もあるんだよと知ってもらえればと思っています」
転職を決意し、在宅で桜ちゃんを看ながら働くお父さんはそう話し「生活水準は下がるけど桜のこと看ていたいから仕事辞めていい?」と桜ちゃんのお母さんに相談し、転職に至った経緯も話してくれました。
重い病気を抱えながらもたくさんの笑顔を見せてくれる桜ちゃん。日々の桜ちゃんの成長に勇気をもらっている方がたくさんいます。病気の発覚からこれまで、長く続く治療をひとつずつ家族で乗り越えている桜ちゃん一家に、今後もたくさんの笑顔の花が咲きますように。
【引用】
難病情報センター『脊髄性筋萎縮症(指定難病3)』:https://www.nanbyou.or.jp/entry/285
一般社団法人 日本形成外科学会『漏斗胸』:https://jsprs.or.jp/general/disease/umaretsuki/kyobu/rotokyo.html#:~:text=1.%20%E6%BC%8F%E6%96%97%E8%83%B8%E3%81%A8%E3%81%AF&text=%E3%81%BF%E3%81%9E%E3%81%8A%E3%81%A1%E4%BB%98%E8%BF%91%E3%82%92%E4%B8%AD%E5%BF%83%E3%81%AB,%E6%80%A7%E3%81%AE%E5%A0%B4%E5%90%88%E3%81%8C%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82