世のなかには、さまざまな病気と闘っている人がいます。大人だけに限らず、子どものなかにも病と向き合っている子がいます。
4歳のこうあくんは小児脳腫瘍で闘病中です。こうあくんの両親(@mk070_2)は、Instagramでこうあくんについて発信しています。2023年8月に希少がんと診断され、2024年4月に退院したこうあくん。今回は、こうあくんの両親に病気について話を聞きました。
病気の判明から治療まで
病気が見つかる前、2、3日おきに1回ほど嘔吐があり、かかりつけ医では便秘という診断で数ヶ月通院していたこうあくん。しかし、処方薬を飲んでも改善する様子はなく、本当に便秘なのかと家族で話し合っていました。
また、そのころのこうあくんは何もないところで転ぶ、朝に頭痛を訴える、笑ったときに片方の口角しか上がらないといったこともありました。
以前に熱性けいれんを経験したこうあくん。37.5度以上の発熱で保育園から連絡がくることになっていましたが、頻繁に微熱の連絡がくるように。しかし、家に帰ると熱は下がり、かかりつけ医には「便秘による微熱」といわれていました。
ある日、保育園の給食中に痙攣があったと連絡を受け、両親はすぐに仕事を早退し園へ向かうことに。向かっている途中で再び保育園から連絡があり、10分以上の痙攣のため救急車で市民病院へ搬送されたと言われます。
両親が病院へ行くと、先生から「親御さん2人で来てください」と言われたことから、何かよくないことだと察したといいます。その予感は的中し、CTの結果には、両親が見てもすぐにわかるくらいの腫瘍が写っていました。そしてすぐに大学附属病院へ救急車で移動することに。
搬送されている間、両親はひたすら泣いて言葉にもならなかったといいます。病院でMRIを撮ると「何かしらの脳腫瘍です。手術はうちでもできますが、セカンドオピニオンを検討してみてもいいです」と言われました。このときはまだ病名までわからず、小児科の先生から別の大学病院を薦められ、転院することに。
そして、8月16日に大学病院での検査後、18日には12時間にわたる手術となりました。手術で取ったがん細胞を検査に回した結果から下された診断は、AT/RT(ラブドイド腫瘍)という希少がんでした。
医師からの説明のあと、両親もいろいろ調べましたが調べても調べても悪いことしか書いてありません。ただでさえ絶望していたなかで、期待を見つけることができずさらに絶望したといいます。希望をみつけられず、日々闘う本人を目の前にし、当初は「死んでしまったらどうしよう」と考えてしまうことも。
こうあくんは、10cm近くあった腫瘍を取るために12時間の手術を受けました。その後、脳脊髄内に数え切れないほどの播種もあったため、術後、リハビリなどしつつ放射線治療が始まりました。計30回の放射線治療を行い、その後1ヶ月一時退院。一時退院後は大量化学療法といわれる治療を4クールしました。また、各クールごとに自家末梢血幹細胞移植という、元々取っておいた細胞を移植し回復を早める治療も4回行いました。この細胞移植のおかげで回復が早かったそうです。
4歳のこうあくんには大変な治療ですが、難しい説明はせずに、本人には「頭のなかにサッカーボールがあるから、取るために頑張ろうね」と伝えたという両親。難しい話は理解できないかもしれないという思いからだったといいます。
そんな話を聞いたこうあくんは、難しいことはわからなくても「ボールなくなったら帰れる?」と言い、“頭のなかにボールがある”という認識はしていたそうです。
病気と闘うこうあくんと、治療を支える両親
治療を支えていく両親にとっても、さまざまな苦労がありました。隔離されたエリアにある半個室では、こうあくんと2人きりのため、気持ちをぶつけるところや話し相手がいません。孤立したような空間での付き添いは、頭がおかしくなると思うほどだったといいます。
こうあくんが痛がったり具合が悪かったりしたときもまた大変でした。1、2時間おきのオムツ替えや食事、大泣きするこうあくんを押さえつけるなど、メンタル的にきついことも続きました。
そんななかで退院がみえてきたとき、こうあくんもお母さんも頑張りすぎて号泣してしまったといいます。治療中はなんとか抑えることができた焦りや日々のイライラが、退院がみえたことで気が緩んだのか爆発。そのときもちょっとしたことがきっかけでこうあくんがパニックになり嘔吐。パニック中は何を言っても耳に入らず、次第にお母さんもパニック状態に。
退院前は口から食べられるようになる必要があり、こうあくんもお母さんも苦戦しました。そんな課題がストレスとなり、パニックで嘔吐してしまったときも「せっかく食べたものが…」という気持ちになってしまったというお母さん。
ほとんどお母さんが付き添っていましたが、看護師さんからの助言もありこのタイミングでお父さんと代わることに。付き添いが代わると食事量が増え、こうあくんもお母さんも息抜きできる場があった方がいいと感じたといいます。
退院するにあたり、医療従事者の方々やお友達など、支えてくれた人たちへの思いについて、次のように話しました。
「退院が近づくにつれ、辛い思い出が多かった病院での生活が気付けば第2の生活の場となっていたので、寂しい気持ちにもなりました。こうあによくしてくれた看護師さん、そしてこうあと関わることが多かった保育士さんにも感謝しています。元々の友人からも優しい言葉や励ましの言葉もありましたが、本音でいうと、当事者とその家族にしかわからない気持ちもあるのでこちらからあまり話しませんでした。治療中病院で仲良くなったママさんとは、たわいもない話や治療中の相談、思いを打ち明けていたので、頻繁に会えなくなる寂しさも強くなりました。それと同時に一緒にここを退院できるんだね!と嬉しい気持ちにもなりました。投稿する度に応援の言葉やアドバイスなどをもらい、SNSでもとても励まされ感謝の気持ちでいっぱいです」
また、治療を終えたこうあくんへの思いについて「病気が判明してから大きな手術、辛い治療を乗り越えてくれたこうあには『頑張ったね』と簡単には言えないくらい、どの言葉が相応しいのか悩むほどさまざまな感情があります。1番は『生きててくれてありがとう。それと同じくらい辛い治療を乗り越えてくれてありがとう』の気持ちが強いです」と話していました。
今後について
退院してから1年以内は再発率がとても高いといいます。今もまだ外出などに制限もあるため、やれることは限られているというこうあくん。
しかし、今後について「何があっても後悔したくない。制限もあるなかでも、こうあの『やりたい、したい』を実現できたらなと思っています。兄妹も含め家族5人で一緒に過ごせることの幸せを噛み締めながら日々生きていきたいと思います」と話しました。
大変な治療を頑張ってきたこうあくんとご家族。大変だった分、今後たくさんの笑顔に囲まれて過ごせることを祈るばかりです。