難病を患い、1年7ヶ月でお空へ旅立った息子についてInstagramで発信しているちむにー(@chimny.illust)さん。闘病時の出来事や自身の気持ちをイラストにして投稿しています。
なぜ息子さんについて投稿していこうと思ったのでしょうか。ちむにーさんに話を聞きました。
忘れないよ
ちむにーさんは、息子さんがお空のお星様になってから、親としての自分の気持ちや息子さんと過ごした日々で思ったことなどをイラストを通じて発信しています。
「息子と過ごした日々は1年7ヶ月と、世間的には短いものだと思います。しかし、私たち家族にとってはとてもかけがえのない日々でした。この期間を通して息子が教えてくれた気づきを周りに伝えていくことが、亡くなった息子のためにできる数少ないことなのかなと思っています」
ちむにーさんは投稿を見ている人に「1人じゃないんだ」「こんな世界があるんだな」と感じてもらい、今自分が持っている日常の幸せを見つめてほしいと思って日々イラストを描いているそう。
息子に限ってそんなことは
ちむにーさんの息子さんが患ったのは『拡張型心筋症』でいくつかの種類がありますが、正確な病名は『特発性拡張型心筋症』。心臓の筋肉の収縮する能力が低下し、左心室が拡張してしまう病気で、指定難病の1つ。
息子さんは症状が重く、発覚時のレントゲンでは心臓が目に見えて分かるほど大きくなっていました。収縮するはずの心臓が、ただ揺れているような様子だったといいます。
治療法は薬などの内科的治療ですが、根本的な治療法は心臓移植。息子さんは内科的治療が効かず、小児用の補助人工心臓を装着後、移植待機をしていました。
生後2ヶ月半のときに病気が判明した息子さん。生まれてから判明するまでは健康そのものだったそうです。病気が判明する1週間ほど前から、少しずつミルクの飲みにムラが出てくるようになり、ミルクを飲む途中で寝落ちしてしまうように。救急にかかったその前日も、通常の半分ほどの量で寝落ちしてしまいました。そのあとも何度かミルクを与えても少ししか進まず、飲んだと思ったものを全部吐き出したのだそうです。「こんなにミルクを飲まないのはおかしい、その上呼吸も荒く顔色も悪い」ちむにーさんは救急にかかることを決めました。
「いや、うちの子に限って大事にはならないかな」「何もなければそれが1番いいから念のため…」という軽い気持ちで救急へ向かったちむにーさん。医師から「心臓に問題があるかも」と告げられたときは、本当に頭が真っ白になり全身の力が抜けたと言います。
その後、医師たちの計らいで心臓特化の病院に搬送・処置をされた息子さん。搬送中もいつ心拍が止まるかわからない状況で、同乗した救急車のなかでちむにーさんはただ祈ることしかできませんでした。
「拡張型心筋症」と病名がわかったとき、ちむにーさんはピンときていなかったようですが、ちむにーさんの旦那さんは医療ドラマなどでその名前をよく見聞きしていたそうです。すぐに「いつかは心臓移植なのかな」と思ったのだとか。
医師からは「根本的な治療法は心臓移植です。10年前はただ見守っているしかなかった病気ですが、今は内科的治療が進歩しています。投薬で改善し日常生活に戻ることができる可能性もあります」という話がありました。
今まで息子という存在が当たり前にいると感じていたちむにーさん。たくさんの管に繋がれた息子とのギャップに、胸が苦しくなり涙が止まりませんでした。
「これから始まる闘病生活、頑張っているのは息子自身なのだから!」となんとか自分を鼓舞したことを今も覚えているそうです。
先の見えない不安
最初の病院での入院中、息子さんが起きていることはほとんどありませんでした。
起こしていること自体が心臓に負担になってしまうからでした。毎日洋服やタオルの替えを持っていき、息子にたくさん話しかけたり、なでたりしてちむにーさんは過ごしていました。
2つ目の病院では、補助人工心臓を装着し一般床へ。一般床では入院しているというより「暮らしている」感覚に近かったそうです。補助人工心臓はチューブと機械がつながっているため、行動範囲が半径1メートルほどに限られます。そして心臓を移植するまでの先の見えない長期入院でした。
たくさんの検査やリハビリがあったそうですが、なるべく病室を家のように感じながら息子さんと過ごすのを心がけていたちむにーさん。医療スタッフの方々もそのように配慮してくれました。穏やかに息子さんだけと向き合う時間が取れたのは、ちむにーさんにとってとても尊いことでした。
コロナ禍での入院だったということもあり、大変なこともたくさんありました。
「面会時間がとても短いこと、私たち両親が一緒に面会できないこと、親族に会わせてあげられないことです。いつ容態が悪化するか分からない、どのくらい息子に残された時間があるのか分からないなか、家族で過ごす時間が少なかったのは本当に残念でした」と当時の状況を教えてくれました。
「そしてもう一つは、コロナ禍により移植医療が停滞してしまっている状況だったこと。小児用補助人工心臓(エクスコア)はどこの病院にもあるわけでなく、台数も稼動施設も限られるもの。息子が入院した当初、全台数が埋まってしまっている状態で、それは移植がまったく進んでいないということ。エクスコアは何年も装着されることを想定した機械ではありません。長く装着すればするほど当然リスクも上がっていきます。息子もそのリスクで命を落としたわけですが、エクスコアの空きが出るということは移植までたどり着いた、もしくは誰かの尊い命が亡くなってしまったということでもあります。コロナ禍により移植が進まずに亡くなった子たち、エクスコアを装着できずに亡くなった子たち…自分たちではどうしようもない状況のなかで常に生と死と直面し続けていることが辛く悲しいことでした」
誰かの勇気に
もともと、付き添い入院の合間に息子さんが寝た傍ら、記録としてイラストを描きSNSに投稿していたちむにーさん。投稿を続けていくなかで、同じような状況の家族と繋がったのは精神的にもとても救われたそうです。
あるとき、息子さんの病状が悪化してしまい、どう気持ちを保っていいか分からなくなったちむにーさん。そんなとき、とあるメッセージをもらいました。
メッセージを送ったのは、いつもちむにーさんの投稿を見ている方。その方のお子さんも病気と闘っていました。送られてきたのは「投稿を見ていつも励まされていました。ちむにーさんの息子さんも頑張っているんだなと勇気をもらっていました」という内容。
「息子の頑張りが誰かの勇気になっているんだな」と、ちむにーさんは胸が熱くなったのを覚えているとのこと。
「息子の闘病生活から亡くなってしまった現在までいろんなことを経験しました。イラストにして描き出すことは自分の心の整理にもなっていると思います。その経験が誰かの希望や寄り添い、励ましになればと思い投稿しています。フォロワーさんから反応をいただけるとき『私たち家族の経験は決して無駄なものではなかった』と、自分自身も息子の死も肯定できているような気がします」
SNSを通じて、ちむにーさんの気持ちに変化があったようです。
ちむにーさんの投稿について、旦那さんはこう話してくれました。
「息子に用意された生きられる時間はあまりにも短く、ご飯を食べたり、歩いたり、多くの子どもたちが当たり前にできることをさせてあげられませんでした。そしてもう増えることのない息子の写真や思い出はどうしても過去のものになってしまいます。しかし私たちにとって息子と過ごした期間は過去のことではなく現在であり、未来でもあります。妻の発信によって息子は過去ではなく今を生きていられるのではないでしょうか。天使になってミルクを飲んだり、おでかけしたりしている姿をイラストで垣間見ることができるのはとても幸せなことだと思います」
今後は『移植医療』について発信していきたいと考えるちむにーさん。
「移植は『ドラマのなかだけの話』という印象を持たれる方も多いかと思います。しかし、決してそんなことはありません。誰しもが突然当事者になり得る可能性があります。そのときに自分はどういう決断をするのか、家族がどういう決断をすればいいのか。臓器提供意思表示に丸をつけて欲しいわけでは決してなく、どの決断も「正解」であり「間違い」はありません。「命」についてそれぞれが考えて欲しいなと思っています」
他の人にも自分たちの経験を活かしてほしいちむにーさんの気持ちが伝わってきます。
今、同じ境遇にいる人へは「先のことを考えすぎず、目の前にある命に精一杯愛情を注ぐこと、そしてあえて『普通』に過ごすことを頑張ること」を大切にしてほしいと語ります。これは息子さんが亡くなった今もちむにーさんが大切にしていることです。
「息子が入院中、数えきれないほどの不安や悩みを私も抱えていました。どこかにきっと共感してくれる人がいる『1人じゃない』ことを忘れないで、大変な時は声をあげて欲しいです。私は『想像は世界を優しくする』と思っているのですが、何も知らないと想像できないし助けることもできません。だからこそ、知ってほしい方に自分の話をしてみてください」
誰かに話すのは逃げでも恥ずかしいことでもありません。絶対に話を聞いてくれる人はいます。同じような境遇の方にこの投稿が届くことを願っています。
【参考資料】
難病情報センター