「オストメイト」をご存知でしょうか。病気や事故などにより、ストーマと呼ばれる人工肛門や人口膀胱を造設した人を「オストメイト」といいます。
障がい者専門芸能事務所「アクセシビューティーマネジメント」に所属する髙橋芽生子(@crohn.chan)さんは、7歳のときにクローン病を患い、23歳で永久人工肛門になりました。Instagramでは、オストメイトについて広く認知してもらうために、自身の経験や暮らしぶりなどを発信しています。
今回投稿されたのは「オストメイトが温泉に入ることについて」です。芽生子さん自身は温泉を楽しんでいるそうですが、オストメイトの方の中にはなかなか温泉を楽しめないという方がいるとのこと。
投稿された内容やご自身の病気、オストメイトなどについて、芽生子さんに話を聞きました。
オストメイトが温泉に入ること
オストメイトが入浴できない温泉があるわけではないと話す芽生子さん。温泉の成分が原因で入浴できないことはなく、温泉地側が入浴を禁止していなければ入ることはできます。
ただ、オストメイトはお腹に袋(パウチ)がついている状態で入浴するため「人目を気にして入りたがらない方が大半だと思う」と芽生子さんは話します。
また、そこにはオストメイトのことが認知されていないという理由もあります。
オストメイトを知らない方は、お腹の袋を見てびっくりしたり、入浴中に便が漏れてしまうのではと心配したりするかもしれません。
オストメイトはそのような方のことを考えて遠慮しているところもあるのではないか、と芽生子さんは話しました。
厚生労働省からも、オストメイトへの理解を呼び掛けています。とはいえ、実際にはまだ理解が進んでいないのが事実です。
オストメイトの方でも入ることができる温泉を増やすために必要なことについて、芽生子さんは「オストメイトという障がいの認知、正しい情報の周知と理解が必要だと思っています。オストメイトが冷たい目線を向けられないように、温泉のなかではパウチを剥がさない、パウチがきちんとくっついていれば温泉に浸かっても便は漏れてこないことなど、誤解や心配されていることが正しく伝わることが必要だと思っています」と話しました。
芽生子さんの「オストメイトが温泉に行くのはあり?なし?」という投稿には、賛否両論あるコメントが寄せられていました。
175人からの回答があり、あり87%、なし13%という結果に(2024年2月24日時点)。
しかし、9割近くの方が「あり」と回答していたものの、オストメイト当事者からは「温泉は諦めた」「行っても絶対貸し切り」「一瞬で出る」などの消極的なコメントが多く寄せられたといいます。
この結果を見て「オストメイトでも温泉楽しめばいいよ!」と思っていても、当事者が踏み切れていない現状があると芽生子さんは感じました。
「いつかオストメイトでも温泉を楽しめる社会になるように、もっともっと私自身が人前に出て、オストメイトの認知を上げ、恥ずかしいことではないことを伝えていきたいと思います」
なお、厚生労働省では「入浴着」についても呼びかけています。
オストメイトや入浴着などの理解が進み、温泉に入りたくても躊躇してしまうという方が温泉を楽しめるようになってほしいですね。
クローン病について
芽生子さんが人工肛門になったきっかけは7歳のときにかかったクローン病でした。
ー芽生子さんが抱えているクローン病とはどのような病気・疾患なのでしょうか?
クローン病とは、大腸や小腸などの粘膜に、慢性的な炎症や潰瘍ができる炎症性腸疾患(IBD疾患)の1つです。クローン病は若年者に多く、口の中からお尻の穴に至るまでの、すべての消化管に炎症や潰瘍が起こり得る病気で、原因不明と言われており、難病指定されている疾患です。
ー7歳の時に病気が判明したとありますが、当時の心境について教えてください。
発病は7歳のときだったので、当時の心境を覚えていないというのが正直なところです。
私の場合は、クローン病の症状の1つでもある肛門病変(痔ろう)が初期症状だったので、そのための手術を1年で3回ほど繰り返し行っており「お尻が治ればまた元の生活に戻れる」くらいに思っていました。
自分自身が治らない原因不明の病気だと知ったのは、発病から5年ほど経ったときのことでした。
通院する途中で、ふと母に「いつまで通院すればいいの?」と何気なく質問したら「今は治療法のない病気だから、治る薬ができるまではずっと通院しないといけないね」と言われ、そのとき初めて自分がクローン病という原因不明の難病で、生涯付き合っていかないといけない病気であることを認識しました。
一瞬、時が止まるような感覚で、衝撃を受けたのを覚えています。
しかし、今すぐ命に直結するような病気じゃないだけ私は恵まれているのかもしれないと、自分に言い聞かせるように受け入れようとしていた気がします。
ーどのような生活を送られていたのでしょうか?
食事面が最も大きな変化でした。クローン病は消化管に炎症が起こるので、消化管になるべく負担をかけないことが重要だと言われています。
そのため、普段の食事では、低脂質・低残渣食しか食べられなくなり、揚げ物や油の多いお肉はほぼ食べられませんでした。お菓子・デザート類は飴やガム、麩菓子やおせんべいに。消化のよくない海藻やキノコ類は一切なし、フルーツのイチゴすらもつぶつぶの種が負担になると言われ、表面のつぶつぶを剥いてもらい食べていました。
小学生の頃は給食も食べられず、私だけ毎日弁当を持参。さらに、食事とは別に1日1,200カロリーの成分栄養剤(1,200ml)を摂取していました。
当時は今と異なり飲めるような味や匂いではまったくなく、鼻から胃まで管を通して行う経管摂取が主流だったので、毎晩寝る前には鼻から管を通し、夜間寝ながら栄養剤を摂取して栄養を補うという生活でした。
自身に絶望する出来事がきっかけで、23歳のとき永久人工肛門に
ー23歳の時に永久人工肛門になったとありますが、経緯について差し支えない範囲で教えてください。
肛門病変を繰り返していた私は、痔ろう癌になるリスクが高かったこともあり、高校生のときから主治医には「人工肛門にしたら楽になるぞ~」と言われていましたが「絶対に嫌」と頑なに拒んでいました。
しかし、大学生のときに当時の生活が嫌になり、少しでも生活を楽に、将来のことを考えて人工肛門という選択をしました。
当時一番困っていたのは、排便のコントロールがうまくいかないことでした。私は発症当時からお尻に膿がたまってしまう痔ろうを繰り返していました。何度手術しても膿が溜まってくるため、シートン療法といって、高校生のときからお尻に管を4本入れていました。常に膿が排出されてくるので、1年中生理用ナプキンをつける生活でした。
そして何度も再燃と寛解を繰り返していたことで、次第に肛門自体が狭くなり、女性の小指の太さくらいの便しか出なくなってしまいました。10日以上も便が出ないこともあり、当時は金属ブジーという金属で肛門を物理的に押し広げていたり、週に1、2日は自宅で朝から下剤を飲み、丸1日かけて排便したりという生活を繰り返していました。
そんなある日、自分自身に絶望する出来事が起こりました。手術を繰り返したことにより、便を我慢するときに使われる外肛門括約筋が緩んでいて、便意を感じても我慢できませんでした。そして彼氏の目の前で便を漏らしてしまったのです。そのような生活がどうしても嫌になって、少しでも生活の質をあげたい、もうこんな経験は二度としたくない、後々の発がんの可能性も減らすことができるなら…と思って、今の生活から抜け出せることを期待して、人工肛門になることを決心しました。
ー永久人工肛門になったことで大変なことについて教えてください。
当初は、たくさんありました。定期的なパウチの交換や予備のパウチを持ち歩くこと、どんな服を着たらいいのかも迷いました。
さらに、便やガスはコントロールできないので、食べたらすぐ出てきてしまうこと、出てくるときの排泄音、排泄物の強烈な臭い、夜間は特に排泄が多いので一度は必ず起きて便破棄しないといけないことなどさまざまです。
現在も特に大変だと感じるのは、パウチが膨れてきてしまうことと、トイレのタイミングです。パウチにはガス抜き機能もついているようですが、あまり機能していないように感じています。トイレのタイミングについては「便破棄しにいきたい、でもそのあとに誰かが使うかな…」と考えてしまい、なかなかトイレに行けません。
やはり排泄の臭いがどうしても気になってしまい、だれも使わないタイミング、あまり人が使わない遠いところのトイレなどを考えて使用するようにしています。そして装具代も決して安くはないので、補助が出ていたとしても毎月自己負担分が発生しており、金銭面でも大変だなと感じています。
病気についての発信
ーアクセシビューティーマネジメントに所属しているとのことですが、自身の病気について発信しようと思われたきっかけについて教えてください。
私は、小学1年生のときから入退院や手術を繰り返してきました。お世話になった看護師さんに憧れて、同じ病気の方の支えになりたいと看護師になりました。
そのあと、オストメイトになったとき、情報の少なさやオストメイトの現実に戸惑ったことがあります。看護師をやっていて、一般の方より知識があったにもかかわらず、苦労した経験があったので、急にオストメイトという障がいを抱える方はもっと情報がなく困っているんじゃないか、悩んでいるのではないかと考えました。
そこからSNSでの発信を始めて、こんなにもオストメイトを受け入れられないという方が多いことを知り、何か力になりたいと思っていたときに、アクセシビューティーマネジメントの存在を知りました。
病気もちの私がモデルなんて…と思っていた気持ちを払拭して、私自身がやりたいことを通じて、私と同じオストメイトの方の背中を押せるようになりたい、とそんな気持ちで始めました。
ーご自身の病気についてどのように捉えてられていますか?
以前は、何で私なの…と思っていましたが、今では、クローン病、オストメイトという難病・障がいを「私の素敵な個性、私だけの強み」と捉えることができています。
ー他の投稿内で「私の身に起こった出来事はすべて私を成長させてくれるモノ」とありますが、このように前向きに考えることができるきっかけについて教えてください。
辛い出来事に対して、当時は何で私だけ…と悲観的になることも多々ありました。しかし、辛いときにいつも支えてくれた家族と友達、パートナーの存在があり「オストメイトの私を受け入れてくれている」という安心感が、思考を前向きにしてくれているように思います。
また、大学生のとき、術後の傷から大量に出血して「私このまま死んじゃうのかも」と思ったことがありました。そのとき、初めて死を間近に感じて、死ぬことがこんなに怖いことなのだと実感しました。
現代では死に直結しない病気(クローン病)ですが、こういった形で死に直面することもあるという思いもよらなかった経験が、より人生を精一杯生きないといけないと思わせてくれて、そのあたりから悲観的になることをしなくなりました。
昔、母に「笑顔が一番の薬だよ」と言われたことがありました。
楽しいから笑うんじゃなく、笑っているから自然と楽しいことが連鎖して、どんどん楽しくなる。実際に辛いときに試したことがあり…ほんとだ!と実感して、そこから、自然とどんなときも笑顔を大切にするようになりました。
捉え方や解釈は人の数あって、その解釈次第で人生は明るくも暗くもなることを学んだようにも思います。そうして、私に起こる出来事を、すべて成長させてくれるものと捉えています。
ーこれからもSNSを通じてどのような人にどのようなことを発信していきたいですか?
オストメイトっていう存在が、世の中に当たり前に認知されている社会を目指しています。
私が大変だなぁと思っていることも、温泉へ臆病になってしまうことも、服装で隠そうとしていることも、やはり「オストメイトって?何?人工肛門?」という、世の中にこういう人がいることを知られていない現実からきているものだと思ってます。
それと同時に、オストメイト自身が、オストメイトの自分自身を好きになる、個性として受け入れていくことが何より必要だと思っているので、オストメイトでも夢を諦めずに、人生を豊かに楽しく過ごせることを伝えていきます。私自身がやってみたかったモデル活動を通じて、オストメイトユーザーのロールモデルになれるよう、夢を掴み取る姿を発信していきます!
ー今後、芽生子さんが挑戦してみたいことについて教えてください。
モデル活動自体が挑戦でしたが、まずはアクセシビューティーマネジメント事務所に所属させていただけたことで、スタートラインに立てたことを本当に嬉しく思っています。今後は、オストメイトモデル、障がい者ママモデルとして、ストマ装具メーカーの公認イメージモデルになること、世界のランウェイを歩くこと、講演会の開催など、私の伝えたい思いを届けられるように、何事にも全力で挑戦していきます!
オストメイトへの理解が進み、暮らしやすい社会になるよう、芽生子さんの活躍が期待されますね。