徳島市内の住宅地にある、見慣れた遊具と子どもが十分に走り回れる広さの公園。一見よくある公園のようだが、ここは「障がい児専用の公園」。
公園を作ったのは、放課後等デイサービスを経営している新田昌広さん。事業としてではなく、新田さん個人が所有しているものだ。
なぜ障がい児専用の公園を作ったのか。その背景に迫った。
怒らなくてもいい、謝らなくてもいい公園
公園の周りには柵が立ててある。簡単には乗り越えられない、大人の肩くらいの高さだ。出入り口には鍵があり、子どもが外に飛び出す心配もない。完全予約制で、300坪の広さを貸し切って自由に遊べる。
「子どもを追いかける必要がなく、ほかのお子さんを気にしなくてもいい。1組の家族だけで公園を好きに使えます。『はじめて怒らずに公園で遊べた』と言ってもらえることもあります」
あえて閉鎖的な空間で過ごすことは、障がい児を育てる家族にとってメリットが大きいと新田さんは語る。
「オープンマインドで交流をするのは素敵なことです。ですが、それを求めていない人もいます。子どもを公園に連れて行っても、ほかの子を気にして怒ったり謝ったりの繰り返し。誰の目からも離れて、家族だけで自由に遊べる場所は、障がいのあるお子さんもご家族も楽に過ごせる。それを優先したいんです」
障がい児の親は、遠慮をして謝って危険がないか、ほかの子にケガをさせないかと常に気を張っている。いつも小さくなって、肩身のせまい思いをしながら公園へ出かけることが多い。筆者自身も障がい児を育てる母親だから、とてもよくわかる。
「障がい児を育てるお母さんは、いつでもどこでも謝っています。その時間を減らして、子どもが思い切り遊べるようにしたかったんです。遊具の使い方も自由です。草花や芝生を引っ張って振り回してもいい。自然と触れ合えるのはもちろんですが、“何をしてもいい”安心感を体験できる場所は貴重だと思います」
「こんな子を連れて公園に来ないで」と言われる現実
新田さんが障がい児専用の公園を作ったのは、あるお母さんから聞いたひと言がきっかけだ。
コロナ禍で世の中が混乱していたころ、流涎(よだれ)があるお子さんを公園に連れて行ったときに「このご時世、こんな子を公園に連れて来ないで」と言われたんだそう。
「腹が立って仕方ありませんでした。その言葉を言った人にではなく、そうさせた環境に怒りがこみ上げてきたんです。当時はコロナ禍真っ最中で不安なことも多く、障がいのあるお子さんが身近にいなければ、想像するのは難しいでしょう。自分の子どもを感染症から守りたい思いがあってのこと。その気持ちも、少しはわかります。ですが『障がいのある子のほうが我慢しなさい』という現実があることに腹が立ったんです」
障がいのある子どもがのびのび遊べる場所がない。全国的な状況やニュースで見た情報も、そういう場所を作りたい気持ちが強くなったきっかけだ。それから1年後、たまたま土地が見つかった。
「場所がないなら、作ればいいと思ったんです。誰でも遊べるインクルーシブ公園だけでなく、家族だけで気兼ねなく利用できる公園。どちらが正しいわけではなく、好きなほうを選べる。選択肢があることに意味があると思います」
障がいのある子が優先だが、多胎児育児をしているお母さんに貸し出したこともある。
「わかりやすいように『障がい児専用公園』といっていますが、ご相談があれば子育てでお困りのかた全般のお話はお受けしようと思っています。障がいのあるお子さんが優先で、境目をどうするかの判断は難しいところ。その都度、対応を考えていきたいですね」
「夢は廃業」にこめた想い
新田さんは現在、放課後等デイサービスを5店舗経営すると同時に、町立の学童を運営している。こちらでは環境を整備し、障がいのある子どもたちをどんどん受け入れているそうだ。
いままでは放課後等デイサービスの利用をすすめていた子どもも、人員を確保して体制を整えることで受け入れを可能にしている。小学校から学童まで距離があるのでスクールバスを導入したり、トラブルが少なくなるように入館システムを取り入れたりした。当たり前にやってほしいと思うことを、やっているだけだと新田さんは言う。
「いかにお父さんやお母さんが楽になるか、便利になるか。そういう考えの人が増えればいいですね。本来、放課後等デイサービスのような民間業者が儲かるのはおかしいこと。学童や地域で障がいのあるお子さんを支えられたら、必要ないんです。そういった意味で廃業になるのが理想形ですね」
社会が変容し、もっとおおらかになって、たくさんの選択肢から自由に選べる世の中に。見栄を張るよりも生きたお金の使い方をしたい、お父さんやお母さんの味方でありたいと力強く語る。そんな新田さんに救われる親子は、きっとこれからも多いだろう。