株式会社オプンラボの小林利恵子社長は自他共に認める「変人コレクター」。各界の変人を紹介する「変人図鑑」や、中高生と変人をつなぐ「近未来ハイスクール」などの事業を手掛ける。なぜ「変人」に着目しているのか。その背景に迫った。
「バブル時代。短大生だった私は特にやりたいことなどありませんでした。親のコネで受けた銀行がまさかの不採用。さすがにかわいそうだと思ったのか、その銀行の子会社に紹介され、人事部研修課で働くことになりました。そこで行っていた研修が、様々な企業の面白い社員が講師を務めるものでした。2年ほどで退職しましたが、いま行っている事業のルーツだと思います。その後、商社の販売員や実家の事業の手伝いなどを経て、印刷業界の業界団体へ。そこでも、新卒で入社した会社のように、各界の様々な方を招いてセミナーを実施することになりました。当時創業間もない楽天の三木谷社長や、『社長失格』を著したハイパーネットの板倉社長など、ほんとうに様々な方を招きました。当時の上司も変人で、「会社名ではなく人で講師を選びなさい」と言われていました。この時の経験が、私の変人データベース構築に繋がったと思います。」
業界団体からWeb制作会社へ転職後も、PR担当としてセミナー開催をきっかけに企業を知ってもらう仕事に従事するなど、新卒以来講師を呼んでセミナーを開催する経験を積み重ねてきた。
「ある時知人から、『小林さん独立してみたら』と言われたんです。それで本当に何もないのに起業しました。42歳の時でしたね。ひとまず毎月1回ゲストを呼んで、30分程度トークした上で食事をする会をやっていました。そうした中で少しずつ仕事が広がりました。ある時、大手出版社のビジネス誌立ち上げに誘われ手伝っていたとき、雑誌の企画に次々と面白い人材を紹介する私に対して編集長が言ったんです。『小林さんって変人コレクターだよね』と。その一言で、変人という言葉を意識するようになりました。」
2017年には、これまで小林さんが社会人向けに実施したセミナーなどでゲストとして招いていた面白い大人たちと中高生をつなげる「近未来ハイスクール」という事業をスタートする。ある都立高校の先生から、小林さんの繋がる大人たちを中高生とも繋げてほしいと言われたことがきっかけだ。
「第1回は完全に事業としてではなく、有志で開催しました。都立国立高校の生物室に高校生を50人集めて開催しました。すると日経新聞の記者の目にとまり、いきなり掲載。そこから徐々に都立高校の間で開催実績を積み重ねてきました。当時はまだ外部講師を学校に招くことが一般的ではありませんでしたし、「変人」という言葉に対してネガティブにこだわる方もいました。でも高校生たちからの反響は大きいです。」
これまで様々な大人たちが変人として登壇してきた。本職が探偵で、その技術を生かしていじめの解決に取り組むNPO法人もやっている人。ライフワークバランスを重視した弁護士事務所を立ち上げた人、料理人をめざしていて、栄養士の資格を取った上でシェフになった人などなど。小林さんが中高生に紹介する変人は多種多様だ。
「変人って様々な定義があると思いますが、私は常に変わり続けて前を見ている人だと思います。こんなことやりたい、あんなことやりたいと常に言っているような人です。昔の武勇伝をいつまでも語る人は違うかなと。あとは、変に真面目じゃないというか。世の中のために、ではなくて面白そうだからやってます、楽しいからやってますという感じで力が入っていない人かなと思います。」
近年、埼玉県越谷市のニュータウンである越谷レイクタウンのまちづくりにも関わっている。水辺を生かしたイベントを行っているが、変人たちによる実験という位置づけだ。面白い人たちが集まって、楽しいことを仕掛けて、体験が学びに繋がり、また新しい面白い人が生まれる。
「いまはちょっとやりすぎな感じもありますが、越谷レイクタウンのまちづくりに注力しています。これからのことはあまり考えていません。でも、すごくいいのによく知られていないというのは、人も会社もまちも一緒。ここに取り組んでいきたいと思います。そして、面白い人たちと楽しいお酒が飲めたら私は幸せです。」
小林さんが仕掛ける「変人」事業。変人たちが仕掛けるまちづくり。その火はまだまだ小さいかもしれないが、これからの日本の未来を面白くするヒントがそこにあるのではないだろうか。