2023年4月よりNHKで放送が始まった朝の連続テレビ小説「らんまん」。その主人公のモデルである牧野富太郎博士の業績を顕彰するために開園したのが、高知県立牧野植物園である。
「日本植物学の父」といわれる牧野博士の名を冠した植物園が海外とのつながりが深いと言うと意外に思われるだろうか。「牧野博士が生きていたら、アジアの植物分類学の空白域に目を向けただろう」と話すのは、同植物園の広報課長を務める藤川和美さん。彼女自身も植物分類学を極め、また、海外とのつながりの深い人物である。
子どもの時から海外志向
父親と毎週楽しみに観ていた紀行番組「兼高かおる世界の旅」。これに影響を受け、中学生の時にはJICA海外協力隊(以下、協力隊)に参加することを決意する。その頃から洋楽を聴き、座間キャンプに英会話を習いに通った。その後、知り合った協力隊経験者から「(海外に出たいのならば)日本的なことを習っておくといい」と勧められ、高校時代より茶道と花道をたしなみ、柔道では初段を取得し、当時の神奈川県大会で3位の成績を収めた。
ネパールの技術で絶滅危惧種の保全
大学では協力隊を意識して農学系の学部に進学した。そんな彼女の熱意が実を結び、卒業と同時に協力隊員としてネパールのゴダワリ植物園へ派遣が決まった。奇遇にもその植物園は彼女を指導した大学教諭がコロンボ・プラン(初期の国際協力の枠組み)で専門家として約30年前に勤務した場所だった。現地では植物園内の研究所で植物組織培養を行う研究業務に携わった。
しかし、活動を始めてすぐに同僚の技術の高さに気がついた。新卒の自分とは明らかに経験値が違った。彼らはその高い組織培養の技術を用いて商品価値の高いカーネーション等を増やすことを日常業務としていた。そこで、「視点を変えて、彼らの技術でまだ手を付けていないが必要なことは何か」を考えたという。そうして絶滅危惧種の保全に思い当たる。
目を付けたのは薬草として有名な野生種のランだった。現地名パンチオゥンレ(「5本の指」の意)の名をもつハクサンチドリの仲間Dactylorhiza hatagirea。このランを組織培養で増やして守ることを提案した。
「スタッフに『面白いね。やってみよう』と言ってもらえて。それから山の中に入って調査を始めた時を鮮明に覚えていますね」と当時を振り返る。
しかし、初めにターゲットにしたランは組織培養が難しく、上手くいかなかったため、植物園の圃場で株を保護して種を守ることにした。その後、別の絶滅危惧種で組織培養の比較的やりやすいランの仲間でセッコク類に対象を変更し保全に取り組んだ。
標高4000mの山で出会った“わけがわからない植物”
ネパールの山で調査をしているときに見たことのない植物に出会った。現地の人はその存在を知っているものの、神秘的ということもあり調査も手つかずだった。
「これが何か知りたい!」という想いに突き動かされ、帰国後、東京大学の大学院に入学し、ヒマラヤ植物を専門に研究している教授に師事した。修士課程で2年、博士課程で3年、計5年を研究に費やした。
途中で結婚と出産もし、長野県から新幹線で通学した。子どもを産む前は大学の研究費で年に2回はネパールに渡航し、長い時は40日以上のテント生活で植物調査を行った。
「旦那のサポートと奨学金で博士課程は生き抜きました」とは本人の談。そうして、謎に包まれていた植物の分類を成し遂げた。
初めての四国、初めての高知
なかなか就職先が見つからないのが植物学の世界。学位を取る前には働き口が気になった。
そんな折、牧野植物園の求人を知り、初めて四国を訪れた。獣医の夫も期を同じくして高知での仕事の話が来たこともあり、家族で高知県に引っ越し、研究員としての生活をスタートさせた。
実家が料亭だったので酒に強いと思っていたが、高知ではそれが「勘違いだった」というカルチャーショックを受けたものの、高知での暮らしは自分に合っていた。
2022年の年末まで研究課長を務めたが、朝ドラ放送期間中は広報課長として外部から寄せられる、植物分類学とは何か、牧野博士が発見した新種は何か等といった問い合わせに対して、研究員の知識を生かして対応している。
日本の植物はどこから来たのか
牧野植物園は2000年からミャンマーの植物分類の空白部分を埋めるための研究を続けてきた。今は政情が不安定なために同研究は中断を余儀なくされているが、これまでに蓄積してきたものを生かして、いずれ再開していく予定である。
アジアの一番端に位置する日本の植物の来た道を科学的にたどる楽しみと、現地の人を育ててその国の“牧野博士”と一緒に研究する楽しみ。それは日本だけではなく、もちろん現地と、また世界の国々とも情報交換をしながら進めていくという。
また、牧野植物園では相手国の要望を受け、資源となる植物を保全し、持続的に栽培することで地域に利益をもたらす事業も展開している。
ミャンマーを始め、アジアの空白域の植物図鑑はいつか完成する日が来るだろう。そして、その先にさらなる植物を通した相手国の発展へと研究の裾野が広がる未来が続いている。