知多半島の藍染め文化の復活へ SNSで育児も仕事も周囲を巻き込む、若き職人の挑戦

知多半島の藍染め文化の復活へ SNSで育児も仕事も周囲を巻き込む、若き職人の挑戦
藍染め職人の桑山奈美帆さん。自身の工房にて撮影。

「紺屋のナミホ」という名前で活動する桑山奈美帆さん(以下、ナミホさん)は、愛知県常滑市で日本の伝統文化である藍染めの復活に挑戦している若き職人だ。「天然藍灰汁発酵建て」という天然素材のみを使用した伝統的な技法にこだわり、染色を行っている。染色技法こそ古くから続く伝統のものだが、ナミホさんは今の時代に合わせて新しいやり方で自分の道を切り開いている。さらに最近出産を経験し、女性として母としてどうやって仕事に向き合っているのかも取材した。

かつて地元にあった藍染めの文化を復活させたい

左官職人だった祖父を見て育ったナミホさんは「私もいつか職人になりたい」とぼんやりと思いながら育ったという。しかし、成長するにつれその気持ちを忘れ、進学、そしてアパレル企業に就職した。

「本当にこの仕事をずっと続けるのだろうか?」と疑問に感じながら働いていたが、デニムについて勉強していくうちに、「染め」に興味を持つようになっていく。その後「絞り染め」で有名な有松に通うようになり、働きながら染色について学んでいった。

そして「藍染め職人になろう」と決意し、7年勤めた会社を退職。岐阜県郡上市の石徹白洋品店で、畑で藍を育てるところから染色までを一貫して学んだ。

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「染めの勉強をしているときに、地元の知多半島にもかつては藍染めの文化があったことを知りました。今は『紺屋海道』という名前はあるけど、染物屋さんは1軒も残っていないんです。消滅してしまった地元の文化を、『知多藍』として復活させたいと思いました」

こうして3年間の修行ののち、ナミホさんは地元に戻り知多半島で活動を開始した。

高齢化、廃れる伝統産業の壁

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藍染めは通常、藍を育てる農家・染料である蒅(すくも)を作る藍師・藍染めをする染め師の分業で行う。しかし、染料を作る職人の高齢化と減少により、今では日本で数軒しか残っていない。

「最初は染料を買うつもりでした。でも問い合わせてみると皆さん今抱えているお客さんの分しか作れなかったり、高すぎて買えなかったりで、手に入れられなかった。だから自分で藍を育てるところからやるしか選択肢がなかったんです」

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こうしてナミホさんは畑を借りて、藍を育てるところから染めまでを一貫して行うようになる。現在は地元の知多半島で物件を見つけて、工房に改装して染色を行っている。

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しかし、若い女性職人ならではの困難もあった。

「藍染めの職人は高齢化していて、60代70代以上の男性ばかりの世界です。職人さんたちから最初はまったく信用してもらえず、『適当に遊び半分でやっているんだろう』と思われるようなこともありました。お茶が出てくるまで2時間かかったこともありましたよ(笑)」

しかしそんな職人たちも、ナミホさんが真摯に取り組んでいることがわかると、今は人や仕事を紹介してくれるようになったという。みな「藍染めの文化を残したい」という思いを持っているのだ。

こうして、ナミホさんは徐々に周りの人々との信頼関係も築いていった。

育児も仕事も、周りの人を巻き込んでいく

ナミホさんは最近出産も経験し、今は4か月になる娘がいる。やはり仕事と育児の両立は、どうしても一人ではできないという。そこでSNSを使って助けを呼びかけた。

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「思いがけず多くの人が助けてくれました。近所に住む一人暮らしの友だちが来て、一緒に夕食を食べて子どもを見てもらっている間に仕事をしたこともあります。地元で助けてくれる人は必ずいるんだと感じましたね」

ナミホさんがSNSを使って助けを呼びかけたのは、これがはじめてではない。藍畑の作業がどうしても追いつかなくなったとき、「藍の協力隊」として手伝ってくれる人を募集した経験がベースにある。

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「助けてもらえるのはもちろんうれしかったですが、こんなにも藍染めに興味のある人がいるんだと驚きました。単純に手伝ってもらうだけではなく、藍染めを知ってもらえるきっかけにもなると可能性を感じたんです」

現在「藍の協力隊」に登録している人は200人を超えた。複数回来てくれた人にはワークショップ体験や知識の提供などもしている。ナミホさんは周りの人を巻き込みながら進んでいく、新しい時代の開かれた職人だ。

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「知多藍を復活させ、地元の特産品になるくらいまでにすることが目標です。そのためにもワークショップや協力隊で、藍染めに興味を持ってもらえるよう間口を広げていきたいと思っています」

芯は強く、それでいて柔軟な若き職人の挑戦はこれからも続く。

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