「やりたいことを一つに絞れなかったという、一見するとネガティブな要素を極め続けた先に道があった」
生まれつき目が見えない先天性全盲の北村直也さんの言葉です。直也さんは現在29歳、株式会社ePARAの社員として営業や社内SEを担当しながら、所属eスポーツプレイヤーとして大会や交流イベントに参加するほか、声優やナレーターとしても活動しています。
ゲームは“音”で判断して操作
直也さんは全盲でありながらどうやってゲームをしているのか疑問に思う人も多いのではないでしょうか。
現在、直也さんはストリートファイターV チャンピオンエディション(以下、SFVCE)や鉄拳7などの格闘ゲームを中心にさまざまなゲームをしています。操作は、音で判断しています。攻撃すると、相手に当たるかガードされるか空振りし、それぞれに音がついています。それで“相手の状況”が分かります。SFVCEの場合は、ステレオサウンドに対応しており、例えば“自分が真ん中より左にいて、相手が右にいることが音で分かるようになっている”そうです。鉄拳の場合は、ステレオサウンドに対応していないので、上段攻撃が当たらなければ、“相手が射程にいない”または、“相手がしゃがんでいる”可能性がある…となるそうです。
ゲームに興味を持ったのは…
幼い頃は色と光が見えていたこともあり、当時は自分の見え方が一般的だと思っていた直也さん。自分が全盲だと気が付いたのは小学校の学童クラブで、「北村君は目が見えないです」と紹介された時でした。ここで初めて「あっ、自分は目が見えないんだ」と認識したといいます。
「鬼ごっことか『危ない』と言って止められることもありましたし、だんだんと自分も校庭で走って人やものにぶつかるのが怖くなってきました。」
学校の勉強は、中学校まで補助の先生がついていたこともあって困ることはなかったそうですが、同年代の子のハードな遊びについていけなくなることも増えてきた直也さん。学年が上がるにつれて外で遊ぶことが難しくなる中で、遊びの幅はゲームにも広がっていきました。
「入学前、アイスクリームの懸賞で母がプレイステーションを抽選で当ててきました。兄と弟は、見えるので、下矢印キーを2回押してトレーニングモードになるなど操作の方法を最初に少し教えてもらったかもしれません。ただ、他の2人がゲームをしていない時に、起動して1人で操作の確認をしていました」
たくさんある興味の種
実は、直也さんにはゲーム以外にもたくさんの“好きなこと”がありました。ラジオパーソナリティや声優、音楽…プログラミングなどです。
「小学生の頃からラジオのパーソナリティや声優にも興味がありました。よく休み時間に友達とフリートークごっこをして遊んでいました。音楽にも興味があり、ギターや歌をしていて、知り合った視覚障害者の方がバンドをやっていたので、一緒に出演したこともあります。それに加えて、経験が長いのが、プログラミングです。プログラミングは、中学の頃Webサイトを調べたり、ゲームをしたりする中で、どうやって作っているんだろうと疑問に思いました。その時のバンド仲間がシステムエンジニアで『あれってどうやって作っているの』と聞いたら、『プログラミングっていうんだよ』という話を聞いて興味を持ちました。高校生になって勉強のために買ったPCでプログラミングを始めました」
大学卒業後、直也さんは業務改善のための社内SEとして就職します。就職しても声優やナレーターなどの声の仕事をしたいという思いは持ち続けてレッスンを続けていたといいます。
厳しい現実に疑心暗鬼になることも
「声の仕事に関しては、まず養成所に受け入れてもらうまでが大変でした。連絡しても『うちは専門学校じゃないから支援をするためのリソースが足りない』とか、『設備的に階段が多いから受け入れられない』などと入れないことが多く、唯一受け入れてくれたのが文化放送が運営するA&Gアカデミーさんでした。」
養成所に入ることはできたものの、直也さんには「声を仕事にしたい」という夢があります。養成所の卒業時にはオーディションがあり、ここでダメだったらその夢は諦めるつもりだった直也さん。結果、多くの事務所が参加していたものの、採用には至りませんでした。ところが、小学校からの憧れであった声優という夢は諦めきれず、アニメを観る度にどうしてもやりたいという思いが出てきたそうです。
「僕は、人から辞めさせられるのが好きじゃなくて、例えば…自分でプログラミングをしていく中でゲーム制作は自分の頭の回転が追いつかなかったので向いていないと自分で思ったんですね。でも声優に関しては、映像を観ながら音声を入れるアニメは難しいにしても、それ以外であれば、いけるんじゃないかという思いがありました」
ただ、学生の頃から思い描いていた声の仕事への道のりは険しく、結果を出せない自分に落ち込む日々があったそうです。就職後も、通勤の大変さを感じたり、「性格が個性的だからもう少し素直になりなさい」と言われ焦りを感じることもありました。そして周囲に当たることも多くなっていったそうです。
「視覚障害は、就職が難しいというのを、就活を通してよく知っていたので、自分はこの会社で居場所がなくなったら、人生が終わってしまうかのような焦りがありました。売り上げをたくさんあげたり、チームのミスをカバーしたりした時に『北村君のおかげで助かった』と言ってくれていましたが、本当にそう思っているのかと疑心暗鬼になっていました」
人に八つ当たりすることが多くなり、高校時代からよき相談相手だった友人が『話しているのが面倒になった』と言って離れてしまうほどだったといいます。
夢を繋いでくれた出会い
友人が離れてしまったことに、とてもショックを受けた直也さん。しかし、それがきっかけで新しいスタートを切る決意をしました。会社も退職し、この時自分の中で、ある“決めごと”をします。
「よし!年が明けたら俺はニュータイプになるぞ。と思いました。少なくとも話していて楽しい自分になろうと。どんなにネガティブなことを考えていても人に八つ当たりするのだけはやめよう。そして、友人にまた会えたら最近あいつかわったな。とか全然違うじゃんと思わせたいなと思いました」
この決意をし、前にも増して夢を追う気持ちを忘れなかった直也さん。数か月後には、いくつかゲームのキャラクターボイスの仕事が入ったり、今につながる人にも出会えたりするようになりました。現在の会社のマネージャーもその一人です。現在は、会社員、eスポーツプレーヤー、声優などさまざまな方面で活動しています。
やりたいことは1つに絞らない
「やりたいことを1つに絞らずに生きていると、周りから『いい加減1つに集中しろ』と言われることもありました。でも今は、『自分は、1つのことを極めないことを極めた』と思っています。eスポーツプレイヤーも声優も、自分の中では『音』という共通点があるんです。プログラミングもゲームをする時に試行錯誤でボタンを押し続けていた経験があったからこそ戸惑うことなく出来た。ちょっとずつやって掛け算する…欲が深い性格なんです。だから、これからもナレーターや声優としてもeスポーツプレイヤーとしてもやっていきたいなと思っています」
「自分は出来るはずだ」と自分自身を信じる力が、直也さんにはありました。これからも、興味関心のまま突き進む姿を応援したいと思います。