2023年1月7日から2週間にわたり、京王百貨店 新宿店で「元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」開催!1月・2月は各地の百貨店で盛んに駅弁大会が開催されますが、中でも京王百貨店の駅弁大会は国内最大級の開催規模や熾烈な販売競争から「駅弁の甲子園」とも呼ばれています。そして、第2週(1月16日‐22日)には、三陸の名物駅弁「いちご弁当」が12年ぶりに帰ってきます。
この「いちご弁当」は、ウニ・アワビを煮た三陸地方の郷土料理「いちご煮」(煮たウニが野いちごに見えることが名前の由来)をイメージしたもので、米の上はスライスしたアワビと柔らかい蒸しウニで覆われ、味はもちろんのこと、見た目も鮮やかな逸品。
岩手県宮古市の割烹「魚元」が宮古駅(JR山田線・三陸鉄道)の駅弁として1989年から製造・販売を行っていました。ところが震災後さまざまな理由で「魚元」は閉店、今回は、山形県・米沢駅の駅弁を手掛ける「新杵屋」がレシピを受け継ぎ、復刻版として製造・販売を行います。
強い絆で結ばれた魚元と新杵屋
魚元は、同店の駅弁大会に20年近くにわたって出店し、販売個数ベスト10入りは10回以上。魚元の張間重子さんによると、毎年のように行列に並んで買い求める常連客も多く、多い時で1日1000個以上も売れていたのだとか。かたや新杵屋は、年間60万食を販売する人気駅弁「牛肉どまん中」の実演販売を頻繁に行っていました。
それぞれの駅弁業者は、全国各地の実演販売で顔を合わせることも多く繋がりも深いといいますが、魚元の張間重子さんと新杵屋の舩山百栄さんは、同じ東北の駅弁業者として会場で助け合うことも多かったそう。張間さんは「“ももちゃん”には本当にお世話になったからねぇ」と当時を振り返ります。また会場だけではなく、互いに行き来することも多くなったふたり。2011年3月11日にも舩山さんが宮古市を訪れる予定を立てていたそうです。ところが当日行けなくなり、訪問を延期。その日の午後に発生した東日本大震災によって、三陸地方、そして宮古市は壊滅的な被害を受けました。
今回、強い絆で結ばれた両者がタッグを組み「いちご弁当」の復刻が実現、味やノウハウがしっかりと受け継がれました。
東日本大震災を機に閉店を余儀なくされて…
2011年3月11日に発生した東日本大震災により、鉄筋に建て替えたばかりだった魚元は、倒壊は免れたものの、すぐ近くまで2mほどの津波が押し寄せ浸水の被害を受けます。しかし厨房や食器類の被害が不思議なほど最小限で済んだこともあり、わずか1か月後に営業を再開。手頃で美味しい食事処としても人気があった魚元は、復旧作業に携わる人々やJR・三陸鉄道の社員などの拠り所として、温かい食事の提供を続けました。
しかし津波によって三陸のウニ・アワビはほとんど穫れなくなり、「いちご弁当」は産地を切り替えざるを得なかったといいます。震災後の2012年1月に行われた大会では三陸復興の象徴として京王百貨店で販売を行いましたが、アワビが確保できなくなったために「いちご弁当」ではなく、もう一つの看板商品「北の祭弁当」を実演販売。材料を多量に確保できなくなったこともあり、これが京王百貨店での最後の出店となりました。
その後も「いちご弁当」は店舗での予約販売を続け、“幻の駅弁”を買いに訪れるファンも多かったといいます。しかし2018年に調理を担当していた板長が病に倒れ、後継者もいなかったことから突然の閉店を余儀なくされました。
「いちご弁当」復刻にも一苦労
魚元の閉店後、なんとか製造を続けたいと願った張間さんは新杵屋・舩山さんに相談、舩山さんも張間さんの思いをくみ取り、レシピが受け継がれたといいます。また駅弁の業界団体(日本鉄道構内中央会)からも「受け継ぐことは全く問題ない。「いちご弁当」を是非とも残してほしい」とお願いされるなど、関係者の間でもこの駅弁が愛されていたことがうかがえます。
ところが、「いちご弁当」の調理過程には、アワビを煮る火加減や冷まし方などにも細かいノウハウが存在するうえに、しっかりとウニの水気を取るなどかかる手間も膨大。レシピの引き継ぎを担当した新杵屋・高橋浩司部長は何度も宮古市に足を運んだそうです。今回の復刻版誕生には、たくさんの人の思いが込められています。
「いちご弁当」は、1月24日から阪神百貨店 梅田店で開催される「阪神の有名駅弁とうまいもん祭り」でも復刻販売が予定されています。張間さんは阪神百貨店への訪問を予定していて、「かつての同業だったみんな(駅弁業者)に会うのが本当に楽しみ」と、ひときわ声を弾ませていました。