東京都杉並区高円寺。JR高円寺駅南口から徒歩3分ほどのところに高円寺氷川神社が鎮座している。その歴史は古く、鎌倉時代に遡ると言われ、地元住民の氏神として親しまれている。そんないわゆる地元の神社が近年全国的に注目を集めている。理由は、境内にある日本唯一の天気の神様を祀る「気象神社」の存在だ。
この神社は、八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)という知恵の神様を祀る。天の岩戸の伝説の際に、天照大御神を岩戸から出す作戦を考え、地上に太陽を取り戻したことから気象の神様として祀られるようになった。もともと1944年に杉並区馬橋地区にあった、旧日本軍の陸軍気象部内に気象予報的中などを祈って造られたものを、戦後に高円寺氷川神社が受け入れ、現在に至っている。
気象予報士試験の受験生や、仕事柄、あるいはライフイベントなどで晴天を希望する人々から人気が高まり、2019年に新海誠監督の映画『天気の子』に登場すると映画ファンの聖地となった。
そんな氷川神社の神職(禰宜)である紺谷大進さんは、元商社マンで気象予報士の有資格者だ。「天気をテーマにした地域起こし」を仕掛ける、紺谷さんの取り組みを追った。
紺谷さんは石川県出身。学生時代は甲子園を目指すなど本格的に野球に取り組んでいたスポーツマンだった。大学卒業後、総合商社に入社。約8年間にわたってロシア駐在員として活躍した。休日にはロシアのプロ野球チームに選手として参加したことも。現地の人々にすっかり溶け込み、このままロシアで生活するつもりだったという。
「一時帰国中に偶然出会ったのが、宮司さんでした。その人柄に惹かれ、お付き合いするようになりました。ある時から、先代の宮司の体調が良くなかったので神社を手伝うようになりました。先代からはぜひ禰宜として神社を支えて欲しいという話もあったのですが、あまりにも異なる生活に、はじめは想像もできませんでした」
転機は2018年。先代宮司が病に倒れたことだった。
「本当に迷いました。でも、彼女を支えるのは自分しかいないという思いで決断しました」
勤め先を退職し、世界を飛び回る日々から、地域の小さな神社へと転職した。
「まずは神職としての資格取得からでした。ほとんどの神職は特定の大学の卒業生で、卒業時に資格を取得できます。ですが、私は神社庁が行うプログラムで学び、1か月という短期間で資格を取得しました。神社の文化に慣れるのは大変でした。手紙を旧仮名遣いで書く慣習には驚きましたね」
元商社マンという経歴を生かして、自分らしい貢献ができないかと考えていた紺谷さん。2020年、新型コロナウイルスが猛威をふるう中、神社も時短営業でとにかく時間だけはあった。そんな折、気象神社の神職が気象予報士だったらとの考えが浮かんだ。
「自分しかできない唯一無二の挑戦だと思いました。気象予報士って学校があるわけでもなく、基本独学なんです。でも偶然、高円寺で気象予報士の養成塾をしている方とご縁があり、ご指導のもと1日10時間の猛勉強をしました」
そして2021年に無事合格。いまはその資格を活用して、境内での子ども向けのお天気ワークショップや気象予報士養成塾を開講するなどの取り組みをしている。
「商社時代に身につけた国際的な人脈や企画力、巻き込み力を生かして、気象神社を世界に発信していくことが、自分の強みだと感じています。阿波踊りや高円寺フェスなどの四大祭り。古着にディープな飲食店。そんな高円寺の新しい魅力として天気を加えたいと思っています」
2022年12月4日には、第1回高円寺お天気フェスを開催。著名な天気予報士らを招きトークイベントやクイズ大会などを開催した。
また、同月8日には、気象庁の検定に合格した気象観測機を境内に設置した。現在の東京の天気予報は、気象庁がある港区虎ノ門の天気である。だが、設置により高円寺の公式な天気が記録されることになる。
今後は鳥居付近に気温、風向、風速、湿度などを表示する電光掲示板の設置を目指すという。
「ゆくゆくはハワイに気象神社の分社を作りたいと思っています。コロナ前に話を進めていたのですが一度頓挫してしまいまして……」
氏神神社はそれぞれ対象エリア(氏子地域)が決まっているので、その地域での活動が中心となる。一方で、その由緒などから氏子を持たない崇敬神社というものがあり、気象神社もこれにあたる。そのため、地理的制約なく、日本全国、さらには世界に活動を展開することができる。
それにしても、高円寺を天気の街にするだけでなく、なんと世界進出まで狙っていたとは。今後の取り組みに目が離せない。