「片腕男子」と称し、YouTubeでネタ動画や友人との日常を発信するのは、宮野貴至さん。文字通り、宮野さんには左腕がない。2022年6月、当時都内の大学に通いながらお笑い芸人を目指していた宮野さんは、「類上皮血管肉腫」と「類上肉腫」が介在した病気と診断され、その後1か月も経たないうちに左腕を切断した。手術は終わったものの、完治までにかかる年月は5年。再発すると命にかかわる問題になる。当たり前にあった腕を切断し、命の保証がないこの状況で、なぜ明るく発信し続けられるのだろうか。
きっかけはただのかすり傷
病気のきっかけは5年前、友人とバスケットボールをしていた時にできた左手親指のかすり傷だった。かさぶたが固まっては剥がすことを繰り返すうちに菌が体内に入り、その菌が悪性腫瘍になってしまったのだ。
病院に行った頃には、すでに腫瘍は左脇のリンパまで転移しており、助かる最善の方法は左腕切断と告げられた。腫瘍が内臓まで転移していれば手術はできず、「死」の可能性が高まる。とはいえ、切断手術をしても1~2年後の生存率は50%だ。こんな絶望的な状況で、宮野さんは冷静に「腕を落とします」と医師に伝えた。
「ドラマみたいなことがほんまに起こんねやって思いました。もとからポジティブ思考だからか、病気がわかってからも『死ぬわけない』と思ってふだん通り過ごしてたんですけど、腫瘍が内臓まで転移しているか結果を聞く時は人生で一番怖かったです。こんなびびってるんやって気づきましたね。腕を落とせば治るという希望にかけて、腕切断はあまり迷うことなく決断できました」
一人ではここまで来られなかった
宮野さんは「僕みたいな人を増やしたくない」という思いで、病気を宣告された直後にYouTubeを開設し、病気になるまでの経緯や医師宣告の様子、手術前後の心境を発信し始めた。冷静で時には笑顔も見せる姿からは、つらさが一切感じられない。
「僕、偉人の名言やかっこいい歌詞とかがめちゃくちゃ好きなんですよ。単純にやる気が出るし、今までたくさん体に染み込ませてきたので、メンタルの土台ができてたんやと思います。手術前も、明日から新しい自分になるとワクワクしてました」
宮野さんをさらに強くしたのは、周りの人の支えだ。病気発覚前に所属していたお笑い芸人養成所の同期は、宮野さんの自宅に駆けつけて泣きながら無言で抱きしめてくれ、ある人は同期200人ほどに声をかけ、応援ムービーを作って手術前日に送ってくれた。そして宮野さんのYouTubeには「毎日応援します」「一緒に生きていきましょう」というコメントが多く寄せられた。
「一人で生きていないということを常に意識するようになりましたね。同時に、仲間が最も大事だと気づきました。死と隣り合わせになった時、お金や地位、名誉なんて何の役にも立たないというのを感じたんです。周りの人の支えがなかったら、ここまで来られなかった」
芸人にはもうなれない。でも「ありたい自分」でいつづけたい
そんな前向きな宮野さんでも、左腕切断の決断をして以来、喪失感に苛まれているという。お笑い芸人になる夢を諦めなければいけなかったからだ。
小さい頃からお笑いが好きだった宮野さんは、大学4年の時にお笑い芸人になると決意し、2021年、大学在学中に養成所に入所した。病気が発覚したのはそれから約1年後。フリー芸人として「M-1優勝」という夢を追いかけていた最中だった。
「腕を切断しても舞台に立とうと思ったら立てるんですけど、どうしても『片腕がない』っていうバイアスが入ってくると思うんですね。僕が好きなのは、フットボールアワーさんやチュートリアルさんみたいな漫才。片腕ないのに頑張ってるという偏見が少しでも入ってしまうと、僕の理想の漫才ができなくなると思って辞めました」
しかし、喪失感に駆られても後ろを向かないのが宮野さんだ。
「M-1優勝という夢はなくなったし、今後そこまで燃えるような目標はできないんじゃないかなと思ってます。でも、『ありたい自分』でいつづけるのがある意味夢なのかなと思うようになりました。僕は、いろんな意味でかっこいい人間でありたい。人のハートを揺らすような、希望を与えられるような人でいつづけたいです」
面白いだけじゃない、「ありがとう」といわれるエンタメを
「人のハートを揺らしたい」そんな宮野さんのエンタメ精神は、芸人を諦めた今でも光り続けている。それが多くの人に届いているのだろう、2022年6月に始めたYouTubeのチャンネル登録者数は今や6万人超えだ。
病気発覚直後に発信していた真面目な内容とは打って変わり、今は「腕腕詐欺に引っかかりかけた」「片腕で旗揚げゲーム」など片腕を笑いに変えたネタや、友人との日常を発信している。
「お笑い×障害のパイオニアになろうと思ってます。よく『アメリカズ・ゴット・タレント』というアメリカのオーディション番組を見るんですけど、腕が奇形の状態で生まれた人、軽度の発達障害で話せない人が出演して、自分の障害を逆手にとったネタを披露するんですね。そういう、マイナスを武器にしているところがすごい好きなんです。障害を笑いに変えるってタブー視されることが多いんですけど、あまり手をつけられていないからこそ、このジャンルで一番強い存在になったろって思っています」
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YouTuberという新しい肩書で、宮野さんならではのエンタメを発信し続ける宮野さん。芸人として舞台に立っていた頃とは別の反応に、宮野さん自身驚かされるそうだ。
「YouTubeをやってて『ありがとう』と言ってもらえることに感動してます。バラエティ番組とか見て、笑うことはあっても感謝することなんてあまりないじゃないですか。だから、笑ってさらに感謝されるってすごいなって。『一日の疲れがふっとんだ』『悩んでたけど笑えた』ってコメントを毎日もらえて、ちょっと支えになれてるんやって感じますね」
連れと一生喋って飯食う、それが一番
宮野さんには5年の治療が残っている。「病気をどう乗り越えるかに価値がある」と前向きな宮野さんは、この状況をどう乗り越え、その先にどんな景色を描いているのか。
「やっぱり仲間ですよね。病気がわかってからめちゃくちゃ支えられたし、今もこうやって仲間と楽しく生きているということを発信できてます。連れと一生喋って酒飲んでご飯食べられたら、それが一番。あとは養成所の同期全員が、芸人、作家、僕はYouTuberというようにそれぞれ成り上がっていく。20年後くらいに一世風靡できてたら最高ですね」
病気や障害を自分の武器にし、新しいエンタメのかたちを作っていく宮野さん。彼の言葉には、生きることと真剣に向き合ったからこその強さがあり、それが人の心を動かしている。
「人間ってどんな小さなことでも人の心を動かす力があると思います。とくに日本人って自分はちっぽけだと思う人が多いと思うんですけど、どんなことでも武器になるし、もっと自分を信じていいんじゃないかって思います。ちょっとつまんない世の中ですけど、なんとかなります。笑って生きていきましょう」