スタイルのいい人やダイエット情報をSNSで気軽に見られる今、体形にコンプレックスを抱き、食を楽しめなくなった人は少なくないだろう。そんな人に響くのが、菅本香菜さんの人生だ。菅本さんは、中学生の頃に拒食症を発症。6年間の闘病生活を経て、再び食べられる喜びを感じられるようになった。
最低体重は23kg…6年にも及んだ壮絶な拒食症経験
優しい人になりなさいという教えを、みんなに好かれないといけないと捉えた菅本さんは、周囲の顔色をうかがう子どもだった。人に嫌われることが怖く、その弱さを見せることもできず居場所がなかったそう。
唯一自信が持てていたのは、痩せていると言われることが多かった体型。このため、中学2年生の頃に向けられた、悪気のない「足、太くなったんやない?」という言葉が心に刺さった。
当時、身長は155cm、体重は45kgほど。肥満体型ではなかったが、人から褒められる数少ないところが失われてしまうと感じ、高カロリーなものは摂取しない、17時以降は食べないなど、雑誌の情報をもとにダイエットを開始した。
だが、次第に何なら食べていいのか悩み、半年も経たないうちに食べるという行為が怖くなった。
「17時以降食べないダイエットを実践し、家に誰もいない時間にご飯を食べていたので、家族に拒食症だと気づかれるまでには少し時間がかかりました」
その頃の食事は、ひとくちの米をお湯に入れ、そこに海藻を加えたもの。母が作る弁当は、友人や飼い犬にあげた。
やがて、異変に気づいた両親から、「食べなさい」と言われるのも大きなストレスに。食べても、食べなくても苦しかった。
ガムを噛むことすら怖くなり、体重は23kgまで減少。それでも、朝方に1時間ほど走ったり、2時間以上も入浴したりし、体重を減らそうとしていた。ホッとできるのは、減り続ける体重を見る時だけだった。
すると、体に異変が。生理が止まり、膝を曲げて座れなくなったのだ。見かねた養護教諭の勧めで病院へ行くと、脈が遅い、脳が萎縮しているなど想像以上に体はボロボロだった。医師から「このままだと死にますよ」と、即入院を命じられた。
「それを聞いても死への恐怖は、あまり感じませんでした。ただ、学校や家での息苦しさから解放された気がしたのは覚えています」
3か月の入院治療により、体重は30kgに。だが、食べることは怖いままだった。
その後、高校へ進学するも、環境に馴染めず拒食症は悪化。再び体重は20kg台になり、転院先のクリニックの指示で、夏休み前から自宅療養に。体は、夏休みが空けても戻れる状態にならず、出席日数不足で菅本さんは留年となった。
しかし、ひとりの友人との出会いによって人生が変わる。それが、社交的で人気者のAちゃん。Aちゃんは好奇な視線を向けず、普通に接してくれた。菅本さんは、食べられなくても何も言わず、嫌な顔もしないAちゃんと一緒にいると、心地よかった。
そして、Aちゃんと仲良くなれたことにより、「血縁で結ばれている家族以外、誰も私を必要としない」という思考が変わり、自分という人間の存在価値を少しずつ認められるようになった。こうした心の変化により、少しずつ食事が摂れるようになり、過度な運動や入浴も減っていった。
「初めは何を食べたら良いか分からず、制限が厳しいマクロビの世界にも足を踏み入れましたが、家族や友人と同じ食事が摂れず、孤独感が増したので、一汁三菜の体に優しいご飯を少なめに摂るようになりました」
この経験により、菅本さんは食事は食べるものだけでなく、誰とどんな気持ちで食べるのかも大切なのだと学んだ。
高校卒業後は親元を離れ、大学へ。不安はあったが、Aちゃんと過ごす中で自信がついていたからか、新生活にすんなり馴染め、友人と普通に食事を囲めるようにもなった。
「今振り返れば、私は拒食症で自分を守っていた部分もありました。人と上手く接することができないのは拒食症だからだと思うことで、人が好きなのに上手く付き合えない自分を守ろうとしていたんです」
食に苦しみ、食に救ってもらった自分だからできる「旅するおむすび屋」
拒食症を完治させた菅本さんは現在、「旅するおむすび屋」という活動で、食べることの喜びや日本食の豊かさを伝えている。例えば、各地を訪れ、その土地の食材を使って一緒におむすびを作る「おむすびワークショップ」では高校生と交流を深めたことも。
「授業の一環として実施したのですが、その後、高校生が地元の子どもに向けて、自分たちでワークショップを開催してくれ、嬉しかった。食べる喜びをひとりひとりが感じ、伝えてくれることに喜びを感じています」
さらに、自分たちの旅先に関心がある人と各地を巡り、生産者と生活者を繋ぐ「おむすびツアー」も開催。ECサイト「GOOD EAT CLUB」ではキッチングッズ、食品の商品開発に携わりながら、全国を巡る中で出会った心惹かれた食品を紹介している。
また、活動が制限されたコロナ禍には食卓を楽しむきっかけを生み、食の裏側、地域の食を想像してほしいとの思いから、絵本を制作。活動は多岐に渡っている。
おむすびを選んだのは、日本人にとって身近で親しみがある、海外から日本のソウルフードとして認識されつつある、どの地域とも関われるという理由から。
今後は、旅先の情報を伝えたり、共に企画をしたりして、一緒に旅に出かけられるオンラインコミュニティを立ち上げる予定だ。
生きていて本当に良かった――。6年間の拒食症経験を振り返り、そう語る菅本さんは自分の見た目にコンプレックスを持つ人へ、メッセージを贈る。
「苦しさは、いつかきっと、誰かへの優しさに変わります。あなたのことを必要としている人がいます。苦しんでいる自分を責めずに、弱い部分も含めて丸ごと愛してあげてください」
体と心の声を聞いて、心地よく食べれば自分にとって無理ない体型になれる。そんな菅本さんの言葉には、説得力がある。