複合性局所疼痛症候群(以下CRPS)は、何もしていなくても持続的な痛みがあったり、少し触れただけでも猛烈な痛みにつながったりと、感覚異常を特徴にもつ難治性の疾患である。昼夜問わず痛みに襲われ、いわゆる当たり前の生活が脅かされるCRPS。齋藤さくらさんは、17歳、23歳の二度にわたり発症し、現在はベッド上の生活から抜け出し、もういちど歩きたいと再起を図っている。
活発な少女時代から一変、「ふつう」ではなくなった苦しみ
齋藤さんはスポーツが大好きで、テニスや陸上競技に熱中し優秀な成績を収める学生だった。しかし、CRPS発症により生活は一変。2012年6月、17歳のとき右足の甲に腫瘍が見つかってから2週間後、強い痛みに襲われ、あっという間に歩行困難となった。
当時、CRPSに関するエビデンスは少なく、診断・治療方針は医師の経験則にゆだねられたそうだ。齋藤さんは「当初、痛みの原因がはっきりと分からないままどんどん状態が進行していき、とても不安だった」と当時を振り返る。
その後、痛みの原因と考えられた腫瘍を取り除いてもなお、痛みは強くなる一方で、「床に足をつくことも、シャワーも、ズボンの生地が右足(右下腿)に触れることさえも痛みに直結した」というほど、日常生活が困難に。次第に皮膚・筋肉・骨が委縮していき、右足の指を思い通りに動かせない状態にもなった。
4か月の入院を経て、松葉杖での移動が可能となったころ通学を再開したものの、当初は「ふつう」ではなくなってしまった自分と他者を比べてしまい、とてもつらかったという。
しかし、齋藤さんは辛抱強く約2年間の治療を続け、CRPSを完治させた。決して満足できる高校生活ではなかったが、その後は同級生と同じように大学へ進学。新しい友人と共にスポーツやボランティア活動などに勤しみ、「当たり前のありがたみに気づけた」という。何より、自分の足でどこまででも歩める幸福を噛みしめたそうだ。
CRPS患者が必要な治療とサポートが受けられない現状に訴求
2度目のCRPSを発症したのは2018年11月、23歳のときだった。当時、齋藤さんは24時間マラソンでおなじみの坂本トレーナーが経営する会社でマラソン大会の運営をしていた。
急にふくらはぎの硬直感と痛みが生じ、腓腹筋損傷を受傷(いわゆる肉離れ)。これが契機となりCRPSへ移行した。たった数週間で右下肢の血流不全を起こし、ズディック骨萎縮とよばれる骨がスカスカになる状態に至った。
齋藤さんは過去の経験から長い闘病生活を覚悟した。専門性の高い治療を求めて病院を転々とするが、2019年4月には頼みの綱であった左足にも障害が出始め、膝折れが生じるように。次第に体幹機能への影響やさまざまな合併症の併発により、一時はトイレにも行けなくなるような深刻な状況に陥った。
なんとか車いす生活が送れるようになったころ、今度は退院後の生活基盤の問題に直面した。前回の発症時と決定的に異なるのは、こうした経済的な負担をどう賄うかという点。
支援を受けるために障がい者手帳の取得を試みるも、そもそも「痛み」のみでは申請が難しいという課題があった。診断書もすぐには書いてもらえず、理解を得るために相当苦労したそうだ。
「目に見えない痛みを理解してもらうのは無理がある。だからこそ、別の角度からどんな辛さなのか伝える努力をした。CRPS患者が治療に専念できるよう医療制度や仕組みが整ってほしい」と強く訴えた。
CRPS当事者と医療との架け橋を目指して
齋藤さんは現在、難治性疼痛患者をはじめ、誰かの「もういちど」を応援するためのプロジェクト「Re:Project」の代表を務め、全国に前向きな思考を広げるべくまい進している。
CRPSは未だ十分に認知されていない病気で、当事者の苦労や歯がゆさは測り知れない。しかし、齋藤さんは闘病生活を振り返り、「自分自身をあきらめないで頑張れるのは、応援してくれたり必要としてくれたりする人たちがいたからだ」と感謝を述べた。
そして、自らがCRPS当事者の声を拾い、医療・福祉との懸け橋となり幸せをシェアしたいと新たな活動を計画しているそうだ。CRPS当事者の選択肢が広がるように、病気に対して関心を持つ人が少しでも多く増えてほしいと願う。