カリブ海に浮かぶ島国、ジャマイカは2022年、独立60周年を迎えた。ジャマイカと言えば、オリンピック短距離走金メダリストであるウサイン・ボルト氏、レゲエ音楽の聖地としても知られている。今回は、そんなジャマイカと鳥取県の架け橋になろうと奮闘している、県職員の梶谷彰男さんを取材した。
大都市ではなく、「地方」に問題意識を抱いた大学生活
鳥取県出身の梶谷さんは、東京の大学で都市計画・まちづくりを学んだ。大学在学中から地方行政に興味を持ち始め、大学院修了後、地方で働くならばせっかくなのでと地元に戻ることにした。
鳥取県に入庁後は土木技師として、まず県内の河川事業や街路事業などを担当した。その後、東京の日本NPOセンターへの派遣、2016年に起こった鳥取県中部地震で被害を受けた道路の災害復旧などを経験した。
その後、姉妹提携を交わしているジャマイカのウェストモアランド県への派遣が庁内で公募された際、土木分野の経験や市民活動分野での経験を生かしたいと、自ら手を挙げた。そして、2019年1月から、JICA海外協力隊として現地に派遣された。
JICA海外協力隊として鳥取県とジャマイカの架け橋に
カリブ海に浮かぶ島国、ということで鳥取県の日本海とは違う、透明度の高い透き通ったきれいな海と、地産の南国フルーツのおいしさに感動したことがジャマイカの第一印象だった。
現地では、配属先からの要請に沿って自身の経験を生かした県道調査、管理台帳の作成・マニュアル化を進めていった。また、鳥取県との友好交流の調整役として、ウェストモアランド県の小学生から高校生までの生徒10名を鳥取県に招く青少年交流などを担当した。
仕事面では、配属先の県職員の子どもが、学校帰りに気軽に親の職場に立ち寄ることができるアットホームな職場など、日本と異なる社会慣習に驚いたり、感銘を受けたりすることも多かったと、ジャマイカでの生活を振り返る。
またプライベートの時間には、カカオの実から実際にチョコレートを作ってみたり、昔読んだ漫画に登場した「パンの実」(パンノキの実)を地元の住民に食べさせてもらったり、日本ではメディアは製品を通して知っていた「つもり」のリアルに触れることができ、充実した生活を送ることができたという。
しかし赴任から約1年が経ち、活動も軌道に乗り始めた矢先、新型コロナウイルスの世界的流行のため、緊急帰国となってしまった。
再び、ジャマイカへ赴任できる日を
ジャマイカ独立60周年を迎えた2022年9月、駐日ジャマイカ大使館主催の「ジャマイカ独立60周年記念式典」が開催された。梶谷さんは、鳥取県のジャマイカ交流担当として、式典で披露するために県内高校の協力のもと演奏動画の制作や大使館との調整などを担い、当日は平井伸治知事と一緒に式典に出席した。
梶谷さんは帰国当初、数か月後にはジャマイカに再赴任をすると思っていたが、2022年10月現在でもまだ実現できていない。しかし今、JICAでは梶谷さんのジャマイカへの再赴任に向け調整を進めている。再赴任が実現したら、どんな隊員生活を過ごしたいか、最後に聞いた。
梶谷さんは、コロナ禍前後で変わったこと、変わらなかったこと、任地や人がどうなっているのか気にかけつつ、「当初派遣された時にできなかったことを上手くできるように頑張りたい」と力強く言葉にした。
再赴任が叶い、再び現地から、鳥取県とジャマイカ、ウェストモアランド県の人たちと一緒に友好交流に携わることができる日が来ることを願っている。