40歳で両指・両足を切断した”指なし筆師” 失ってからは「自分を褒めてきた」

40歳で両指・両足を切断した”指なし筆師” 失ってからは「自分を褒めてきた」
「指なし筆師 ごわすさん」こと横田久世さんと子どもたち

「指なし筆師 ごわすさん」こと横田久世さん。病気により40歳で両指・両足を失うも筆をとり続け、競技用義足を装着してマラソン大会に出場する。SNSなどでのエネルギーあふれる姿が印象的な、横田さんが目指すものとは。

書を始めたきっかけ

ごわすさん2
ごわすさん2

書を始めたのは、2016年のお正月。子どもが書初めをしたあと、誕生日を迎える友人に向け、名前と組み合わせたお祝いの言葉を綴った。これがとても喜ばれ、本格的に筆の練習を始めることに。

同年4月14日に起こった熊本地震のあとには、生まれ育った熊本に少しでも元気を与えたいと「熊本魂」と書き、ステッカーを作成している。

ごわすさん7
ごわすさん7

40歳になった直後、突然襲った病

そんな横田さんを病が襲ったのは、2017年12月。40歳の誕生日を迎えた、1週間後のことだった。

車の運転をしていると、突然強烈な寒気に見舞われた。熱を測ると、40℃。翌日には顔に斑点が現れ、足には激痛が。なんとか病院に到着するも、診察を受ける直前に意識を失ってしまう。そこから10日もの間、意識不明。タイミングがずれていれば、命にかかわっていたそうだ。

診断された病名は、電撃性紫斑病。皮下出血および四肢の対称性壊疽が生じ、四肢末端が最も深刻になる病気である。治療のためには、両指・両足を切断せざるを得なかった。

「切断が死ぬほど痛くて、地獄でした。それに、自分の姿が嫌で。でもお医者さんから『義足を履いたら歩けるからね』と希望をもらい、できることもあるんだ、みたいな感覚になったんですよね」

切断から2週間後にはサポーターを装着し、筆を持った。リハビリテーション病院に転院してからは毎日筆の練習を続け、義足での歩行練習も進めた。

ごわすさん6
ごわすさん6

ごわすさんが走る理由

書を続ける一方で、2020年には感謝の気持ちを伝えるべく、競技用義足を装着して熊本城マラソンに出場した。

「病気のあと、たくさんの人に支えてもらいました。でも一人ひとりにお礼を言うのは難しくて、元気な姿をどうにか見せたい。熊本城マラソンだったら、熊本でテレビ中継があるんですよね。見てくれたり沿道での応援も多いから、そこで恩返しランをやろう、と考えました」

完走はならなかったものの、練習最長の10kmを大幅に上回る、約22kmを走った。

また去年11月には東京で、SNSのフォロワーさんと走る5kmの皇居ランを実施。今年も第2回を行う予定だ。

「一緒に走りながら話したり、勇気の1歩となれるようにちょっとしたトークショーをしたり、筆の個展をしたり。いつかはその3つのセットで全国を回り、元気を与えていけたらなと考えています」

ごわすさん3
ごわすさん3

フルマラソンを走り切ることも、諦めていない。

「来年には、上の子が18歳になります。成人する前にどうしても、諦めない力を子供に見せたい。みんなから支えてもらったことを、子どもたちにも感じてほしいんです」

年齢や時間制限のないホノルルマラソン出場を目指してクラウドファンディングをするとともに、2023年の熊本城マラソンにも申し込み済みだ。

病気を経験する前より「生きやすさを感じる」

横田さんは、人生は捉え方で変わると身をもって経験し、だからこそ多くの人に伝えたいと考えている。

「私は自分を責めることが多く、健常者の40年間の方が生きづらかったんです。でも指や足を失ってからは、できなくて当たり前。できないけどやりたいから頑張ったり、できないなら誰かにお願いしたり。自分を褒めてきた4年間なので、今の方が生きやすくて。自分自身のことをどう思うかで、人生は違ったものになるんだなって実感しています。それを伝えて誰かの笑顔が1つ増えたり、誰かが前に一歩進むお手伝いができたらいいなと思います」

自らの体験と思いを笑顔に変えるために、これからも挑戦を続けていく。

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