正当な価格で販売し、働き手には安定的な報酬を支払う。言葉にすれば簡単だが、なかなかそうもいかないのがビジネスの常だ。そんななか、ヒントになるかもしれない事例が、日本から遠く離れたメキシコにある。首都メキシコシティで、ユニークな経営アイデアを取り入れながら「正当価格」での販売を貫くアパレルブランドを取材した。
美しい手仕事が安値で売られる現実
卓越した刺繍技術を持つ先住民女性たちと、オリジナリティのある刺繍服を次々と生み出し、メキシコ国内で話題を呼ぶアパレルブランド「ファブリカ・ソシアル」。
代表のドゥルセ・マルティネスさんが先住民女性たちの刺繍技術に興味を抱いたのは、大学院卒業後に入社した企業のあるプロジェクトがきっかけだった。
プロジェクトでは、メキシコ東部のユカタン州に暮らす小さな共同体で、先住民族の女性たちと新しい刺繍商品を開発する仕事に取り組んだ。そこで、彼女たちの高度な技術に驚くと同時に、専門的スキルを持ちながらも経済的に自立できない状況に疑問を抱いたという。
「刺繍は、各民族のアイデンティティそのものです。家事や育児などの家の仕事だけでなく、収穫や祭りといった共同体の仕事もこなしながら、女性たちは代々刺繍を続けています。その手仕事の美しさは、機械で大量生産された刺繍と別次元のもの。けれど、市場では明らかに労に見合わない安値がつけられ、彼女たちに入る収入もごく僅かです。大切な刺繍文化が失われないために、作り手が正当な報酬を受け取れる仕組みを作りたい、と思いました」
どうしたら「正当な価格」で売れるのか
しかし、複雑な絵柄の刺繍には時間が掛かる。その作業時間に見合う値段をつけようとすれば、客にとっては決して安くない買い物になる。高度で専門的な刺繍技術という強みを生かし、安さ以外の価値を提供するためにはどうしたらいいのか。
悩んだ末にドゥルセさんは辿り着いたのは、『ずっと着られる、ずっと着たくなる服』だった。ずっと着られる、流行に左右されないベーシックな型。ずっと着たくなるような、品があって個性的な刺繍。そんな服になら、お金を払う価値を感じてもらえるはず。目指すべき場所が見えた。
2007年、ドゥルセさんは目標への第一歩として、刺繍職人たちにデザインの訓練を行うNPO「ファブリカ・ソシアル」を立ち上げる。
しかし女性たちは当初消極的だったという。どこにどんな絵柄を何色の糸で刺繍するのか。たくさんの選択肢を前に委縮する姿を見たドゥルセさんは、デザインの楽しさを伝えることから始めた。
「まっさらな布を広げた作業テーブルをみんなで囲んで、サイコロを振り絵柄や糸を決めていったんです。真面目に考えすぎず、遊び感覚でやってほしかった。こうした時間を過ごすうち、彼女達は徐々に殻を破り、素晴らしい作品を一からデザインするようになりました」
取り入れたのはユニークな経営アイデア
そして2009年、出来上がった刺繍服のコレクションを商品として販売するため、ドゥルセさんはアパレルブランド「コメルシアリサドーラ・ファブリカ・ソシアル」を設立した。
この経営における彼女のアイデアが実にユニークである。なんと職人に支払う給与を時給制にし、同時にすべての商品に作業時間を書いたタグをつけたのだ。
「職人たちには納得できる正当な報酬を受け取り、優れた技術を更に磨いてほしい。お客様には納得して商品を買ってもらい、またお店に戻ってきてほしい。二つを叶えるためのアイデアでした」
しかし、時給制や作業時間に基づいた価格設定のもとでは、職人たちが作業効率を意図的に下げてしまうと、彼女たちとこれまで築いてきた信頼関係が損なわれるだけでなく、ブランドに対する客からの信頼まで失ってしまいかねない。
そういった事態を防ぐため、ドゥルセさんは、シーズン毎にコレクションのデザインが決まると、村を訪れ複数の職人に目の前で試作をしてもらい、その平均作業時間を確認しているのだという。
「オンラインで済ませる場合もありますが、なるべく実際に足を運ぶようにしています。何気ない会話のなかにこそ、大切な気づきが隠れていたりするものですから」
作る人も着る人も笑顔になれる服を
現在、6つの先住民族共同体から約140人の女性たちが「ファブリカ・ソシアル」の服作りに携わっている。安定した収入を確保できるようになった彼女たちは以前と少し違って見えるとドゥルセさんは話す。
「表情や言葉から、将来への希望や職人としての自信を感じるようになりました。自分たちが作った服が評価され大切に扱われている、という事実が、彼女たちのなかに変化を生んでいるのかもしれません。これからも、作る側も着る側も笑顔にしてくれるような服を届けていけたらと思っています」