2022年8月、大阪出身の渡邊健一さんは3年のタイ駐在を経て、現地で独立した。これからタイで新たなフルーツ事業に挑戦する。その根源にあるのは、「タイフルーツの魅力や価値を引き出し、国内で認知を広めたい」という思い。起業に至るまでの経緯や展望を聞いた。
タイにはご当地フルーツがない?
健一さんがタイに来たのは、2019年6月。大学卒業後、インバウンド誘致を行う政府系機関に就職し、入社4年目でタイ赴任となった。
彼がタイのフルーツに興味を持ったのは、サケオ県の農園でマンゴー狩りをしたときのこと。
「果肉が天然プリンのように口当たり良く濃厚で、めっちゃうまい!と驚きました。衝動で30個買って友達におすそ分けしましたね」
タイフルーツの奥深さにふれて、「産地や農園によって味が違うんやろか?」と好奇心が湧いた。
「日本には岡山の桃、愛媛のみかんとか、ご当地の多彩な特産品がありますよね。僕、昔からフルーツ狩りとかローカルな味覚体験が好きで、タイの事情も知りたくなったんです」
そこで市場の売り手に「このフルーツの産地はどこ?何県産がおいしいの?」などと聞いてまわると、誰も知らず。想定外の反応に唖然とした。
「タイフルーツは産地が混在した状態で市場に並び、色艶のみで良し悪しを判断されるのが一般的。興味を深掘りできずもどかしさを感じました」
単独でタイ各地のフルーツ農園を開拓
「ならば自分で美味しいフルーツを発掘しよう!」と、健一さんは大胆な行動に出る。休日に、ネット検索で見つけた各地の農園へ単独訪問したのだ。
「謎の日本人が突然現れても、みんな快くフルーツを食べさせてくれました(笑)」
マンゴー、マンゴスチン、パイナップル、ドラゴンフルーツ、ココナッツ…… 次々と農園を開拓するなかで、風味の違いを肌で感じた。
「たとえばチャチュンサオ県の肥沃な土地で育った無農薬のココナッツジュースは、香り高く甘みが強いです。生産者の人柄と味の良さもほぼリンクしていますね」
一方で、多くの農家が中間事業者に激安価格で作物を買い取られ、厳しい経営状況にある現状を知って心を痛めた。
「タイのフルーツ業界は安さ優先で、農業の価値が低く見られすぎている。これでは彼らの努力が報われない……」
頑張る農家を応援したい。個々のフルーツの魅力をみんなに伝えたい。そんな思いに駆られ、健一さんは考えた。
「果物の味に価値を置く日本人の視点から、タイ果物の“安い=良い”というイメージを変えられへんかな?」
産地直送でタイフルーツの魅力を広める立役者へ
健一さんは本業の傍ら、自身のインスタグラム「nobithailand」にて、惚れ込んだ農家のフルーツや栽培にかける思いを在住日本人向けに発信し始めた。
「コロナ禍で販売に苦戦するサケオ県のマンゴーを紹介したら、多くの方に購入いただけて。『過去イチで甘い!』と大好評でした」
その後も依頼があれば、農園から直接フルーツを持ち帰って届けた。洗浄や乾燥、梱包は健一さんが行う。フルーツは適正価格で買い取り、配達手数料はすべて農家に還元した。
「想定外のトラブルは尽きないし、タイ人特有のゆるさに翻弄されることもあります(笑)。それでも彼らを信じるのは、ぶれない味に情熱を感じるから」
フルーツの食べ比べや農園ツアーなど、産地ごとの味覚を体験できるユニークな企画も始めた。明るくフレンドリーな健一さんは「のびさん」の愛称で親しまれ、インスタのフォロワー数は1万人超えに。農家とも絆が深まり多くの相談を受けるようになった。
みんなの期待にもっと全力で応えたい。でも本業もある。そんな健一さんを起業に突き動かしたのは、ロシアのウクライナ侵攻だった。
「同年代のウクライナ人男性が、起業したばかりの店をミサイルで潰されて嘆く映像を見ました。そのとき、『今の俺ってめっちゃ恵まれてるやん!』とハッとしたんです」
やりたいことをやろう。そう決意した翌日、家族に起業の意向を伝え、その翌日には上司に退職の意向を伝えた。2022年3月のことだった。
直接繋がれる身近な人でありたい
健一さんは現在、タイに住む日本人向けに、産地直送で旬のフルーツを届ける訪問販売やサブスク型販売などを計画中だ。人との繋がりを何より大切にする彼にはジレンマがある。
「ビジネスにおいて仕組み化や効率化は大切だけど、僕自身が足を運んでみなさんと直接繋がりたいという強い思いがあって……このバランス取りが今後の課題です」
農家と消費者の架け橋となり、体験イベントなども通じて交流の輪を広げたいという健一さん。爽やかな笑顔で展望を語ってくれた。
「特産フルーツの認知をタイ在住の日本人から高め始め、いずれは『パイナップルといえば〇〇県産だよね!』みたいな話がタイ人の間でも盛り上がる世の中にしたいですね」