タイ社会には「タンブン」というタイ仏教の観念が深く根付いている。タンブンとは徳を積む行為のこと。寺にお布施をしたり、電車で席を譲ったりするのもタンブンだ。そして人々は、「現世で徳を積めば来世で幸せになれる」と信じている。
「多くのタイ人にとってタンブンは生活の一部で、その行為の源にあるのは “自らが幸せになりたい” という純粋な気持ちなんです」
朗らかな笑顔でそう語るのは、タイで「タンブンツーリング」というボランティア活動に携わる相場かおりさん。彼女が感じるタンブン精神とはどんなものなのだろうか。話を聞いた。
タイ各地に寄付を届ける「タンブンツーリング」
かおりさんが夫婦でバンコクに住んでいたのは、2008年から2019年の11年。元々自転車ツーリングが趣味だった彼女は、2013年にタイ人の知人に誘われて、タンブンツーリングに初参戦した。
「道中で寄付(タンブン)を集めて、タイ各地の寺院や病院などの寄進先に届けるボランティア活動です。平均50~60名で1日に90キロくらい走って、7日から10日間かけて目的地に辿り着くことが多いですね」
「人との触れ合いが楽しくてハマった」というかおりさんは、これまでに35回以上のタンブンツーリングに参加。広大なタイの大地を駆け抜け、すでに全77県を制覇している。
持ち前の明るさでチームに溶け込み、仲間からは “ダーウ” の愛称で慕われる彼女だが、そこでは一体どんな人々と出会うのだろうか?
「リタイヤ組や自営業者、無職の人とか、時間の融通が効く40代以上のタイ人が多いですね。私が日本人と知るとすごく喜んでくれます」
サイクリストは「走る募金箱」
タンブンツーリングの目印として、サイクリストはサドル後部にワラ束と寄付金の受け取りに使う木製スティック、寄付先を記した看板を装着する。お揃いのサイクルシャツを着て、「よーいどん!」で出発だ。
「夕方までに宿泊地に到着できるように、各自のペースで走ります。途中参加や途中離脱もオッケー。疲れたらバス停で昼寝するとか、とにかく自由なんです(笑)」
サイクリストはいわば “走る募金箱”。道中で彼らを見かけた地元民が「タンブンさせて〜!」と駆け寄ってきて寄付をする。「そこに生まれるコミュニケーションが最高に楽しい」とかおりさん。
ほとんどの場合、ツーリングの経費は寄進先の施設が負担する。宿泊地では無料で食事が提供され、寺の講堂や学校の教室などでテント泊をすることが多い。
「ゴールの寄進先に到着すると熱烈に歓迎してくれます。寄付金を献上する儀式とか、お礼の宴会があって、豪華なご馳走を振る舞ってくれますね。踊ったり歌ったりと大騒ぎですよ(笑)」
2022年6月11日から7日間に渡って開催されたタンブンツーリングでは、かおりさんら総勢50名のサイクリストが、ナコムパトム県を起点に5つの県をめぐった。総額でおよそ120万円の寄付金が集まり、視覚障害者のサポート団体に届けられた。
「徳を積ませてくれてありがとう」
かおりさんがツーリング参加当初に驚いたのは、寄付者から「ありがとう」と礼を言われることだった。
「感謝するのは寄付を受け取ったこちら側のはずなのになぜ?と不思議でした。でも今ならわかります。タンブンの手助けへのお礼なんです」
徳を積めば幸せになれる。そう信じるタイの人々は、「自分のタンブンを代行してくれてありがとう」とサイクリストに感謝しているのだ。かおりさんはそのフラットな関係性に心地よさを感じた。
「感謝が循環するサイクルに身を置くと、すごく気持ちがよくて。多くのタイ人に流れるタンブン精神は、 “情けは人のためならず” ということわざに近い気がしています。下心が見え見えの人もいますが、それも素直でいいなと思っていて」
タイでは貧富に関係なく、誰もが日常的にタンブンをする。たとえ自分が幸せになるための善行であっても、そのポジティブなエネルギーが循環して、優しい世界をつくっているのだ。
「だからタイの人は、困っている人が目の前にいるとすぐに手を差し伸べてくれます。タンブンはしてもいいし、しなくてもいい。自分に少し余裕があれば分け与えて、ないときは素直にもらう。そんなゆるくて寛容な精神にふれて肩の力が抜けました」
2年半ぶりにバンコクに戻り、「やっぱりタイが大好き」と快活に笑うかおりさんには、新たな目標がある。
「今度は私がタイ人を日本に招いて、彼らに日本の美しい風景や、食や、人との交流を体験してほしい。そんなツーリング企画が次の挑戦です」