順調な結婚生活を送っていた足立葉子さん。しかし、突如家を追い出され離婚、どん底の30代を経験した。必死に働き、愛知県日進市でカフェをオープン。紆余曲折を経て、現在は幸せな50代を迎えている。
「どんなにつらくても、覚悟を決めて本気でやればできることを学びました」
そう語る葉子さんはどうやって困難を乗り越えたのか、その人生を聞いた。
順調な結婚生活 突如変わった夫
最初の結婚は26歳の時、鍼灸院を営む男性と結婚した。葉子さんも一緒に働き「仕事も休日も一緒」という仲良し夫婦だった。
「1階が鍼灸院、2階が自宅でした。夫は患者さんのことを家族や友達として扱うような人だったんです。治療が終わったら『お茶でも飲んでいって』と、みんな2階の自宅に上げていましたね」
地域の人から信頼されていた夫。患者さんや鍼灸の弟子たち、親戚が集まり、葉子さんはいつも大人数の食事を作った。
「多い時は10人くらい集まって、私が全部ご飯を作っていました。ケーキやパンも作って出して、喜んで食べてくれるのがうれしかったんです」
鍼灸院はうまくいき、どんどんお金も溜まるようになっていった。順風満帆に見えた結婚生活。しかし、ある時夫が変わってしまったという。
「うまくいきすぎて、天狗になってしまったのかもしれません。院長室を作って、治療をほとんど弟子に任せるようになっていきました。患者さんのことを家族として扱っていた人だったのに。それで『あなたは変わってしまった』と言ったんです」
すると、夫の態度が一変。「お前はいらない」と言われ、家を追い出された。結婚して7年目のことだった。
「そんなことを言う人じゃなかったのに。もう人が信じられなくなってしまいました」
必死に働き、カフェ物件と出会う
それから葉子さんは必死に働いた。料理店でアルバイトを掛け持ちして、好きな料理作りの腕を磨いた。
何年かして「アルバイトのままではいけない」と思い、ケーキを店に卸す仕事を始めた。次第に店舗を増やし、個人にも配達するようになり、それだけで食べていけるようになっていった。
配達で駆け回る日々を過ごしていた葉子さんだが、ある時毎日通りかかるシャッターが下りた店が気になった。
「シャッターから『開けて』という声が聞こえたような気がしました。毎日気にかかっていたけど、どうすることもできなくて。そしたら、不動産の看板がついて、すぐに見に行ったんです」
自分の役割は「シャッターを開ける」だけで、店をやるつもりはなかった。だが、その後もどうしても気になってしょうがない。葉子さんは覚悟を決めた。
「ギリギリの生活をしていたので、貯金なんてありませんでした。でも友人2人と父が合計500万円を貸してくれたんです。反対していた父も、私の意思の強さを感じたのか、最後は折れてお金まで出してくれました」
そして46歳で、カフェをオープン。かつて鍼灸院の人々を家族としてもてなしたような「お客さんではなく、みんな家族」という店がやりたかった。
手作りにこだわり、近所の方が分けてくれる野菜で家庭料理を出した。しかし、なかなかうまくいかない。
「約350円でモーニングが食べられる地域で、コーヒーは高い、モーニングはない、と怒って帰ってしまうお客さんもいました。でも、私がやりたいのはそういうお店じゃない。誰から何を言われても『家族に食べてもらう料理を出す』という自分の軸はブレませんでした」
そんな葉子さんを応援する人が徐々に増え、カフェは軌道に乗っていった。
元夫との再開 現夫との出会い
店を始めてしばらく経った頃、別れた元夫が突然店にやってきた。
「『あの時はひどいことをしてごめんなさい』と謝ってくれたんです。私も『謝りに来てくれてありがとう』と言えて、胸のしこりが取れたようでした」
どれだけ周りから再婚を勧められても、その気にはならなかった葉子さん。しかし、元夫とのわだかまりが解けたからなのか、それからしばらくして今の夫と知り合った。
「カフェではいろんなイベントをしているんですが、今の夫がイベントに来たときに彼が光って見えたんです。イベントが終わったらすぐに帰ってしまったんだけど、参加者全員に出したはがきの切手2枚がたまたまハートの形とうさぎの絵で。夫はうさぎ年で、自分だけにはがきが来たと勘違いしたんですよ(笑)」
そこから縁がつながり、葉子さんは52歳で再婚。葉子さんはもともと子どもがほしいと思っていたが諦めていた。しかし、再婚したことで血のつながらない子どもと孫ができた。
つらいことも多い人生だったが、今は大切な人に囲まれ、本当に幸せだという。
「もともと商売人の家庭に生まれたわけでもない、なんの技術も資格もない私でも、ここまでできたことが自信になりました。どんな時も覚悟を持って、やりたいことを本気でやっていれば、誰でも夢は叶えられるんだと思います」