コロナ禍による中止を経て、2022年8月に3年ぶりの開催となる鈴鹿8時間耐久ロードレース、通称「鈴鹿8耐」。真夏の日差しの中、8時間でコースを何周出来るかを競い、1台のバイクを2~3人のライダーが交代しながら走行します。ライダーの体力とテクニックに加え、給油やタイヤ交換の作業時間をいかに短くするかも勝負にかかっています。
この熱きレースに、岡山から出場するために練習に励んでいるのが、チーム備前精機です。チーム代表であり、有限会社備前精機の社長でもある田口敏雅さんに、これまでの挑戦と今回の出場への思いを聞きました。
「後悔しない人生」 共感が集まる
田口さんは16歳で原付免許を取得して以降、ずっとバイク好き。鈴鹿8耐に憧れ、25歳のころから、レースの世界に足を踏み入れました。地元のレースに出場して優勝したこともありましたが、27歳の時に会社を立ち上げてからは「体に何かあってはいけない」と、レースからは遠のきました。それでも風を感じるのが好きで、バイクツーリングはしていたそうです。
レースの世界に戻ってきたのは、53歳のとき。ミニバイクのレースに誘われ、「小さいバイクなら安全だろう」と軽い気持ちで参加。それが「めちゃくちゃ楽しかった!」と、再びレースに復帰するきっかけとなりました。
ミニバイクから250ccへ、さらに努力を重ね、600ccへとステップアップ。念願の国際ライセンスを取得しました。
しかし、ライダーとしての実力や気力だけでは鈴鹿8耐への参戦は叶いません。ほかのライダーやメカニックなどチームメイトも必要です。また、何度も変えるタイヤ代、専用の高価なガソリン代など膨大な費用が掛かるのです。
そこで7年前、鈴鹿8耐に出場するために田口さん自身が立ち上げたのが「チーム備前精機」です。レース仲間を誘い、ライダーとチームを組むとともに、スポンサーを募りました。そして58歳のとき、ついに長年の夢である鈴鹿8耐への参戦を果たしたのです。
実は田口さんには、33歳のころ、社屋の火事で命に関わる大火傷を負うという出来事がありました。その経験が、人生への価値観を大きく変えたといいます。「人生は一度きり。後悔がないよう、やりきる。とことんやる」。レースにも人生にも全力投球です。
7年越しの夢を叶えに鈴鹿へ
田口さんは、7年前の鈴鹿8耐に58歳でライダーとして参戦して以降、ライダーは引退し、監督としてチームで鈴鹿8耐に挑戦する準備を整えてきました。
2年前、チーム備前精機の新鋭・山中将基選手を走らせようと、大阪のチームとコラボレーションで出場を計画するも、コロナ禍で大会自体が中止に。
2022年は「チーム備前精機桐本テクノワークス」として参戦。岡山のチーム備前精機からは山中将基選手、長畑大二朗選手に加え、7年前に田口さんと共に走った中本郡選手が神奈川から参戦します。
真夏のサーキットを走りきるには、ライディングテクニックだけでは挑めません。ランニングなどの日々の体力づくりをしながら大会に向けて準備中です。
給油やタイヤ交換を担うメカニックは、約20人。ねじひとつのゆるみが命に関わる事故に繋がりうるとあって、正確かつスピーディーな対応が必要です。メカニックもまた、地元で開催されるレースなどで腕を磨いていきます。
今回の鈴鹿8耐では岡山を中心に、備前精機の取引先、地元の飲食店や個人の方がスポンサーに。「地元の会社も盛り上げてくれていて、ありがたいです」と田口さん。全力で挑む田口さんの勇気に、共感が集まっているのではないでしょうか。
また、田口さんは大阪でのバイクの展示とトークショーや、地元・おさふねサービスエリアでの出場記念応援タオル販売会(6月25日)など、鈴鹿8耐に出場予定のバイクと記念撮影ができる場を作り、オートバイレースに親しみを持ってもらおうと取り組んでいます。
7年前、田口さんがライダーとして出場したときには、あと一周というところで転倒し、リタイヤとなりました。「あと一歩というところで。惜しかった。若い選手とともに、チームとして今度こそ、完走したい。そして願わくば、入賞したい」と話します。7年越しの夢を叶えに、鈴鹿に向かいます。