カメルーンの服で気分を明るく 元大使館職員が日本向けにブランド展開

カメルーンの服で気分を明るく 元大使館職員が日本向けにブランド展開
山田真理菜さん。アフリカ布で作ったワンピースとポーチと共に。

色鮮やかなアフリカ布のブランド「CAMEROON FABRICS(カメルーン・ファブリックス)」。山田真理菜さんはアフリカ中部に位置するカメルーンの日本国大使館に勤務した後に、日本でこのブランドを立ち上げた。山田さんがカメルーンで経験した苦労や、アフリカ布の魅力について聞いた。

カメルーンに行ったきっかけ

山田さんは大学時代に第二外国語でフランス語を選択、在学中は1年間ベルギーに留学して語学を学んだ。在学中から、外務省の非常勤職員として勤務。この際に、在外公館(海外にある日本の大使館や総領事館の総称)派遣制度を知り、フランス語圏の国に応募した。

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「5つ出せる希望のうちヨーロッパでフランス語圏の国は2つしかなく、残り3つはアフリカの国を書きました。そのなかでカメルーンを選んだのは、ベルギー留学中に最初に友達になったのがカメルーン人だったからです。私の留学生活で支えとなってくれた彼女の存在が大きかったですね」

その後カメルーンへの派遣が決まったが、最初は苦労することが多かったという。

「まずは言語です。カメルーンのフランス語は訛りがあるし、独特の表現も使うので慣れるまで大変でした。また経済的に豊かな国ではないためスリが多く、外国人はお金を持っていると思われるので、常に気を付けなければいけませんでしたね」

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山田さんは、さらにショックな出来事を経験した。信頼できると思っていたメイドにお金を盗まれたのだ。

「状況的に絶対に彼女だとわかっていたんです。問いただしたら謝ってくれるかなと期待したんですが、最後までしらを切り通したことがショックでした。カメルーンでは誰を信じればいいのかわからず、最初はそれがつらかったですね」

色鮮やかなアフリカ布で始めた服作り

文化の違いに戸惑いながらもカメルーンでの生活に馴染んでいった山田さんは、余暇の時間で服作りを始めた。

「カメルーンは娯楽が少なくて、最初は何をしていいかわからず暇を持て余すこともありました。そんな時、現地の人が好きな布を買って、自分の体系に合わせた服を仕立屋さんで作っているのを見て、私も自分の服作りを始めたんです」

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色鮮やかなアフリカ布を選んで、自分の服を作るのが楽しかったという山田さん。次第に、家族や友人の分も作っていくようになった。

「やっていくうちにどんどん人から頼まれるようになって。調べると日本にもアフリカ布のブランドがいくつかあると知り、日本にも需要があるんだと思いました。2年半の任期を終え、帰国する時には『これをビジネスにしよう』と決意していましたね」

カメルーンの仕立屋は指示した通りにやってくれなかったり、指摘してもやり直してくれなかったりする人も多いなか、信頼して仕事を頼める2人を見つけた。彼らに今も継続して依頼している。

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「CAMEROON FABRICSは単に服を作るだけではなく、経済的に貧しいカメルーンへの支援の意味も込めています。日本で服を買ってもらえることで、布屋さんや仕立屋さんの仕事につながっているんです」

カメルーンでの服作りの苦労と喜び

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カメルーンでの服作りは、日本人の求める高い品質を保つのが大変だという。

「カメルーンは物質的に恵まれた国ではないので『質はそこそこでも使えればOK』という感覚があるんです。具体的な箇所を指示しますが、そこは直っているけど今度は別のところに問題がある、なんてことばかりです。届いた荷物を開けて、自分で全部ボタンを付け直すこともありますよ」

日本で仕立てることも考えたが、それでは「カメルーンへの支援」という当初の目的からはズレてしまう。苦労も多いが、カメルーンで仕立てることは譲れない。

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ブランドをやっていることの喜びもある。

「アフリカ布はビビッドなカラーで気持ちが明るくなれるところが魅力です。『アフリカ布を着ると元気になれる!』と言って、リピートしてくれるお客さんもいます」

山田さんはオーダーメイドも受け付けている。その人の体系やコンプレックスに合わせて作ることで、愛着を持って長く着てもらいたいという。

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最後に、カメルーンでの経験について聞いた。

「カメルーンでは今まで当たり前だと思っていたことが、当たり前ではないことに気づきました。毎日お湯が出ることや、食べたいものがいつでも手に入る環境はありがたいものです。また受け身で娯楽をただ消費するだけではなく、自分で暮らしを楽しむことも学びました。料理を工夫したり、服作りをしたり、何かを作る喜びを知りましたね」

最初はカメルーンで人を信じられなかった山田さんだが、2年半の滞在で信頼できる人ができた。仕立てをお願いしている2人もそうだ。

「今後も顔の見える範囲で、カメルーンと日本両方にとって良くなる方向に向かってやっていきたいです」

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