過酷ながん闘病 心の救いになったのは、インドの人たちと作った商品だった

過酷ながん闘病 心の救いになったのは、インドの人たちと作った商品だった
インドでものづくりをする伏見有起さん(伏見さん提供)

インドで洋服やアクセサリーなどの商品を作り、自身のブランドを立ち上げ全国の展示会や不定期のオンライン販売をしている伏見有起さん。

インドと日本を行き来しながら精力的に活動していたが、ある日乳がんの宣告を受け、一時は歩けなくなるほど過酷な闘病を経験した。「同じ病気を持つ人の役に立ちたい」と語る彼女のストーリーを聞いた。

インドでものづくりの仕事

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伏見さんは輸入雑貨メーカーで7年働いた経験を持ち、インドには買い付けや商品作りで年に2回ほど行っていた。

「最初、インドには全然興味なかったんですよ。仕事ではじめてインドに行ってみたら、道で寝ている子どもはいるし、物乞いに服を引っ張られることもあったし、衝撃的でした」

特に好きで行ったわけではなかったインドでの仕事は、大変なこともあった。

「商品作りでも全然指示した通りにやってくれないんですよ。なんでこうなったのって聞いても、なんだかいつも聞き流される感じで」

しかし、現地の人々と仕事をしていくうちに、インド人の国民性に惹きつけられていったという。

「私はいつも先のことを考えすぎるタイプだったんですけど、インドの人って今目の前にあることがすべてっていう感じなんですよね。私が問い詰めると『まあ、そんなに怒んないで。チャイでも飲もうよ』って。それで結局許しちゃうんですよね」

ブランドの立ち上げとインドの事情

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インドで仕事をしているときに、もやっとした出来事があった。

「インドのブロックプリント(※)は一つずつ手作業で行う高い技術なのに、当時は機械でやるものより工賃が安かったんです。こんなに手間暇かけて作られたものなのに、なんでって思いましたね」

※手彫りの木版に染料をつけ、布に押して模様をつけるインドの伝統工芸

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伏見さんはメーカーから独立し、2015年から自身のブランド「TWO CHAPATI」をはじめた。「チャパティ」はインドで一般的なパンのこと。当時2枚のチャパティが職人の最低賃金と言われていたことと同時に、2枚のチャパティがあれば十分幸せという意味もあったことからつけられた名前だ。

「インドの素晴らしい伝統技術を、生産の背景も伝えながら高くても納得して買ってもらえるようなものを作りたいと思ったんです」

TWO CHAPATIの商品はポップなデザインで、「いかにもインド」というエスニック色は少ない。かわいいキャラクターのブロックプリントはTWO CHAPATIのオリジナルデザインだ。

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「今までインドやエスニックに興味がなかった人たちにも届いたらいいなと。インドのものは好きだけど伝統に縛られ過ぎず、日本人の日常に溶け込むようなものを作りたいと思っています」

乳がん発覚

充実した日々を過ごしていた伏見さんだが、2020年に乳がんが発覚。見つかったときにはすでに病状が進行しており、すぐに抗がん剤の治療がはじまった。

もともと負けず嫌いな性格の伏見さんは「こんな病気に負けてたまるか」という強い気持ちで、抗がん剤の点滴をしている最中も仕事をするほどだった。しかし、治療が進むにつれ髪が抜け落ち、肌の色も浅黒くなり、自分の見た目が変わっていくのを見てだんだん気持ちが弱くなってしまったという。

「弱っていくなかで考えたのは仕事のことと、当時まだ3歳だった娘のことでした。私はこの子を残して死ぬのか……と考えてしまいましたね」

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髪が抜け、ウィッグや帽子などいろいろ試したが、どれもずっとつけているのがストレスだった。そんなとき、商品の一つである大判のダブルガーゼを頭に巻いてみた。

「ものすごく気持ちがよくて、涙が出たの。もともとデザインだけではなく、触り心地や使いやすさにもこだわって作ったものだったけれど、このときは自分の商品に救われましたね」

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その様子をSNSで発信。すると、同じ病気を持つ人からの問い合わせが増えたという。

「体調の悪化や髪が抜けることがこんなにつらいなんて、当事者になってみてはじめてわかりました。病気を公表しようか迷ったけれど、私の経験が誰かの役に立つならと思って。これからは同じ病気で悩んでいる人が、このダブルガーゼを手に取りやすいよう販売の体制を整えていきたいです」

現在、伏見さんはすべての治療を終えたものの、まだ体調が万全なわけではない。それでもすでにインドに行く計画を立てている。

「病気をしてから『いつ動けなくなるかわからない。できるときに動こう』という気持ちが強くなりました。『先のことばかり考えるんじゃなく、今を大切に』とは、インドの人々に教えてもらったことでもあります」

取引しているインドの工場の人々は、伏見さんにとって家族のような存在だ。病気を伝えたときは、涙を流しながら「絶対また会おうね」と言ってくれた。

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「仕事は生きがい」だと語る伏見さん。今後生み出される商品が楽しみだ。

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