自死で亡くした友人のことを書いた、『もういない君と話したかった7つのこと』のあとがきは、
“(この本を読んだ人たちが)すこしでも楽に生きられているといいなと願っています。でも、楽にならなかったとしても大丈夫です。安心してください。ぼくも相変わらず同じような気分で生きています”
という言葉で括られています。
2019年に発表されたこのあとがきを、2022年の今、更新するとしたら、どのような内容になりますか? と聞くと、「“僕はさらに悪化しています”でしょうね」と答える作家・海猫沢めろんさんに話を聞きました。
孤独と無頼の作家が育メンを経て……落ち着……かない?
デビュー以来、つねに時代の風俗を、わかりやすく間口の広い文章で書き続けてきた、海猫沢さんですが、その人生は、小説以上に波乱万丈です。
土木作業員、ホスト、デザイナーなどの職を経て、小説家デビュー。
オタク業界で熱烈な支持を集めたかと思えば言論界にも参画。純文学誌にも作品を発表し、文学賞の候補にもなります。
しかし、2004年のデビュー後に投資で生活が破綻し、それ以来ずっと半ホームレス状態でした。
そんなある日、知り合いのつてでシェアハウスに流れ着きます。そして、2011年、そこで出会った藝大卒、医学部浪人のパートナーが出産。子育てに翻弄される状況を描いたエッセイ『パパいや、めろん 男が子育てしてみつけた17の知恵』、文学賞を受賞した『キッズファイヤー・ドットコム』が話題に。
かつて「孤独を愛する無頼作家」と呼ばれ、尖っていた小説家だった海猫沢めろんが、パパとして落ち着くのか!? と注目が集まりましたが、生活は苦しかったようです。
育児中のある夜中の出来事。
「人生設計の計算をしているとあと3年くらいで破綻することが判明して。もうダメだ、死ぬしかないと思ったんですよね……」
生活感がないことで知られた海猫沢さん。育児をきっかけにつけはじめた家計簿でしたが、そのことがプレッシャーに。そして取った選択は、
「将来のことは考えないようにしました。いまだに10以上の数字は数えたくないですね……」
考えることをやめ、家計簿を実際に燃やしたといいます。
そんな海猫沢さんですが、パートナーが今年、医学部を卒業。家族で熊本から東京に戻り、また新しい生活がはじまりました。
2022年は、もしかしたらたくさんの海猫沢作品を読むことができるかもしれないと、読者は期待を寄せています。
社会観察の巧、絶望作家の小説の評価
作家で評論家の高橋源一郎さんと、批評家の斎藤美奈子さんの共著『この30年の小説、ぜんぶ 読んでしゃべって社会が見えた』のなかで、海猫沢めろんさんの初期短編集『ニコニコ時給800円』は、
“苦悩が深い労働小説” “希望がない話” “(登場人物たちの)誰も将来の展望がない” “今読んでもOK”
と評されています。
「社会の風俗を書き残すのが仕事」として、常に移り変わっていく社会を鋭く観察し、独自の作風で小説に残してきた海猫沢さんが言う、「人間は誰も肝心なときに助けてくれないもの」という言葉にはドライな人生観が反映されています。
「あんまりなにも考えてないです。気づいたら死んでいなかった。それだけですね」
気分は「数秒間のなかで躁と鬱の気分を行き来している」と語る海猫沢さん。
アップダウンしながら、社会を書く。
「気分の浮き沈みがないように見えるらしい。だから、逆に、安定している人に見られる」
絶望しながら、なんとなく生き抜く逞しさは、海猫沢さんがいつのまにか身につけた強さなのかもしれません。
話を聞いていて、社会と時代の風俗を書き残す役割を担わされた絶望作家がアップデートされ、そのことを小説にしてくれる日が来るのが楽しみになりました。