隠岐の島でワーケーション
「隠岐の島町」を訪れたことがあるだろうか?
島根県に属する隠岐諸島の一つの島(町)で、松江市七類港からフェリーで約3時間半、高速船で約1時間半ほど。または出雲縁結び空港からプロペラ機で30分で到着。4つの島から成り立つ隠岐諸島の中では最大の面積を誇る。
名前だけは知っていても、訪れたことがない人がまだまだ少ないかもしれない。美しい日本海と美味しい魚介、離島特有のちょっと荒っぽいけれどチャーミングな人々との邂逅が待っている島だ。
コロナ禍でのリモートワークが進み、ワーケーションをするべく訪れたのは10月半ば。ワーケーションとは、ワーク(仕事)とバケーション(休暇)をミックスした造語で、リゾート地などの非日常的な空間で、仕事をしたり休暇を楽しんだりするというものだ。
貴重な福祉体験もできるゲストハウス
隠岐の島町には、障害福祉施設でボランティア体験もできる「旬の宿 川秀」(以下、川秀)がある。オーナーの早川秀敏さんは、長らく福祉施設に勤務した福祉のスペシャリストで、定年退職後に現役時代のコネクションを生かして、宿泊者のボランティア体験をオーガナイズしている。
隠岐の島生まれ、隠岐の島育ちの早川さんのこれまでのキャリアを聞いた。
もともと体育教師を目指した早川さんだが、いろいろな経緯があり、隠岐の島の養護学校の教師を経て重度の障害児の訪問教育に携わるようになったという。
早川さんが福祉に携わる理由
「障害児教育に大きなやりがいを感じていましたが、学校にも通えない、水頭症や脳性麻痺など重度の障害を持つ子どもたちへの教育に関しては、全く手探りの状態……。しかも、1970年代から80年代の日本、特に地方ではそういう障害児の存在を秘密にする家が多かった。だから、まずは親御さんとコミュニケーションをとることが最初のハードルだったのです」
早川さんには、今でも忘れられない教え子がいる。ももちゃん(仮名)だ。
「寝たきりのももちゃんの家を訪ねると、彼女のお父さんに『何しに来たんだ?帰れ!』と塩を巻かれんばかりに追いかえされました。ももちゃんの姿を見られたくなかったからでしょう」
しかしめげずに何度も訪問するうちに、ももちゃんのお父さんは次第に心を開くようになる。
「今となっては時効ですが、オヤジさんに『お酒を飲むか?』と言われ昼間から一緒にお酒を飲んで(苦笑)よもやま話をしたり、”隠岐いぐり凧”という、隠岐名物の凧の絵を描いて一緒に飛ばしたりして、時間を共有したものです」
しかし、寝たきりで早川さんを認識していたのかもわからないももちゃんに対して、これと言った教育ができたのか疑問だったという早川さん。残念なことに、ももちゃんは早くに亡くなってしまった。
自分の無力感に苛まれた早川さんに対して、当時の所属先の学校の校長先生はこう言葉をかけた。
『あなたがももちゃんの家を訪ねたことで、親御さんは救われたのです。それでいいのではないですか?』と。
可愛い我が子でありながら、存在を消すように自宅でひっそりと育てていた両親の孤独や閉塞感はどんなに強かったか。
早川さんの来訪は、一筋の灯のようにももちゃん一家を照らした。ともにお酒を呑み、そして語らい、凧揚げに興じたことでももちゃんの父は楽しみが増えた。早川さんがももちゃんと一緒に留守番をしたことで母は息抜きがてら外出ができた。父母が明るくなれば、子どもにもいい影響を与える。
「そうか、これでいいのかと私自身も救われました。このももちゃんのお宅での体験が、私の仕事の原点になっています」
以来、障害児教育をはじめとした福祉関連の仕事に携わり続け、定年を迎えた早川さん。定年後も再び福祉施設の再雇用で働きながら、ゲストハウス経営も始めた。
「再雇用も終わった後に関係者から『これで本当に終わり?早川さんは私たちと縁を切るの?』と言われたことがありました。まだ私が求められているのかとうれしくて、体が動く限り福祉と関わっていきたいと思ったのです」
たとえば、福祉施設でのボランティア体験のコーディネート、地域の福祉シンポジウムでレクチャーをするといったことだ。どれも無償である。
川秀の宿泊者がトライできる福祉体験とは?
早川さんが以前関わっていた社会福祉法人「わかば」に向かう。こちらは精神障害を持つ人々の就労支援などを行う施設だ。ここに利用者が通ってきて、障子張り、お菓子作り、雑貨作り、さらには黙々と掃除をするなど、各々の好きな作業を選べる。彼らが作ったお菓子や雑貨類などは一般に販売され、多くはないが入所者の賃金になる。福祉関係者や一般人も希望すれば、利用者と交流したり作業を手伝ったりすることが可能だ(コロナ禍で一時休止)。
利用者の皆さんが、思ったよりも明るい表情で仕事をしていたのが意外だった。
ある男性に、雑貨を作るところを見せてとお願いしたところ、うれしそうに作業の様子を披露してくれた。
また別の女性は、自分で作ったお菓子は美味しいよと笑った。
「家にこもりがちな利用者さんですが、気分のいい時にやって来て無理のない範囲で作業するんです。マイペースでいいのです。ここに来て作業するだけで気分がよくなることもあるので」と早川さん。利用者が少しでも楽しく働くことで、家族や周囲の人間が明るくなる。そう、あのももちゃんの父母のように。
もちろん、毎日うまくはいかない。順調に仕事を続けていた利用者が突然来なくなったり、施設の中で暴れたりと、いいことも悪いことも日々様々なことが起こる。しかし、スタッフは粛々と利用者と向き合う。
「”きつい、苦しい、暗い”の3K現場だと思っている人も多いでしょう。だけど、人生に絶望した利用者さんに、労働することや人と関わることの素晴らしさを知ってもらえたときの喜びは大きい。それを福祉に携わる人に少しでも知ってほしくて、福祉シンポジウムで講演をしています」
離婚は自分の人生にとって“バツ”ではなく“マル”
ところで、早川さんは30代でバツイチならぬ“マルイチ”になった。昭和の時代には珍しいシングルファーザーだ。
「離婚したことは“バツ”じゃなくて、自分にとっては“マル”なんです。これも人生経験の一つです。離婚だけでなくどんな苦しい経験も、喉元過ぎれば全てがマルですよ」
早川さんの両親のサポートもあったが、男手で3人の娘を育て上げ、彼女たちは皆立派に独立した。
料理や掃除などの家事はお手のもので、離婚したからこそのスキルと言っていいのかも。だから“マル”だと言う早川さんは、どんな時も明るく前向きで、ユーモアを忘れない。
ゲストハウスでの食事は、宿泊者と一緒にアジ釣りに出かけ、ともに魚をさばき、三枚におろし刺身にする。残りは塩焼きにしたり、アジフライにしたりと早川さんの指導のもとで料理作り体験ができる。
さらに希望すれば、早川さんとのギターセッションも聞くことができる。川秀に来たからこそ一期一会の貴重な出会いがここにある。
「娘たちが独立したから私は自由に生きていいのだけど、やはり誰かの役に立ちたい。でもね、結局は自分のためなんです。自分のやりたいことが、誰かの喜びになるのが一番の幸せ。福祉施設でのボランティアもゲストハウス経営も基本は一緒です」
ワーケーションでやってきたからには、まずは仕事をきちっとこなすべき。そして余った時間で観光スポット巡りだけではない得難い体験をして地元の人々とつながる。そうすれば、またここに来たいと思える。これもまたワーケーションの醍醐味だ。