このお年で詩吟を朗読されるとお聞きして驚いた。昔から善通寺は詩吟が盛んだったことに由来してか、月1回の会には欠かさず出ているという。
三豊は財田の生まれで善通寺に嫁いだ。ご主人との出会いは中学の同級生の紹介とか。
農業と建設業を営むご主人を手伝って軽トラで駆けずり回り、一方で得意な計算能力も発揮、経理事務、確定申告も一人でこなした。そこに大きな悲しみが訪れる。小学生の長男をガンで失ったことだが、それも働き続けることの執念で克服した。
農作業はご主人を亡くした後も続いた。「4、5年前まで田圃で働いていた」とお嫁さん。90歳後半までということになるから、これにも驚かされる。
詩吟の会では着物で出掛ける。高齢になっても化粧を疎かにせず、身なりもきちんと自分で整える。若造りとまではいかずとも、これぞ元気のもとなのだと納得。
とにかく外へ出ることが好き、声を出すのが好きなのだ。カラオケ大会などには勇んで舞台に立った。最近は週1回、杖をついてでも出掛けてデイサービスの場で演歌を唄う。「一世一代」「夕月おけさ」が得意なようだが、テレビで流れる歌を何となく覚えてしまうのか「十八番なんかない」と誰のリクエストにも応えるほどレパートリーは広い。
「好奇心旺盛でね」とお嫁さんは笑う。いつの間にか習字、活け花に首を突っ込み薙刀も体験した。コロナ騒ぎの前は毎月のように日帰りバスツアーで温泉へ。
家に居ては欠かさず日記を認め、亡き家族を偲んで静かにお経をあげる。
自身、長生きした自覚はないのか、特別良かったことも悪いこともなく、「自然体で生きてきた」と「よく歩いた」としかおっしゃらない。それだけで大きな病気にも見舞われず楽しく過ごせるという人生訓には頭を垂れるしかない。
辞する前に詩吟の一節をお聴きできなかったのが心残りだった。