日本茶と包子の店を営む夫妻 祖父の故郷を訪ねて自分のルーツを知る

日本茶と包子の店を営む夫妻 祖父の故郷を訪ねて自分のルーツを知る
岡村商店を営む岡村紀子さんと友章さん

大阪と京都の境目に位置する大阪府島本町。阪急水無瀬駅の改札を抜けると、高架下に個人商店が立ち並ぶ小さな商店街がありました。年季の入ったアーケードに本屋や肉屋、喫茶店などが並びます。過去に水無瀬駅前には大手飲食チェーン店ができたことがありましたが、長続きせず撤退したことがあったのだとか。地元の個人商店を大切にする町民のプライドをどこか感じられるエピソードです。水無瀬駅からさらに歩いて3分程すると、ここにも個人商店が集まる10メートル程の小さな通りがあります。スナックのようなネオン看板が目立つそこは、岡村商店。ここで日本茶と包子の店として二人で切り盛りする岡村さん夫妻に話を聞きました。

夫は日本茶、妻は包子にのめり込む

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岡村商店は2021年7月にオープンしました。日本茶と包子をイートインやテイクアウト、通販で楽しむことができます。日本茶は夫の岡村友章さんが茶農家まで足を運び、じっくりと信頼関係を築いた生産者の茶葉のみを販売しています。包子は妻の紀子さんの担当。生地を膨らませる種となる老麺から手作りした包子の生地はしっかりめ。もちっとした食感がクセになります。肉系の具材だけでなく、青菜や、ニラなど野菜系の包子も揃うのがうれしいところ。日本茶と包子。別に示し合わせたわけではなく、たまたまお互いがのめり込んだものの相性が良かったという友章さんと紀子さん。二人は、その魅力にどのようにのめり込んでいったのでしょうか。

公務員を辞めてお茶に携わる仕事に

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友章さんは大学卒業後、公務員として働いていましたが、次第に安定した毎日に物足りなさを感じ始めるようになりました。ちょうどその頃、同じ関西に住む祖父が体調を崩し、入院生活を送っていました。徳島県の山里出身である祖父は、しきりに故郷を恋しがるようになっていたそうです。気の毒に思った岡村さんは、祖父が会いたい人や見たい風景を写真に撮ってきてあげようと一人、祖父の故郷を訪ねることにしました。

いざ祖父の生家の隣に暮らす、祖父の友人夫妻の自宅を訪ねて事情を話すと、二人はあたたかく迎え入れ、煎茶を淹れてくれたそうです。友章さんは何度もおかわりしてしまうほど、そのお茶が美味しく感じました。幼い頃から祖父が親しんだ煎茶の味に触れ、いたく感銘を受けたのでした。

振り返れば、子どもの頃、祖父母の家に行くと、いつも急須で淹れたお茶を飲ませてもらっていたことに気づいたそうです。祖父の田舎で作られた煎茶も時々飲みながら、昔のお茶づくりの話も聞かされていましたが、当時は特に気に留めることもありませんでした。

祖父の故郷でのあたたかな人との交流や、幼い頃の祖父と自分自身の思い出を重ね、お茶に自身のルーツを見つけた岡村さんは、その後、どんどんお茶にのめり込んでいきました。

お茶の専門店をまわって飲み比べたり。とあるお茶の本で紹介されていた茶農家に、片っ端から電話してお茶を取り寄せ、感想を記録したり。それでも飽きたらず、休日になれば茶農家を実際に訪ね、受け取った情熱を書かずにはいれんとばかりにブログにしたためるようになりました。

ブログ
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「農家たちの生き様やものの考え方を皆に知ってほしい」と、思いがどんどん膨らんだ友章さんは、ついに公務員を辞め、2017年に一念発起して起業しました。最初は店舗を持たず、イベント出店や通販でのお茶の販売からはじめました。

ある本をきっかけに包子作りにのめり込む

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一方で、紀子さんは2018年頃から包子作りに目覚めます。たまたま粉食文化の研究をしている知り合いの自宅に遊びに行く機会があり、本棚に並んだ粉物に関するいろいろな本を手に取り、パラパラとめくっていると、『北京小麦粉料理』という本を見つけました。なぜかその本にものすごく惹かれてしまった紀子さん。すぐに同じ本を購入しました。さまざまにあるレシピの中でも特に目に留まった包子を、一度作ってみることにしました。しかし、いざ作ってみると思ったようにうまく包めません。納得がいかなかった紀子さんは何度も試作を重ねるようになりました。

友章さんがその様子をSNSで投稿すると、町内にあるカフェの店主に、「うちで出店してみる?」とまさかの声をかけられたそうです。包子作りを始めて、わずか2、3か月後のことでした。それから月に1回、出店を続けさせてもらうようになりました。

同時に、中国人が包子を包む動画を見ながら、ひたすら包む練習をしたり、台湾まで足を運び、いろいろな店の包子の食べ比べをしたりしながら、独学で研究を続けました。

「店によって、生地も具も全然違って、いろいろ食べ比べてみるうちに、自分はこっち寄りにしたいなとか、理想の包子のイメージが描けました」

生地だけでなく、具材にもこだわりが詰まっています。地元の個人商店とのつながりを大切にしている紀子さん。取材当日の日替わり定食のスープに入っていた鶏肉は、水無瀬駅の高架下にある商店街で、長く営んでいる鶏肉屋で仕入れたと言います。最近では夫婦で野菜の栽培にも挑戦しているそうです。和え物に入っていた紅芯大根は、紀子さんたちが畑で育てたものでした。

通っていた喫茶店が店を譲ってくれることに

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こうして互いにのめり込むものを見つけた二人。次第に自分たちの店を持ちたいと、島本町で物件を探し始めました。島本町で生まれ育った友章さんには地元に行きつけの店がいくつもあります。1970年に創業し、永らく地元の人から愛されてきた槇珈琲店がその一つでした。

「時々ここにココアを飲みに行って、店主のおばちゃんとよく話してたんです。店欲しいなぁとかおばちゃんにぼやいていました。そのうちにこの喫茶店が50年目を迎える直前になって、おばちゃんがもう続けるのはしんどいと店を畳むことになったんです。それで僕たちに店を使わないかと言ってくれました」

しかし、友章さんにとって、店を構えるには大きな決断が必要でした。2年ぐらいどうするかずっと悩み続けましたが、それでも店主が他の人たちからのオファーを断りながら、友章さんたちの返事を待ち続けてくれたことが後押しになり、ここで店を始める決意をしました。カウンターやテーブル、椅子、床は当時のままに残し、それ以外は改装工事をしました。古いものを残しつつも、新しい風を感じる内装に。つながりを大切にする二人らしい店になりました。

人と向き合い関係を紡ぐ

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オープンしてみると、人づてに知ったという人が来店するようになりました。「手土産でもらって美味しかったからとか、駅前の本屋にすすめられたからとか、誰かに教えてもらって来てくれた人がほとんどです」と友章さん。人から人へ。友章さんがじっくりと生産者と向き合って来たように、お茶を飲んだ人との関係も紡がれていっています。

最後に今後やりたいことを二人に聞きました。

今はとにかく続けていくことしか考えられないという紀子さん。一方で、友章さんは、茶畑ツアーを開催したいと考えているそうです。

「お茶はやっぱり“人”です。僕はお茶そのものにハマったわけではなく、たまたま自分のルーツである祖父の生まれの話を感情的に繋げていく、潤滑油のようにお茶が働いてくれたことで興味を持つようになったんです。お茶って嗜好品とか、文化的側面ばかりが持ち上げられて、農産物であることをあまり気に留められないものです。大変な思いをして、育てている人がいることをもっと知って欲しい。とはいえ現場まで茶農家さんたちに会いにいくと、黙々といいものを作ることに集中して、自分たちのことをあまり語らないんですよね。だから、代わりに僕が農家さんたちの営業部みたいな気持ちでお客さんに伝えさせてもらっています。ただ『飲んで、美味しい』以上の、『お茶は人ありきのものだ』ということを多くの人に知ってもらいたいです」

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