幸せの国バヌアツでの学びを糧に 「森のようちえん」で子どもたちに種まき

幸せの国バヌアツでの学びを糧に 「森のようちえん」で子どもたちに種まき
バヌアツの小学校で図工を教える山下真矢さん

広島県北広島町に「森のようちえん たねまき」を開園した山下真矢さんは、自分の思いにまっすぐだ。

たねまき始動!
たねまき始動!

教育のヒントを求めて海外へ

中学生の頃、何かに導かれるように、将来幼稚園を作ろうと決めた。

空手が好きで、高校は空手が強い学校を選んだ。卒業後は、幼児教育科のある短大に行った。しかし、実習やアルバイトで子どもたちと関わる中で、「学童期を知らないままでは、幼稚園は見えてこないのでは?」と気付いた。だから、幼稚園と小学校入学後の、いわゆる小1ギャップが出てしまうのだと。

そして小学校の先生になろうと決め、短大から徳島の大学に編入。小学校と幼稚園一種の両方の免許を取った。その後、少人数の小学校の採用試験を受けた。

その頃に、同級生が行きたいと話してくれたのが、JICA海外協力隊だった。翌日、すぐに山下さんも話を聞きに行き、応募した。嬉しいことに教員と協力隊、両方に合格した。どうしようかと迷ったが、小学校の校長の理解もあり、小学校で半年教員をした後、協力隊に参加した。

幼稚園を作るために、小学校の教育現場を知りたい。そうやって手に入れた教員生活を捨て、協力隊を選んだのはどうしてだったのだろうか。山下さんの答えはとてもシンプルだ。

「もしも日本の教育が本当に良かったら自ら命を絶つ人はもっと減るはずだし、もっと楽しいはず。でも、現実は違っている。日本の中に答えがないなら外にあるはずだと思った」

山下さんはアフリカへの派遣を希望していたが、届いた合格通知に記載された国はバヌアツだった。希望するアフリカではなかったが、バヌアツが世界一幸せな国に何度か選ばれていると知り、「それならば絶対ヒントがある」と渡航した。

バヌアツの人の高い自己肯定感

授業でつく…こどもたち
授業でつく…こどもたち

派遣当初、言葉がわからない分、人の顔をよくみていたら、バヌアツの人はみんなよく笑うことに気づいた。目に見えない自信もすごく感じた。「笑うことと自信はつながっている」と山下さんは考えている。

バヌアツの人たちは自己肯定感が高く、そんな彼らは知らない人との壁がない。知らない人がいたら声をかけて「何なら泊まっていけ」という感じなのだ。

山下さんのバヌアツの父となったサムエルさんも、旅の最中に知り合って、「乗ってけ」と言ってくれた中の1人だった。お店を持っていて、無口な、でも温かい人で、初めて出会って泊めてもらったばかりの日に、手伝いをするよといったら、見ず知らずの日本人にもかかわらず、すぐにレジを任されたという。自己肯定感が高いだけでなく、人を信じる心もまっすぐで、本当に壁がない。

ここで山下さんは、子どもの教育について大切な考え方を学んだ。

「良く笑う人は自信がある。自信→自己肯定感はどこから来るかというと、幼児期に愛されていると感じて育っているかどうかだ。0~1歳までは親や祖父母など、身近な特定の人との信頼関係をしっかり結ぶ時期なので、そこを大事にしてほしい。愛情をしっかり受けて保証されている子は強い」

幼稚園を作る場所を決めるまで

そんなバヌアツの人たちは衣食住をとても大事にしていた。衣食住のうち、食のことには自信がなかった山下さん。「帰国したら農業を勉強したい」と思い、たまたまバヌアツで知り合ったおじいちゃんの伝手で、北海道で肥料づくりをしているところに住み込みで行くこととなった。手が空いている時は近くの農家に応援に行く生活。その頃、大学の同級生でのちに結婚するあかりさんと再会した。

結婚資金をためるために広島に戻って、小学校で非常勤の講師をはじめた。時間外には荒れ地を開墾して農業も続けながら、幼稚園をどこにするかを探した。山は四季がはっきりしていて、子どもたちが感じられることが増えるという理由もあり、山を選んだ。

そして山地の中の町をひとつ選んで、まずはそこに住んでみることにした。そこで出来たつながりの中で、北広島町の吉木というエリアを紹介してもらった。吉木という名前も、たくさんの太陽の光も、景色も気に入り、ここで幼稚園をしようと決めた。

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