岡山県奈義町に41歳で筆をとり、50年以上子どもたちに書道を教えている女性がいる。上原婦じ江さん、御年96歳だ。自身を『心の財産家』と話す上原さんに、その人生を語ってもらった。
苦しくも充実した夫婦生活
戦時中、17歳だった上原さんは、神戸から奈義町に疎開していた。この地で縁があり結婚した夫は、原因不明の病気を30歳の若さで発症した。
上原さんは夫婦で営んでいた精米所を切り盛りし、農業をしながら、病弱な夫を連れて遠方の病院に通った。当時は交通の便も少なかったため、電車とバスを乗り継ぎ、夫を背負って通院していたという。
夫は隠れて泣いていた上原さんを悟し、いつも優しい言葉をかけてくれていたそう。悔しく辛い日々だったが、夫婦生活は充実していた。しかし夫は、42歳で逝去した。
書道教室を始めたわけ
夫を看取り、寺で自身も一緒に戒名をつけてもらった時、『硯(すずり)』という文字が入っていた。ちょうどその頃、書道に興味を持っていた上原さんは驚いたが、それをきっかけに始めてみようと決意したのだ。
書道を習おうと試行錯誤した結果、通信制という方法をとった。勉強している合間に子どもに習字を教えて欲しいと依頼があり、教えながら勉強した方が伸びると思い、初めて生徒を持った。それが、奈義町初の書道教室となったのだ。戒名をつけてもらった寺でも教え始め、子どもも次第に増えていった。
だが、教室を始めてからも悩みは尽きなかった。独学のゆえの苦しみも多く、何度も筆を折った。それでも頑張ってこられたのは、こんなに辛いことはもうないという過去を経験していたからだ。
子どもたちとの出会いで人生を肯定
今では顔見知りも多く、上原さんが出向く先では成人した当時の生徒たちが声をかけてくれる。「手を振って『先生!』と呼ばれると教師冥利につきる」と、目を細めて嬉しそうに語ってくれた。3世代を生徒として教えた家庭もあるそう。
年齢が90歳に近づいた頃、教室を閉めようと考えた時もあったが、全国には自分よりまだ年上で現役の先生がいると知り、急に元気が出たのだとか。最後まで頑張ってみようという気持ちになった。
現在、書道教室は週に3回ほど開けられ、大人も子どもも通っている。教室に来てから書き始めるタイミングは各々自由。昔と今の子どもたちの暮らしは違うが、どれだけ遊んでいても習おうとする姿勢を自分で切り替えることは共通しているのだそう。あえて始める合図はせず、タイミングを待つという。
子どもたちには、ただ字を勉強するだけでなく、心の豊かな人になってもらいたいと上原さんは話す。
「自分に子どもはいないが、出会った子どもは皆んな自分の子どもと思って接する。人の輪が広がり、形の無いぬくもりを感じている」
自分は『心の財産家』と話す上原さんは、書道教室を始めて子どもたちと出会ったことで、自分の人生を肯定できたという。どんな明日があるか楽しみだと、きょうも笑顔で筆をとっている。