「例えば、女子高生に『今年のイシカワのガラス、もう買った?』と言われるくらい、年齢も性別も関係なく暮らしの中に溶け込んだものを作りたい。そして使われながら無名となったときに、本当に器が生きだすと思っています」と、石川硝子工藝舎の石川昌浩さんは話します。
石川さんは、2021年12月「日本民藝館展―新作工藝公募展―」で最高賞である日本民藝館賞を受賞しました。「日本民藝館展」は伝統的な技術を継承して作られている手仕事の品と、民藝の美を指針とする個人作家の品を全国から公募し、暮らしに役立つ工芸品の発展をはかることが目的。一年に一度開催されています。最高賞受賞は岡山県初で、ガラスの器が選ばれたのも今回が初めてです。
「館展の面白いところは、作り手と器を販売する配り手の両方が出品できるところ。例えば、同じ作家の湯のみで、作った本人である『作り手』は選外、『配り手』は入選ということもあります」選ぶ目、陳列する目、そして使う人の目、すべてが大切だといいます。
「これは作り手だけでなく、『配り手』や『使い手』と一緒にいただいたもの」と石川さんは話します。20年出品し続けた末の最高賞受賞。これまでの活動について話を聞きました。
コロナ禍に行った個展のDMとして選んだのは「最後の晩餐」のコスプレ姿。真ん中には、まるでプロンプターのように大きな大皿が。のびのびと広がったガラスは、手で作ったまんまの痕跡を存分に残しています。「コロナという災いの中で、少しでもユーモアを届けて笑ってもらえたらという気持ちで作りました。そんなのびのびとした気持ちがガラスに表れたのではないでしょうか」
人生の師との出会い
石川さんは倉敷芸術科学大学の芸術学部工芸学科ガラス専攻。
学生時代に、倉敷ガラスの創始者である小谷眞三氏と出会います。
「大学へはほとんど行かず、バーでバイトしたり、洋服を仕入れて販売したり学生生活を自由に謳歌していました。そこへ、指導教官だった小谷先生が訪ねてシャツを買ってくださったり、バーにも来てくださったり。若者文化を純粋に楽しまれる先生の人柄に惹かれて鞄持ちを申し出たけれど断られました。『他に紹介もできないから自分でやりなさい』と。当時はガラスのかたまりみたいなコップしか作れませんでしたね」
大学卒業後、同級生と共同窯を立ち上げました。
窯を維持する資金調達のため、夜から明け方までバイト、日中はガラスを吹くという毎日を繰り返しました。
石川さんは左利きだそう。しかし、吹きガラスの道具であるハサミやベンチはすべて右利き用。
「利き手ではないので、体に馴染むまで人の何倍も吹きました。また、弟子入りをしていないので下積み経験がないというのもコンプレックスでした。だからこそ基礎だけをひたすら守って吹き続けました」
偶然から生まれた網目模様
そんな中、模倣の失敗から生まれたのが石川さんの代表作でもある「網目模様」。
「模倣を繰り返すうち、ふとしたきっかけで逆にひねってしまってできたものです。恩師である小谷先生の『仕事が仕事を教えてくれる』という言葉通りでした」
また、現代のガラスは「精製されすぎて病的に白い」と感じたため、白と黄色のガラスを混ぜて作った「はちみつ色」も石川さんならでは。昔ながらの温もりある風合いに多くのファンがいるというのもうなずけます。
手に持った感覚と重さ、飲み物を入れたときの佇まい、口当たり、どれも絶妙。暮らしの中にスッと溶け込み、思わず手がのびるような魅力を持っています。
「コップのおじさん」としての活動
共同窯解散後、「石川硝子工藝舎」を立ち上げ、2008年、早島町に自宅兼工房をかまえます。風呂敷に包んだガラスコップを自ら倉敷や東京の配り手のもとに持ち込み、少しずつ手応えを感じるように。
ある時、売り物にならない廃棄されるガラスを見て、まだ保育園児だった長男が「このガラスはどうなるの?」と問いかけたといいます。
「ものを作った人はものを捨てる責任を負わないといけない。自分が生み出すものは結果としてゴミ。ならば、捨てられるまでとことん働く器にしたいと感じました」
最初は地元小学校の放課後児童クラブを卒会する3年生の子どもたちに、使用に支障はないけれど、小さな傷が入った「ハネモン」のコップをプレゼントし始めました。自らを「コップのおじさん」と呼び、事前に聞いた子どもたちの名前を一つひとつ彫ったものを毎年届けました。
全国に広がった「手の長いおじさんプロジェクト」
2011年の東日本大震災をきっかけに、全国の作り手有志に呼び掛けます。本格的に「手の長いおじさんプロジェクト」と銘打ち、活動の輪が広がっていきました。現在、石川さんに賛同する作り手は、陶磁器や木工工芸、いぐさ製品の作家など50人近く。
届ける先も、被災した人たちから、養護施設を卒業して独り立ちする子、小児病棟や母子家庭の子どもたちまで多方面に。
「割れないプラスチックのコップよりも、『割れたら悲しい』ということ。そんなことを感じてほしい。冷たいご飯を一人で食べる子どもたちにも届けたい。普段、私たちが作ったものは限られた人のもとにしか届きませんが、それだけではおもしろくない。寄付という言葉は使いません。子どもたちは未来のライバルだと思っています。まずは知ってもらうことから始まれば」
「作り手」を育ててくれた民藝のまち・倉敷
作り手である石川さん、自身を育ててくれた倉敷をこう表現します。
「倉敷には民藝の精神が根付いています。お金がなくなりコップを持って行くと、その場ですぐに買い取ってくれる民芸店。『不格好やなあ、ブサイクやなあ』と言いながらも結局買ってくれるお客さん。倉敷の配り手と使い手に育ててもらいました」
石川さんは現在46歳。「ガラスは60歳で定年。その後は何か新しいことを始めたいと考えています。自分自身がいつでもワクワクできることを見つけていきたいです」と話しています。