2021年11月初旬、メキシコで盛大に行われた「死者の日の祭り」。そんなこの国の伝統をなんとも可愛らしいパンや焼き菓子で祝った店がある。首都メキシコシティのローマ地区にある「TSUBOMI」は、見上歌奈子さんと正野崎朗子さんという2人の日本人女性が営むパン屋だ。
日本では当たり前のように朝の食卓に並ぶ、食パンやロールパン。実は海外ではそれほど一般的でない。クロワッサンやライ麦パンなどはどこのパン屋でも見かけるが、食パンをはじめとする「日本のパン」はそう簡単に手に入らない。そんななか、「TSUBOMI」はメキシコシティで食パンや惣菜パンを作り、店舗での販売と配達サービスを行っている。
「海外生活は不安なことも多いですが、朝食には慣れ親しんだ味を安心して食べてほしい、という思いでパンを作っています。だから保存料も一切使っていません」
また、店のこだわりはパンだけではない。
「配達時間はなるべく正確に。問い合わせへの対応はなるべく丁寧に。自分たちのきめ細かいサービスを大切にしています」
メキシコ人にとっては馴染の薄いパンのため、開店当初はお客の9割以上が日本人だったというが、いまや地元住民もしっかりと店のファンになってくれている。
開店までの道のり
「TSUBOMI」は2人がメキシコに暮らしはじめて10年目に立ち上げた店だったが、それまでの道のりは決して平坦なものではなかった。
「実は『TSUBOMI』の前に『Bimmy』というパン屋をやっていました。でもその店はメキシコ人の共同経営者と考え方が合わなくなってしまって、結局手放すことになったんです」
機械化とフランチャイズで店を拡大したい共同経営者と、店の基盤を固めることに注力したい見上さんと正野崎さん。両者の溝は埋まらず、結局見上さんらは自ら貯金をはたいて買った機材を全てを置いて、Bimmyを去った。
しかし機材をすべて失った2人だったが、下を向いて立ち止まることはなかった。「Bimmy」を辞めてすぐに、「TSUBOMI」としてパンの予約販売を始めたのだ。
「当時住んでいたのはエレベーターのない4階建ての民家の最上階。オーブンも持っていなかったので、2階に住む大家さんのお母さんにオーブンを借りてパンを作り始めました。冷凍庫も上まで持ち上げられないので1階の廊下に置かせてもらって。4階で生地をこねて、1階で冷やして、また4階で解凍・成形して、2階のオーブンで焼く。この作業を1日に何回も繰り返しました。おかげで痩せましたね」
準備万端、とは言い難い状況のなか、それでもパン作りを再開したのは2人に共通する思いがあったからだ。
「動かないと何も始まらない。何より、パンという毎朝必要なものを自分たちの都合で途切れさせたらいけない。その思いが一致していたので、立ち止まるという選択肢はありませんでした」
予約販売を行いながら少しずつ機材を揃えていった2人は、2018年9月に念願の店舗をオープンした。
コロナの影響を受けた2021年
2022年の秋、店はオープン5年目に突入する。経営を担う見上さんはこれまでを振り返って、2021年が一番苦しんだ年だった、と話す。
「コロナが長引いてスタッフ達にもストレスが溜まってしまったせいか、様々なトラブルが起こりました」
従業員の中に不真面目なグループができ、店全体が振り回された。売上の一部を盗む者が出たり、信頼していたスタッフまでもが裏切りとも言える行動をとった。眠れない夜が続いた時期もあったという。
「大変な1年でした。でも今は、このタイミングで徹底的に膿を出せてよかったと思っています。『TSUBOMI』がこれからもっと成長して良い店になっていくために必要な時間でした」
試練を乗り越え新しい挑戦へ
試練を乗り越え、店は2022年の新しい挑戦に向けて活気づいている。簡単で素早いデリバリーシステムの構築や店舗面積の拡大など、見上さんを中心にスタッフ皆で話し合いを重ね準備を進めているという。
「新しい挑戦の話をしていると、スタッフの目がキラキラと輝いて、アイディアが次々出てきます。わたしの仕事は、みんながこんなふうに生き生きと働き続けられるよう、適切な判断をしていくこと。まだまだ未熟ですが、何度も失敗したからこそ学んだこともちゃんとあります」
2人の日本人女性が営むメキシコシティのパン屋、「TSUBOMI」。「初心を忘れない」という思いを込めて蕾と名付けられたその店は、燦々と降り注ぐメキシコの太陽の下、いま大きな花を咲かせようとしている。