香川県に3つの路線をもつ、高松琴平電気鉄道、通称「ことでん」には、全国の鉄道ファンに愛されてきた木造のレトロ電車があります。1926年にことでんオリジナル車両として製造された、3000形300号車、1000形120号車の2台です。大正時代から香川県内の路線を走り続け、2009年2月には近代化産業遺産としても認定されました。しかし、2021年11月3日を持って一般車両としての運行は終了し、今後は作業車両としての「第2の人生」が始まります。
今回は、ことでんの整備士・林浩二さんに長年関わってきた2つの電車の整備について、運輸サービス部の阿部佑哉さんに、最終運行の日の様子を取材しました。
レトロ電車の整備は職人技
「私がことでんに入社した18歳の頃は、技術は先輩から教わるのではなく、見て覚える。そんな時代でした」
林浩二さんは約30年以上、ことでんの整備士として活躍しています。仏生山工場と今橋工場で整備を担当。「誰にでもできる仕事ではない」という300号車と120号車の整備にも、深く関わってきました。
「300号車と120号車は、検査に非常に気を使う車両です。鉄自体が古いので、どこに傷やヒビが入ってもおかしくありません。それらを見逃さないよう、念入りな検査を行ってきました。車輪交換も大変。車輪の軸に対して、きつさ緩さをミリ単位でとらえる“感覚”も必要でした。重い扉を外すのも、4人がかりです」
機械化されていない300号車と120号車のメンテナンスに必要なのは、長年受け継がれてきた「経験と感覚」。手間・体力・注意力・繊細さを総合した職人技が、安全な運行を支えてきたのです。
300号車と120号車は、木のぬくもりで満ちています。外観は茶色とツートンのカラーリングが施され、昔の姿に近づけるため、丸い窓を再現するためのメンテナンスも行われてきました。車内は窓枠や座席、床や天井の扇風機など、至る所がレトロ感にあふれています。
「梅雨の時期は湿気のために、窓枠が跳ね返ったり、緩んだりしていました。なのでばらばらにして組み直します。かんなで木を削ってまっすぐにしたりと、まるで大工のようなこともしていましたよ。補修程度のペンキ塗りもしましたね」
林さんが手押しポンプでパンダグラフを上げるとモーターが始動。1500ボルトがスイッチに行き渡り、発電機が始動します。地に響くような優しい音を聞くと、まだまだ現役続行できそうな雰囲気です。
引退の理由は、メンテナンス上の問題。部品がメーカーで製造終了となり、古い車両から取っておいた予備部品も在庫がなくなり、車両維持の対応が難しくなってきたのが実情です。
林さんのやりがいは「何事もなく無事に、普通に走ってくれること」。これが何よりの喜びだったと言います。大変なメンテナンスを乗り越えて、順調に走ってくれる300号車と120号車は、林さんたち整備士にとって大切な同志だったのでしょう。
2台は、一般車両としての活動は終了しますが、作業車両としての活動を続けます。「お疲れ様。そしてこれからもどうぞよろしく」と、林さんはにこにこと微笑みながら、電車を見つめていました。
作業車としての第2の人生へ
11月3日、毎年恒例の「電車まつり」にあわせて、「レトロ電車さよならイベント」が開かれ、地元からはもちろん、関東・関西、九州や北海道などから多くのファンが駆けつけました。両イベントには合計約2457名が集まり、長尾線・琴平線で実施された300号車と120号車の最終運行には、1920名が乗車しました。
「コロナ禍ということもあり、来られたお客様はそれぞれが歓声を控えたり対策を意識して集まってくださいました」
運輸サービス部リーダーの阿部佑哉さんは、当日の様子をこのように振り返ります。仏生山工場で企画された計6回の車両撮影会には、複数回参加する鉄道ファンもいたとか。
「最終運行を終えて仏生山駅に到着した時、出迎えてくださったお客様から自発的な拍手が上がりました。とてもありがたかったですね」
大正時代から95年もの間、人々を運んできた300号車と120号車。その最後の勇姿に、訪れた人たちは感謝や感動を抱いていたのではないでしょうか。
阿部さんはイベントを振り返りつつ、最後にこう話してくれました。
「現行車両としての運行はこれで終わりますが、車両は残ります。引退は節目の1つ。第2の人生が始まるレトロ電車と共に、これからもことでんを応援していただけると嬉しいです」