蒜山高原を走ると、カラダが生き返っていくような感覚になります。
視界いっぱいに広がる、晴れた高原。風に触れ、トウモロコシを育てる土の匂いがします。
日々の忙しさから解放されながら、国道482号線を走っていると、ふと行列の店を見かけます。
いまや、蒜山を代表する「焼きそばとからあげ」の店「悠悠(ゆうゆう)」。
店主は、真庭市久世出身の村岡誠介さん。2014年、兵庫県西宮から、妻の実家である蒜山にUターンしました。
移住してからわずか数年で、行列店へ。
悠悠の絶品「焼きそばとからあげ」は、繁忙期には「3時間待ち」になるほど。
いったいなぜ、人気店となっていったのか。
その秘訣を尋ねると、味へのこだわりはもちろん、そこには店主の考えがありました。
もしかしたら生活できないかも…
村岡:
感染対策のために、マスクをさせてください。
――え、誠介さん?
村岡:
すみません、すみません。こうしないと、マスクの意味ないか。
――あ、いや。あの。
村岡:
ん。こっちか?
――……。
村岡:
甲田くんも感染対策しないと。
――え、こうですか?
村岡:
そう!
――あの。そろそろ本題に(笑)。
――ひるぜん焼そばといえば、B-1グランプリの優勝だと思います。そのとき、村岡さんはこちらに?
村岡:
B-1グランプリの優勝が2011年だから、まだ兵庫県の西宮にいました。でも、お義母さんが夢だった自分のお店、「悠悠」をはじめていて、B-1グルメブームでお客さんがお店にも蒜山にもたくさん来ていたのは知っていました。
――お義母さんがはじめられたんですね。
村岡:
そうです。2002年に「お食事・喫茶 悠悠」でオープンして、日替わりの定食とかケーキ、コーヒーとか。そのなかのメニューのひとつに「焼そば」があって。それを名物にしたいと「ひるぜん」の名前をつけてはじめました。だから、いまでも名前を変えずに、悠悠は「ひるぜんの焼そば」で出しています。
※B-1グランプリ優勝で知られる名称は、「ひるぜん焼そば」。鶏肉と味噌ダレが特徴。
――村岡さんが戻られたのは、いつぐらいですか?
村岡:
2014の春です。B-1グルメのブームはもうすっかり落ち着いてて。行列のイメージがあったから、お店を手伝いはじめてビックリしました。「ぜんぜん平日、暇やん」「もしかしたら生活できないかも」と思って、ブームは去ったんだなと実感しました。
当初、お義母さんを含めた家族6人ぐらい養えるやろ、と思ってたのが、お義母さんに数字を見せてもらったら、ぜんぜん余裕がなくて。まわりから就職の声がかかるぐらい、一年目の冬は、除雪車にのって除雪作業の仕事もしました。
――シビアだったんですね。
村岡:
それはもうシビア。平日、冬、梅雨。この閑散期にいかにお客さまに来てもらえるかどうか。当時、「悠悠」は観光のお店と思われていて、平日や冬に来てくれる地元のお客さんがほとんどいませんでした。
そもそも地元の人たちは、自分の家で、味噌ダレ・かしわの焼きそばを焼くから、わざわざ「ひるぜんの焼きそば」を外食する必要がありません。そのなかでどうすれば、地元のお客さんにも来ていただけるか。認知度を上げるか。そのための方法を考えたのが、最初です。
――地元の方にも来てほしい。それが原動力になったわけですね。
村岡:
そうですね。あと、原動力でいえば、反骨心というか「なにくそ、腹立つ」というのが原動力になっていることが多いです(笑)。
「プロレス好きあるある」(誠介さんはめちゃくちゃプロレス愛好家)で、マイナーなものの社会的認知を上げたいっていう気持ちがあって。「どうして知ってもらえないんだ!」という腹立ちが原動力になっています。いわゆる「燃える闘魂」です。
※アントニオ猪木のキャッチフレーズ
――そして、地元の方にも来てもらえるよう悠悠さんの取り組まれたお店づくりが……。
村岡:
西宮からこっちに戻ってきたときに、いわゆる「街」のお店がやっていることに取り組んでいるお店がなかったんですね、蒜山には。だから、「街」のお店がやっていることを順番にやっていきました。
――都会に出ていた利を生かしたわけですね。
村岡:
B-1グランプリの優勝などで、ポテンシャルの高さはわかっていたので。むしろ都会のお店のような取り組みをしていないのに、お客さんがある程度来てくれていたから、街のやり方をすれば伸びるんだろう、というイメージはありました。
――なるほど。
村岡:
あと、商売は素人という自覚があったので、無料や有料のセミナーに行って、学びまくりました。商売というのは、すでに方法論として体系化されているので、最初に基本を学んだのはよかったと思います。
――意外でした。あらためて商売を学ばれたんですね。
村岡:
悠悠は、変化球を投げる店に見えているかもしれませんが、基本をめちゃくちゃ大事にしている自負はあります。そのうえで、暴投を投げる(笑)。
――暴投!(笑)。ちなみに、具体的に取り組まれたことは?
村岡:
HPの整備やSNSの発信ですね。当時は、WEB上でお店を探すにも「食べログ」ぐらいしかなくて。しかも蒜山はどのお店の情報もあがってない。だからそういうWEB上の環境整備からはじめて、Facebookでの発信をしていきました。